みなさん、お久しぶりです!東京もいよいよ寒さが厳しくなってまいりました。
風邪などひかれていませんか?
では、今月のお客さま新聞をご覧下さい! 

       *contents*
☆イタリアコラム 〜スーパーの番人〜
☆お客さまの声 〜旅行の選び方、他〜 
☆社員のないしょ話4 〜アメリカ人との会話、英語の韻〜
☆続!江戸・東京を旅しよう 〜明治時代、文学の足跡を辿るたび1〜




スーパーの番人

アパートの近く、ローマの青山通りといわれるコーラディリエンツオ通りに
毎週買い物に行っているスーパー「スタンダ」があります。
そのスーパーの出口のドアの所にいつもおっちゃんが立っていて、
お客が買い物袋かかえて出口へ来ると、ドアを開けてくれるのです。

ちなみにこのおっちゃんはお店の人ではありません。
片手にはコカコーラの紙コップを持っています。
小銭を入れる為の・・・

最初の頃は頼みもしないのに、勝手にドアを開けてお金をせびろうなんて、甘いよ!
と思って無視していましたが、段々愛着が湧いてきて、時々ですが、
小銭(日本円でいうと10円〜20円くらい)をあげるようになってきました。
そうすると彼も「グラツイエ シィニョーレ!」といいます。

そのうち僕の方も小銭をあげるのが気持ちよくなってきて、たまにおっちゃんがいない時など
「あれっ?今日はいないな、どこ行っちゃったのかな?」とあたりを探したりしてしまうのです。

こちらではこのほどこしの精神(あげる方ももらう方も)とても自然で
そこには卑屈さや後ろめたさ、周りの目を気にするなんていうことはほとんどありません。

ヴェネツイアにいた時、道端で大声で叫んでいる男がいました。
よくよく聞いてみるとこう言っていたのです。

「今 1ユーロあったら俺はパニーノを食べるんだー!
  今1ユーロあったら俺はパニーノを食べるんだー!
 (だから誰か俺に1ユーロ恵んでくれ〜!)


いやはや このたくましさ、生命力の強さ、図々しさ、屈託のなさがイタリアを支えてきたのかもしれません。

(文・田中 慎二)



お客さまの声

【旅行の選び方】

年齢的に安全なところを選んでいます。身体的に汗の出る季節を避けています。
(70代 S・T様)

あまり盛りだくさんで何カ国もまわらないで、本当に見たいところをゆっくりするツアーを選んでいます。
2回目からは2〜3カ国をまわるのは良いと思います。
(60代 M・I様)

 まず、歳をとって行けなくなる前に遠くから。暇とお金が許すならまず南極や北極ですね
。次は世界遺産その中でも絶景といわれるところ。そして古代遺跡も興味があります。
また化石のとれるところもいいですね。3番目はちょっとミーハーのところで(ちょっと古い?)
ニューヨーク、パリ、ロンドン、クレムリン。結局なんでもよかったりして。
つまりは非日常を求めるということであったり、好奇心の赴くままということになります。
(50代 匿名希望)

*編集部より*
旅行先が変わらなくても、同行される方々が違えば楽しみも殊更と思います。
旅行は非日常と言われますが、旅行仲間は沢山いらっしゃった方が楽しいですね。
これで渡航先の意見が合ったら素晴らしい旅行が約束されたようなものだと思います。


【今年はどんな年でしたか?】

今年は東北に六回も足を運びました。一人旅です。
小学校同期会、学校の最後の同期会、職場の50周年記念パーティ、一周忌、三周忌と
パワフルな、モザイクのように刻まれた2007年でした。来年は外国ツアーにと思っています。
(70代 S・T様)

6月にスペイン・ポルトガル13日間、8月にロシア、11月にペルーに行ってきましたが
毎回天候に恵まれ、楽しい旅ができて良い年でした。
(60代 M・I様)

正月は中国の桂林にいました。ガイドのショウさんとお友達になりました。
帰国後は手術が待っていました。長い一ヶ月でした。
ゴールデンウィークは九寨溝・黄龍に行きました。かわいくて、とても30歳には見えない
ガイドのソウさんにお会いしました。帰ってからまた手術が待っていました。
夏休みはオーストラリア、ケアンズ、ウルル、シドニーでした。素敵な方にお会いし--------いつのまにか
12月になってしまいました。先日、定期検査の結果を聞きに行きましたら年明けに手術ということでした。
年末はまた海外の予定です。無論、ドクターは問題ないとのことです。
(50代 匿名希望)

*編集部より*
ご旅行の計画も皆様それぞれのようですね。
盛りだくさんのツアーも楽しいですが、じっくりと1国ずつ見て歩くのも素晴らしいと思います。
なにはともあれ、お体を労わってお楽しみいただけますようお願い申し上げます。


【ツアーの旅から読書の旅へ】

二年前に参加させていただいた韓国ツアーでメディアに魅せられ、
ヨン様のデビュー作からDVD全作品を購入して丁寧に見ました。
「冬のソナタ」を演出したユン・ソクホ監督の「愛の挨拶」の中で学生が
ゲーテの「ファウスト」とドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」をキャンパス内で読んでいました。
わたしは若い時に読まなくちゃと思いながらも読んでいませんでしたので、早速買ってきてこの九月
「カラマーゾフの兄弟」を読破しました。不思議な書です。
これを読み上げたら、この本を読んでいるであろう人と話したくなり、郷里にとびました。
甥が教わったという国文学の先生宅にお邪魔してドイツワインを土産に二時間余り話しました。
その先生との約束で、フランス人のマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を読んでいます。
全十冊ですが、いま四冊目に入りました。来年早々ツアーでフランスを訪れます。
12月半ばまでには十冊、全部読み終える計画でいます。
(70代 S・T様)

*編集部より*
旅行から興味が始まり知識が増えるという事は良く聞きます。
ただ青年時代の一冊の感想から国文学の先生とお話することも凄い実行力ですが、
その後は仏文学を読破中とのこと、ご旅行が生活の1ページになったこと嬉しく拝見させて頂きました。



【旅の想い出を形に】

今年6月29日〜7月8日トラピックス「感動のスイス・ゴールデンルート」に参加さていただきました。
あまりにも美しく、楽しかった旅の想い出をカードに書き残そうとまずは100景を目指してスタートいたしましたが
8月より書きはじめ、あれもこれもと結局250景を目標に作品集の制作が進行しております。
大晦日までに仕上げるつもりでございます。
多ければ良いというものではありませんが、ゴールデンルートの道中を私なりの構図で描き続けております。
ルートはダヴォス、サンモリッツ、氷河特急でツェルマットへ、そしてグリンデルワルト、そしてユングフラウヨッホ、
シャモニー、ジュネーブ、ベルン。


マツモトミノル作品集「スイスの旅 250景を描く」のポイント。
淡彩画を始めて丸5年が経過いたしました。当初は全く絵になりませんでした。
トラピックスさんのおかげで毎年ヨーロッパ(イングランド・南イタリア・中欧・フランス・スペイン、ポルトガル・
そしてスイス)を旅しております。絵はこつこつと努力をしていくと少々はレベルも上がります。
旅の想い出をカタチに残し、旅行後も再び楽しむことができます。
自分独自のアイデアでおもしろい作品をつくることが可能です。
(60代 M・M様)

*編集部より*
スイスを訪れた際の感動から絵を描き始め、半年で250枚もの作品を完成させたとのこと、
とても素晴らしい事と思いました。最初の1枚が100枚になり、今ここまで到達した事は、
その時の感動がまだ続いているからなのだと思います。
絵画は書き手の心のフィルターを通した風景と聞いたことがあります。写真と違った暖かさは、
そんな作り手の想いがこもっているからなのだと感じます。



社員のないしょ話4

こんにちは。村山です。
もう師走に入り、あっという間に1年が過ぎようとしていますが、いかがお過ごしでしょうか。
また、皆様には本年もお客さま新聞をご愛読いただき誠にありがとうございます。
お蔭様で無事に本年最終号の発刊ができました。これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

さて、
今年はみなさんにとってどんな年でしたでしょうか。心に残る「旅」はありましたでしょうか?
みなさんは海外旅行へ何度もお出かけになっていると思いますが、現地の人と交流したり
日本にいながら交流なんていう経験はありますか?

「社員のないしょ話4」では、国際交流をしている社員にその話を聞いてみました。


みなさん、こんにちは!東京の某部署で働く者です。
私は仕事では一切、日本語以外の言葉は使わないんですが海外の友達ができてから
英語や時々韓国語(ほとんど単語だけ)、を話しています。
私は語学が好きな方で、読み書きは少しできますが会話となるとう〜ん、旅行ができるくらいの語学力です。
「外国語の壁は厚い!」と凹むこともありますが人と交流することに興味があるので、身振り手振りを交えながら
片手には辞書を持ち仲良くなろうとします。そして友達を作ると語学を教えてもらえたりもするのでちょっとお得!?
学校では学べない、生きた英語が学べるから、会話に強くなること間違いなしです!

この前、アメリカ人のJ君と一緒にスーパーに買い物に行ったときの話を少ししたいと思います。

夕飯に友達数人を誘って鍋をしようと食材を買い、支払いをしようとレジに並んでいました。順番が来たときに・・・

J君  「I will buy, if you fly」

と言って私に会計をさせてくれません。何を意味しているのか私にはさっぱりわかりません。一体なんだろう?
わかる方いらっしゃいますか?これがわかる方は英語の達人です!
J君の言っていたことをそのまま読むと「あい うぃる ばい いふ ゆー ふらい」
直訳すると 「もしあなたが飛んだら、私は買います。」

私  「え?私が飛ぶの?どういうこと?」

そこでJ君は日本語交じりで説明してくれました。

J君  「I will buyの意味は、私が買います。If you flyの意味は、あなたが飛んだら。」

私  「あ、直訳はわかるけれど・・・、なんで私が飛ぶの?」

さて、なんだと思いますか?ここでピンときたら、すごいですよ!

 J君  「Ah・・・『あなたが飛ぶ』は、あなたがdrive a carです。あなたが車を運転したら、私は買います。」

ふむふむ、だんだん見えてきましたね。
J君は、私が車を出すのなら会計はするよ!と言ってくれているのです。
それにしても、なんで「fly」飛ぶ なんでしょう?聞いてみました。

J君  「それは〜、『買う』が『buy(ばい)』で『飛ぶ』が『fly(ふらい)』で音が似ているでしょ。
     
だから運転するは『drive』だけど、それは使わないんだよ。」

ほほ〜、なるほど!スッキリ!スッキリ!
それにしても、日本語でも「韻を踏む」とはありますが、英語でもあるんですね。
おもしろい。また機会がありましたら、他の国の友達の話をしましょう。それでは、チャオ!



江戸・東京を旅しよう

明治の文学とその足跡を巡るたび1


〜漱石・鴎外・一葉の東京と作品を訪ねて〜


皆様、お久しぶりでございます。私、尾上一途(おのえ かずみち)、
江戸は元禄の時代から一旦は平成の世に戻ったのですが、
編集部より急かされ、一息入れる暇もなく今度は明治の時代にやってまいりました。

明治--それは、文学が時代の先頭を走っていた時代多くの偉大な文学者や小説家を生み出し
彼らが、その時代に生きる人々に大きな影響力を持っていた時代でもありました。
そこで、私、尾上一途、今回は皆様を明治時代・文学の旅にお連れすることにいたしました。
題しまして
「明治時代、文学の足跡を辿るたび、漱石・鴎外・一葉の東京と作品を訪ねて」
(ちょっと長いですが、、)

今回は、時代を代表する三人の作家、夏目漱石、森鴎外、そして、5千円礼にもなりました樋口一葉の
3人の「人生」と「作品」とを辿りながら、明治時代を皆さんとご一緒に楽しく旅してみようと思います。

さては、約300年続いた江戸時代、それはそれで非常に安定し平和な時代でもありました。
島国であることを最大限に活用した「鎖国」政策により、治安の維持は保たれてきましたが、
さすがに国際情勢がそれを許しませんでした。
幕末期、海の向こうでは、政治・経済・思想等等、いたるところで、また、様々な分野で、
ものごとが大きく変化し発展していくなか、日本は大きく取り残されていたのでございます。

■漱石誕生

1867年10月14日、永遠に続くかと思われた江戸・徳川時代が終わりを告げました。
大政奉還がなされたのです。そして、この日を遡ること9ヶ月前、同じ1867年の1月5日
江戸牛込馬場下、現在の東京都新宿区喜久井町(早稲田界隈)に一人の男の子が生まれ
金之助と名付けられました。後の文豪--、夏目漱石の誕生です。
又、後に漱石の友人となる正岡子規や、海の向こうでは、2度のノーベル賞に輝くキュリー夫人が
同じく1867年に生まれています。この1867年という年は、国内では大政奉還があり
海外ではパリの万国博覧会が開かれた年でもございました。

■漱石の両親

漱石の父、夏目直克(なつめ なおかつ)は名主(なぬし)でございました。
名主という呼び名は主に関東で広く使われていたもので、関西などでは庄屋、東北では肝煎(きもいり)とも
呼ばれておりましたが、この名主というものは単なる百姓・農民ではございません。
戦国時代からの有力者も多く、江戸時代においても、代官の命令を受け、年貢の取り立てをはじめとする
村社会のほぼ全てを司っており、士農工商でいえば、農民に属したものの、非常に強い権力と高いプライドを
持っておりました。ちなみに漱石の母は御殿女中を努めた千枝(ちえ)という名の聡明な女性でございました。

漱石は、明治維新を翌年に控えた1867年、当時としては特権階級に属していた家柄の夏目直克、千枝夫妻の
五男三女の末っ子として、我が国文学の歴史に偉大な足跡を残すべくこの世に生を受けたのでございます。

■旅のスタートは、早稲田

さて、私、尾上一途、先ずは早稲田にやってまいりました。早稲田は、夏目漱石、生誕と終焉の地でございます。
生まれたのも亡くなったのも両方とも早稲田ですが、同じ場所ではありません。
生まれた場所の付近には、現在「夏目坂」と呼ばれる坂があり、私は、今、この夏目坂を登りきった場所に
漱石生誕を記念して建てられた石碑の前に立っています。
さあ、皆様、ここ漱石生誕の地----早稲田が
「明治時代、文学の足跡を辿るたび」のスタート地点でございます。
【つづく】

※一定期間を過ぎた画像はリンク先が切れていることがあります。ご了承ください。