阪急交通社お客さま新聞


みなさーん お元気ですか? 「阪急お客さま新聞」編集部の田中です。

みなさん ご存知でしたか?
「ため息をつくとしあわせが逃げていく」のだそうです。
ため息をつかないで しあわせと寄り添いながら生きていきたいものですね。

さあ それでは 今号から新しいライター“こたにん”の登場です!!
さてさて“こたにん”はどんなお話をしてくれるのでしょうか?



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突然ですが!十和田湖は青森県?秋田県?どちらでしょうか?

みなさん、はじめまして。首都にすむ関西人の「こたにん」です。よろしくお願いします。


今回は、初回ということで先日旅行に行った「十和田湖」について書いてみたいと思います。

十和田湖、ご存知でしょうか、訪れたことはありますか? 青森県と秋田県の県境(正確には青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町にまたがる地域)にある面積 61.1 km²、周囲長 46.0 km、最大水深27.0 mの日本第12番目の面積規模の湖です。下の写真は昨年の10月頃に行ったときに撮影した写真です。

十和田湖

湖畔には高村光太郎作のブロンズ像「乙女の像」があり、観光用の遊覧船なんかも運行しています。湖の周囲の道路をドライブすると快適です。十和田湖畔温泉もあり、旅の疲れを癒すことができますよ。

十和田湖

ところで、この十和田湖、青森県と秋田県のどちらに帰属するのかご存知ですか?
実は、昨年の12月25日まで湖面はどちらの県でもなかったのです。江戸時代、十和田湖全体が南部藩に属していたのですが、明治時代(1871年)にあった廃藩置県の際に東岸が青森県、西岸が秋田県とされたのです。ところがその線引きは明確ではなく、湖面の境界線も未画定のままだったのです。昨年開催された北海道・北東北知事サミットで、湖面の境界線を青森県6:秋田県4という割合で県境を画定することで合意したのです。その合意を受け、12月25日に官報告示がされました。これにより、廃藩置県以来137年ぶりに県境が確定したとのこと。
この県境確定によって、地方自治体にとっては喜ばしいことがあります。面積が増えますので国からの補助金、すなわち地方交付税交付金が増額分配されます。その規模は試算によると6,000万円規模とのこと。その一部は、十和田湖の環境保全や景観対策に使われる方針とのことです。観光地の環境が保護され、将来にわたってこの美しい景観が保全されるといいですよね。
他にも県境が決まっていないところはあるのではないかと思い、インターネットで調べてみますと、日本にはところどころあるようです。たとえば、わかりやすいところですと「富士山山頂部から東側のエリア」。確かに地図を見ますと県境が切れております。みなさんも一度インターネットの地図サイトで見てくださいね。

 そんな十和田湖ですが、観光地として有名な「奥入瀬渓流」は十和田湖から流れ出ています。銚子大滝、阿修羅の流れ、などが有名ですよね。渓流沿いには遊歩道が整備されていますので、十和田湖畔でタクシーに乗って、阿修羅の流れあたりまで行き、そこから十和田湖畔まで歩いて戻るとちょっとした運動(ウォーキング)にもなります。自然を満喫できますよ。下の写真は、その銚子大滝や阿修羅の流れ付近の写真です。

 

 <銚子大滝>  <阿修羅の流れ>
銚子大滝   阿修羅の流れ

 


はじめての原稿でしたが、いかがでしたでしょうか。
「阪急お客さま新聞」では、みなさんの旅の思い出もぜひお聞かせください。それでは!


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江戸・東京を旅しよう
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「明治時代、文学の足跡を辿るたび」〈2〉
〜漱石・鴎外・一葉の東京と作品を訪ねて〜


■「喜久井町」と「夏目坂」の名付け親は漱石のお父さん!?

 

  夏目坂 前回申し上げましたが、漱石は慶応3年(1867年)1月5日、牛込馬場下横町で生を受けました。今の地名で申しますと「新宿区喜久井町一番地」なんですが、この喜久井町という地名、夏目家の紋章が菊であったことから、漱石の父直克が名付け親でございました。そして、今、私が立っている「夏目坂」を命名したのも又、直克でございました。これらのいきさつは、漱石の随筆『硝子戸の中』で次ぎのように書かれています。

「私の家の定紋が井桁に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使つて、喜久井町としたといふ話は、父自身の口から聴いたのか、または他のものから教はつたのか、何しろ今でもまだ私の耳に残つてゐる。父は名主がなくなつてから、一時区長といふ役を勤めてゐたので、あるいはそんな自由も利いたかも知れないが、それを誇にした彼の虚栄心を、今になつて考へて見ると、厭な心持は疾くに消え去つて、ただ微笑したくなるだけである」(「硝子戸の中」より)

 

 


江戸は元禄時代から続く牛込の名主であった夏目家の当主直克は、新生明治の町名を、夏目家にゆかりあるものにしたかったのでございましょう。まあ、名主というものがいかに力があったのかを示すエピソードでもございます。

■漱石、終焉の地も又「早稲田」

 

 夏目坂から神楽坂方面に、住宅街の込み入った路地を歩くこと5分ほど。私、尾上一途(おのえ かずみち)、弁天町にある「漱石公園」にやってまいりました。殺風景な園内に漱石の胸像と「猫塚」と呼ばれる石塔が寂しく建っています。漱石の死後、遺族は借家であったこの土地と家とを購入して建てかえ、庭に猫・犬・小鳥たちを供養するための石党を建てました。その後夏目邸は昭和20年の東京大空襲で全焼し、今は昔日を偲ぶよすがとしては、漱石公園と猫塚、漱石の胸像のみとなっております。
夏目漱石が小説家として世に認められるようになったのは、明治38年(1905年)に「ホトトギス」に連載された「我が輩は猫である」といわれています。あっ、それから、漱石が生まれた次の年が明治維新ですから、漱石の年齢は明治の年代と同じになります。例えば、明治38年は漱石も38歳です。分かり易くていいですよね。そしてこの明治38年、漱石は教員生活に別れを告げ、プロの作家として生きていくことになり、それまで住んでいた本郷から、今、私が立っているこの場所、早稲田の借家に引越し、その後、亡くなるまでここで暮らしています。「三四郎」「それから」「門」「行人」「心」「道草」といった漱石不朽の名作は、この早稲田の家で執筆されたものでございます。そして漱石は、大正5年、遺作となる『明暗』を執筆中に50歳で亡くなりました。胃潰瘍が原因といわれております。
漱石は小説以外にも多くの随筆や紀行文を書いていますが、この早稲田界隈を舞台題材としたものがたくさんございます。漱石はこの街、早稲田をこよなく愛していたのでございましょう。
  漱石の胸像

 


■都の西北・早稲田大学
ところで皆さん、先ほどから「早稲田、早稲田」と早稲田の名前が何度も出てきましたが、ここ早稲田まで来て早稲田大学を避けて通る訳にはまいりません。次の目的地「雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)」には、路面電車・都電荒川線で訪れますが、早稲田停留所には、ここ漱石公園からは早稲田大学のキャンパスを通り抜けて行くことにいたしましょう。ということで、私、今、大隈講堂を背に早稲田大学・正門の前に立っています。
さあ、ご一緒に早大キャンパスに入ってみましょう。

(・・・次号につづく)


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お客さまから頂いたお声紹介コーナー
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それでは今回もお客さまから届いた声をご紹介しましょう。
声をお寄せいただき、ありがとうございます。

阪急お客さま新聞復活万歳!!ありがとうございます。以前のように紙の新聞が良かったですが、慣れてしまえばペーパーレスもいいものですね。(御免なさい、記事を読めない皆様)
もう一度行きたい国は沢山あります。強いて挙げるなら二ヶ国、1つはイタリア。何と言ってもミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ヴァチカン市国、ローマの歴史的建造物は圧巻です。食事も買い物も良いですね。2つ目はトルコです。独・英・仏やスペインには無い何か不思議な国、食べ物が美味しく人々が本当に人懐こくて親切でローマ遺跡の数々をもう一度見たいですね。
(青木 武さま) 

私(田中)もイタリア、トルコどちらも大好きです。
遥か悠久の昔のモノが今現在も脈々と存在し、歴史の奥深さを教えてくれますね。
遺跡も食べ物も芸術も、ホンモノに接する、感じるという行為は自分自身に何かをもたらしてくれます。TVやインターネット、雑誌で感じることとは全然次元が違います。地元の人達とのふれあいも現地に行ってこそ味わえるものです。
それもこれも旅で得られる大切な財産ですね。

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観光中のトイレの使用状況について、感じたことです。
女子トイレはどうしても行列ができてしまいます。そのような時に男子トイレを使用する女子を時々見かけます。自分達のグループだけで使っている時でしたら、仲間内の了承ですみます。
しかしルールを守って順番待ちしている女子がいる横を平然と男子トイレに入る女子をみかけることがあります。私が遭遇した例では「トラピックス」のマークを付けた方が多いです。
ロシアのエルミタージュ美術館では、行列していたロシアの女子学生たちがこれを見て、指差しをして怒っていました。係員が聞きつけて注意し使用を禁じました。
そこで出発時空港で初めて集合し、添乗員の方から色々と話がありますが、この時に女子のトイレの使用にあたって節度を守るよう提案していただくのはいかがでしょうか。「トラピックス」しいて言えば「日本人」はマナーが悪いと世間に示したくありません。
(T.Mさま)

旅はあくまで現地の人々の生活圏におじゃましているのですからある程度のマナー
が必要です。「旅の恥はかき捨て」ではいけませんね。トラピックスのお客さまには旅のマナー集をお渡ししたり、添乗員から逐次ご案内をしたりしているのですが、皆様は立派な大人ですので、あまり執着し過ぎると失礼にあたります。ちょうどよい頃合が難しいのが実状です。Mさまのおっしゃることはごもっともです。マナーでは世界に誇れる日本人観光客になれると良いと思っております。ありがとうございました。

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***今月のお題***
元気に旅するために日頃から行っている あなたの「健康法」を教えてください。
楽しいコメントお待ちしてまーす!
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それでは、その39はこのあたりで。次号も元気でお会いしましょう!

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