みなさーん お元気でしたか?
阪急お客さま新聞編集部の田中です。
今回は久々に田中のイタリア話です。どうぞおつきあいください。
イタリアのコーヒーはご存知の通り、エスプレッソコーヒーですね。
このエスプレッソとは英語で言うとエクスプレス(EXPRESS)。
いわゆる特急列車という意味ですが、あっという間に美味しいコーヒーが出来ることから来ているのでしょうか?
ちなみにイタリアではエスプレッソとは言わず、「カッフェ」と言います。
アクセントは後ろの「フェ」を強く高めに発音します。
「コーヒー1杯お願いします」はイタリア語で「ウン カッフェ ペルファボーレ」と言います。
エスプレッソは苦くて量が少なく、日本人には余り人気がないようですが、最近では日本でも本場イタリアの美味しいエスプレッソを飲めるようになってきました。
若干、日本で飲むエスプレッソの方が本場のものより苦い感じがしますが、原因としては水の違いということがあるようです。日本では水は軟水、イタリアでは硬水。硬水は日本人には不人気ですが、コーヒーに関してはエグみを抑えてくれる硬水の方が向いているそうです。
エスプレッソは基本的に砂糖を入れて飲みます。
イタリアではエスプレッソをブラックで飲む人はあまりいません。
砂糖を入れたほうがまろやかさがきわ立って、深く焙煎したコーヒー豆の旨みがよく出てくるように思います。
僕はエスプレッソには山盛りの砂糖を入れて2〜3回スプーンで軽くかき混ぜて砂糖が混じりきらないうちに飲みます。
そうした方が、苦いところ甘いところが層になって口の中で色々な味を楽しめるからです。
エスプレッソは味が濃くて体に悪いイメージがあるかもしれませんが、普通のコーヒーよりカフェインは少ないんですって。
イタリア人は、エスプレッソを飲む時は、①元気をつけたい時、②リラックスしたい時、③食後の胃薬代わりなど、色々な場面でたくさん飲みます。ダラダラ飲まないで立ったまま、ひとくちかふたくちでグイっと煽って「さあ行くか!」という感じですね。
エスプレッソが苦手な方にお薦めのコーヒーがあります。
それは「カッフェ マッキアート」です。
簡単に言うとエスプレッソにスチームで泡立てたミルクを落としたコーヒーです。
「マッキアート」とは「しみ」という意味です。
黒いコーヒーに白いミルクで「しみ」を落とすということですね。
カプチーノの小さい版みたいなものですがカプチーノよりエスプレッソのコクと味わいがよくわかると思います。
「illy(イリー)」などイタリア系の喫茶店には置いてありますので、ぜひ一度飲んでみてください。
さあ、それでは僕もエスプレッソを飲んで仕事に戻ります。
皆さんもイタリア人にならって言ってみましょう。
「Un caffe perfavore! (ウン カッフェ ペルファボーレ)」
それでは また! Ciao!
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江戸・東京を旅しよう
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「明治時代、文学の足跡を辿るたび」〈9〉
〜漱石・鴎外・一葉の東京と作品を訪ねて〜
■鴎外荘跡
では皆様、これから森鴎外の処女作「舞姫」(まいひめ)が書かれた、通称「鴎外壮跡」に向かいましょう。 現在そこは「ホテル水月」になっておりまして、ここ旧岩崎邸からは、不忍池のちょうど反対側、距離にして1kmちょっとで複数の行き方があります。不忍池を右手に見ながら不忍通りを根津方面に進み、途中、「横山大観記念館」に寄ってみるコースも捨て難いのですが、今日は不忍池の中を通り抜けるコースで行ってみましょう。弁天堂から天竜橋、その途中、世にも不思議な「めがねの碑」や「カナリヤの碑」を観光?しつつ動物園通りで左折しまっすぐ行くと「鴎外壮跡」が見えてまいります。 島森鴎外は、10歳の時、生国の島根県から父親とともに上京しています。その後、東京で何度か引越しをしていますが、この「鴎外壮跡」は、鴎外がドイツ留学から帰国した1年後、最初の結婚をした際、奥さんと住んでいたところで、鴎外はここで処女作「舞姫」を書きあげています。森鴎外28歳の時です。 |
■舞姫の謎
「舞姫」は、鴎外自身が22歳から26歳まで留学したドイツでの恋愛体験が色濃く反映された謎多き小説です。国家と森家の期待を背負いドイツに留学したエリート青年・森鴎外は、そこでエリスという名の女性と恋に落ちます。しかしながら、鴎外青年は、エリスをドイツに残し一人で日本に帰国します。
ところが、なんとエリスは、鴎外帰国の4日後、単身鴎外を追って横浜港に下り立ちました。しかしながら、森家一族は、エリスを説得しドイツに帰してしまいました。直接鴎外とエリスが日本で会ったのかどうかははっきり分かっていません。その直後、鴎外は見合いで結婚をします。相手の女性は、海軍中将で男爵家のご令嬢。鴎外は結婚直後、エリスとの恋愛体験を基に、初めての小説「舞姫」を一気に書きあげました。
この小説「舞姫」にはそれにまつわる3つの謎があります。先ず一つ目です。作家・森鴎外は、小説「舞姫」の中で、最後にエリスのモデルとなったエリーゼを発狂させていますが、現実のエリスが発狂した形跡はありません。作家・森鴎外が何故エリーゼが発狂する設定にしたのかは、今でもいろいろな解釈がなされるところであります。
二つ目の謎は、「舞姫」を書いた直後の離婚です。28歳で結婚し、わずか1年のスピード離婚でございました。鴎外と夫人との間には男の子が生まれたのですが、生まれてまもなく、夫人の留守中に鴎外はこの家を出て千駄木に引っ越ししてしまい、その後離婚が成立しました。離婚の理由については今も多くの説があります。例えば、夫人の実家が華族であり、森家との家の格の差がありすぎた、とか、鴎外は、けっこう容姿にこだわる人で夫人の器量が気に入らなかった、あるいは単純な嫁姑問題、などですが、勿論、エリスとの悲惨な別れの影響説も有力です。でもまあ、男と女のことですから、要するに真相は分かりません。
三つ目の謎は、小説ではない現実のエリスの存在そのものの謎です。彼女のことはよく分かっていません。誰であったのか特定できていないのです。また、彼女は鴎外を追ってドイツから日本に来た後ドイツに帰ったのですが、その後彼女がどういう人生を送ったのか?
いろいろと調査研究されていますが、はっきりしたことは分かっていません。鴎外とエリスは、エリス帰国後も手紙のやり取りをしていました。しかしながら、鴎外は晩年自らの死期を悟った時、エリスから来たそれら全ての書簡を燃やしてしまったそうです。
(・・・次号へつづく)
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それでは 次回 又 お元気でお会いしましょう。
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