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○イタリア人の誕生日の祝い方
○お客さまの声
○社員のないしょ話3
○江戸・東京を旅しよう 最終回


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イタリア人の誕生日の祝い方
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イタリア人は自分の誕生日が休日にあたるとホッとします。
家族や恋人と一緒に過ごせるから?
そうではありません。

日本では誕生日には家族や友達からお祝いやプレゼントをもらいますよね。
ところがイタリアでは誕生日の人が周りのみんなにお礼としてお菓子などを
くばるのが慣習なのです。

うちのイタリアのオフィスでもしょっちゅうお菓子の詰め合わせが廻ってきました。
「チャオ田中!どうぞ!今日は私の誕生日なのよ」
とスタッフ全員を廻っていくのです。

イタリア人は老若男女とも甘いお菓子がだ〜い好き!
誕生日の人がそうやって回りの人を祝うと結果的にたくさんのお菓子を
食べられるということなんですね。

そして心から誕生日の人を祝うことができるーという面もあるかもしれません。
誕生日の人も自分がここまで来れたのも皆さんのおかげです。
ありがとう・・・なんてこの考え方はいかにも日本人チックな考え方ですね。
こんなこと考えてるわけありません、イタリア人が。
ははは

ちなみにハッピーバースデーをイタリア語で言うとコンプレアンノ、
おめでとうはアウグーリです。
(文・田中 慎二)



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   お客さまの声
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【2007年旅ばなし】

9月3日より「魅惑のペルシャ物語」に行って参りました。イヤー、素晴らしかったですヨー。
食事はイスラム圏なのでチョット・・・ですが、ホテルはどの都市も大当たり。ステキでしたよ。
憧れだったペルセポリス。

あー、ここにかのアレキサンダー大王が立ったんだ!

ペルシャンブルーって聞いてたけどこの圧倒されそうな美しさ。
素晴らしい一言。
人びとがフレンドリーなのにはビックリ。時々日本で働いていたという人とおしゃべりをしました。
スカーフをしていなくてはいけない。暑いのに長袖でいなくてはいけないという不自由さはあるけれど、
行ってみる価値は充分あります!是非オススメ!
(50代 K・M様)

いつも新聞を拝見させていただいています。
今年の三月にスペインツアーに参加しました。
アンダルシアの火祭りを見られた時で、参加者全員タバコを吸わなくて本当にいい旅でした。
禁煙のツアーなら安心して参加できます。
添乗員さんはとても明るく、ハードスケジュールなのにいつも元気で感心しました。
スペイン仲間は今でも時々会っています。
(50代 S・S様)

貴社のツアーは毎回旅行するたびにもう一度行きたい衝動に駆られます。
添乗員の応対、それぞれの国の話題を取り入れており勉強になります。
私はイタリア、シンガポール、エジプト、ポルトガル、ロシア、チュニジアと廻り、
今度はクロアチアと思ったが、良い日は満席で、やむを得ず来年にまわして、
今年最後の旅行はモロッコとなりました。今から楽しみです。
前にエジプトでご一緒だった方が醤油のミニパックを持参され、
料理が和風に変わって食が進むので
今回は持って行こうと思っています。
(60代 N・S様)

編集の仕事の関係上、出発日も値段の高い日になりますが、ずぅーっと阪急さん
一筋です。他の会社を使ったことはありません。
今年の8月9日、「煌きのクロアチア・スロベニア12日間」に参加しました。
素晴らしいドウヴロヴニク、美味しいシーフード、五つ星のホテルのアドリア海での
プライベートビーチ、何もかもが素晴らしい思い出となり、主人ともども大満足でした。
添乗員の内山様はアドリア海のクルーズまで企画してくださり、参加させていただきました。
海から見るドウヴロヴニクはまた格別でした。
今年の年末は家族でカリブ海クルーズを申し込みました。
これからも阪急さんでずぅーっと旅行に行きたいと思います。
人生に残る旅をこれからもよろしく!!
(60代 Y・S様)

*編集部より*
ペルセポリスからの眺め。ペルシャンブルーの美しさ、想像が難しいですね。
でもきっと素晴らしかったに違いません。とても羨ましい限りです。
今まであまり馴染みのなかった地域にも近頃はツアーが出るようになりましたので、
チュニジアやクロアチアにお出でになると他の国とまた一味違った感想をお持ちに
なるようです。 羨ましいですね。


【いろいろな声】

定年退職の少し前から年に3〜4回、海外旅行を楽しんでいます。
少し前に妻を亡くしてからは一人参加です。
旅行会社はいろいろなところを利用してみましたが、最近はスケジュール、
費用、添乗員の質の高さなど全ての面で阪急さんがすぐれていることがわかったので
もっぱら阪急さんです。
以前は一人部屋追加料金の高さに泣かされましたが、今は特別料金設定日を設けてくれる
コースも企画してもらえるようになり出来るだけそれを利用しています。
もっと拡大していただくと利用しやすくなると思いますので宜しくお願いします。
二回ほど相部屋で旅行してみましたが、あまりにもひどい人との相部屋に懲り懲りし、
以来一切相部屋は希望していません。
これからは団塊の世代の大量退職が始まります。
いろいろな事情で一人で旅したい、せざるを得ない人も増えると思います。
一人旅の人の需要を掘り起こすことも経営上のポイントだと思います。宜しくお願い致します。
(60代 Y・I様)

私の旅の思い出に残っている出来事が一つあります。
それは添乗員クリハラさんです。ラスベガスの旅行中、送迎バスでご一緒になり、
その時に大変お世話になりました。
それから半年後、ローマにて。トイレから出たときに主人が驚いたような顔をしていたのですが、
あの添乗員クリハラさんとバッタリ再会したのです。
覚えていて下さっていました!私は訛りの強い方ですから印象強かったのではと思います。
海外・国内と全て阪急さんでお世話になりましたが、今まで旅のお仲間と再び
会うことなど絶対ありえませんでした。
阪急さんには何千人もの添乗員さんがいらっしゃるのではと思いますが、こんな偶然ってあるんですね。
クリハラさんにもう一度お会いしたいのですが、今頃世界中を駆け巡っているのではないでしょうか。
(70代 T・S様)

最近、テレビ等で「フランスのブルゴーニュ地方」「バルト三国」を見て、是非行ってみたいと思っています。
それぞれ見所がたくさんあるようです。特にブルゴーニュの10月頃は大変興味あります。
阪急さんでその辺のツアーを計画していただけたらと思います。
(70代 K・T様)

毎回興味深く拝見しております。クリスタルハートとトラピックスを利用している者です。
ツアーの要領がわかってきたこの頃ですが、クリスタルハートの品質で
「一国をベストシーズンにじっくり(15日前後:荷物が20キロの制限におさまるころあい)周遊する」
ツアーをたくさん企画して下さい。
最近は私の要望にかなうツアーはユーラシアや旅のデザインルームにありますのでこれに参加しています。
またイヤホンガイドは必須ではないでしょうか。
阪急は旅行説明会が大変充実しているので事前の情報をしっかり知ることが出来ます。
要望にかなうものがあれば是非参加したいと思っております。
(60代 T・M様)


* 編集部より *
相部屋のご希望は非常に多いのですが、ご指摘のように現地に入ってから
問題がでた場合、部屋の確保の問題が難しく実施に至らないのが現状の様です。
現在実施している「お一人様参加歓迎出発日」をご利用頂ければと思います。

弊社のお客様はご参加の回数が多いので、よく現地でバッタリ再会とか、
添乗で再会といった声も聞かれます。
たまたま、添乗で再会された場合はとても和気藹々としたツアーになるようで、
アンケートの文面からもその感じが伝わってきて嬉しくなります。

ツアーの企画は常に担当者の悩みとなっています。特に新設コースとなると、
失敗してはならじと、非常に真剣です。
そんな訳で発表しても反応が少ないと直ぐ引っ込めてしまいます。
皆様が面白いコースを見つけられた時直ぐにお問い合わせ頂けれは、
もう少し新コースの催行が増えるかもしれません。宜しくお願いしたいと思います。


【一年で何回旅行する?】

〜2006年の場合です〜

国内・・・8ヶ所
1.南紀     2.佐渡    3.万座温泉   4.伊香保温泉
5.上高地・志賀高原  6.高湯温泉  7.熱海・箱根  8仙石原・山中湖

海外・・・15ヶ所
5度.中国(北京、厦門、西安からウルムチ、南京、江南、)  
6.ハワイ 7.東カリブ 8.クロアチア、スロベニア、モンテネグロ 
9.アラブ 10.印尼、バリ島  11.韓国 12.西カリブ 13.エジプト 
14.マレーシア 15.フランス
(60代 M・D様)


*編集部より*
1年で何回旅ができるか・・。
旅行の仕事をしている身でも、1〜2回という場合もあります。紺屋の白袴ですねぇ。
これでは添乗員さんでもかなわないですね。

 

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  社員のないしょ話3
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こんにちは。寒くなってきましたが風邪などひいていませんでしょうか。
前号に引き続きフランス滞在経験社員によるパリ話。今回は「食」の話です。

私たちがよく呼ぶ「フランスパン」。長い棒状のパンです。
それをフランス語で「バゲット」といいます。
日本で売られているものは、本場フランスよりもちょっと柔らかめにできています。

とはいっても、食べるのになかなかちぎれなかったり、あごの力を必要とします。
パンもしっとりとはしておらず中もスカスカ。
もしかしたらあまり好きではない人もいるかもしれませんね。

でもシンプルなつくりなのに味がしっかりしている。
これが食べ続けられている魅力なんでしょう。

モンパルナス駅前の道路沿いにあるパン屋・・・商店街にあるお肉やさんのように
ショーケースの中にサンドイッチがたくさん並べられています。そこで買います。

このサンドイッチ、日本でよく目にするサンドイッチと異なります。
フランスパンよりも細く、ちょっと短くしたようなサイズ(といっても40センチくらい)の
パンに生ハムやカマンベールチーズ、レタス、トマト、サラミなどをはさんだものがフランスのサンドイッチです。
そのパンは、見た目がとても硬そうですが、これがやみつきになるんです!

フランスで作られたこのパンが美味しいんです。日本では味わえません。
パンは実際とても硬く、噛み千切らないと切れません。
ん〜〜〜〜〜っと力を入れて歯とあごをしっかり使います。普段の食事では柔らかいものばかりなんですね。
あごが痛くなりました。きっとフランス人のあごと歯は丈夫に違いない。

サンドイッチをいただきまーすと食べ始めた友達が「おいしい!・・・あれ、鉄の味が・・!うわっ。」
なんとそのサンドイッチ、友達の唇を切ってしまいました。
血を流してでも「美味しい!」と毎日買って食べ続けましたが、みなさん、フランスのサンドイッチには充分注意してください

夕飯は大学の宿舎で食べていました。
なんと贅沢にも毎日三ツ星レストランなどで働くシェフの手料理をいただいていたのです。

みなさん、この生活が体にどんな変化を起こすかおわかりでしょうか。
そう、御察しの通り一週間経った頃には体重が3キロ増。
その後マラソンを一日の予定に加えたことは言うまでもなく。。。

日本でおいしいフランス料理が食べられる場所があります。
「プチ・フランス」と呼ばれる神楽坂。ここの坂がパリに似ているというのです。
神楽坂というと京都にも似た雰囲気をもっているのに、不思議ですね。

石畳の道路をみると私はやっぱりフランスを思い出さずにはいられませんが。
その神楽坂を上らず、市ケ谷方面へ掘沿いに歩くと日仏学院という語学学校が見えてきます。

その敷地内にあるレストラン「ラ・ブラスリー」オススメ
ボーイさんもフランス人だったりします。日本語ペラペラの方もいますのでご安心を。
ランチですと1500円くらいでコース料理を食べることができます。
フレンチだからといって気取った雰囲気は全くありません。
おしゃべりを楽しんで気軽にどうぞ!

私は時々ランチやディナーをしに行きます。友達を誘って。
そしてボーイさんに「ボンジュール!サヴァ?」と挨拶したり話したり、時には一人でしっとりと食べたり。

フランスに行きたくなったらここを訪れます。
海を越えていくのもいいけれど、日本のフランスを訪ねてみてもいいですね。
気分転換にいつもと違った旅へふらりと出かけてみてはいかがでしょうか。

フランスの旅はまだまだ続く・・・

 

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   江戸・東京を旅しよう 最終回
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忠臣蔵と元禄の風景

■金杉橋にも歴史がある

「金杉橋」にやってまいりました。
三百余年前、赤穂の義士達もこの橋を渡ったそうでございます。橋を渡れば、目指す「泉岳寺」はもうすぐで、長く短かったこの旅も終わります。赤穂の義士達には及ぶべくもありませんが、泉岳寺に近づくにつれ、私、尾上一途の脳裏にも旅の風景が駆け巡り、深い感慨が沸いてまいります。ところで皆様、この金杉橋、一見、何の変哲も無い橋に見えますが、この橋もこの橋なりに歴史を持っているのでございます。

この「お客様新聞」をお読みになっている方は、関東地方の方が
多いとご推察致しますが、一つ質問させて頂きます。

「皆さん、関東より西の人が、初めて鉄道で上京した際、
 車窓からの風景で「ああ、東京に来たんだな」と実感するのは何処だとお思いになりますか?」

ハイ、私もそうですが、多くの西方からの上京人にとって、それは品川なんですよね。けれども、品川が江戸と認められたのは近代に入ってからで、江戸は元禄の頃、西からの旅人が「ああ、やっと江戸に着いた」と実感したのはこの金杉橋だったのでございます。金杉橋は、江戸の中心--日本橋からちょうど一里、この辺り一帯の呼び名は、今と同じく「芝」。鎌倉時代から続く漁師町として栄えた庶民の町で、「芝で生まれて神田で育つ」というのが当時の典型的な江戸っ子でございました。


■ああ、泉岳寺!

金杉橋から「国道15号・第一京浜」を品川方面に歩くこと10分、右折して坂を上がれば、皆様、泉岳寺でございます。大石内蔵助を筆頭とする赤穂義士・四十七士が、悲運の主君--浅野内匠頭の墓前に、吉良上野介の首をたむける瞬間が近づいてまいりました。泉岳寺は、曹洞宗のお寺として、1612年、討ち入りの90年前、徳川家康によって外桜田の地に建てられました。その後、1641年の「寛永の大火」によって焼失し、同時に、今のこの地、高輪に再建されたのでございます。

今の本堂は、1945年の東京大空襲による焼失後、1953年に再建されたものでございます。中門と山門の間、先ずは、威風堂々、連判状を手に江戸城の方角をじっと見つめる大石内蔵助の銅像が目に飛び込んできます。山門をくぐり境内に入ります。泉岳寺は決して大きなお寺ではありませんが、『忠臣蔵』にとっては聖地とも言うべき場所でございます。赤穂の義士達が、主君浅野内匠頭の墓前に供える前に、上野介の首を洗った「首洗い井戸」。浅野内匠頭切腹の際、その血がかかったと伝えられる「血染めの梅」と「血染めの石」。遙泉院のお墓。大石内蔵助をはじめとする四十七士全員のお墓。
更に、討ち入り300年を記念し建築された「赤穂義士記念館」には忠臣蔵にまつわる貴重な資料が展示されており、常時ビデオも上映されています。それと、境内の周りには何軒か土産物屋店が並んでいます。扱っている物は、もちろん忠臣蔵にちなんだオリジナルグッズ。赤穂名産の塩を使った甘塩や塩味まんじゅう、義士せんべい、陣太鼓や忠臣蔵ハンカチに忠臣蔵灰皿、などなど。


■歴史の中で

今、私こと尾上一途、四十七士のお墓に線香を手向けています。
大石内蔵助・主税、堀部安兵衛、片岡源五右衛門、赤埴源蔵、不破数右衛門、大高源五、磯貝十郎佐衛門、神崎与五郎、矢頭右衛門七・・・・。
彼らは、英雄を目指していた訳ではなかったでしょうが、結果として、歴史と伝説の中の英雄となり、ここに眠っています。私達の世代が全て死に絶え、生存したことさへ誰も知ることがないずっと先の世においても、彼ら四十七士の物語は永遠に語り継がれていくことでしょう。
感傷とともに合掌。。。
【終わり】

「皆様、長い間のお付き合い、ありがとうございました。
 また、何れの時代かでお会いできる日を楽しみにしております」

                                 かずみち