<今月のヘッドライン>
○日本の粋
○お客様の声コーナー
○世界の偉人
○江戸・東京を旅しよう4
<日本の粋>
先日NHKでフランス人が「日本の粋」について話していました。「日本は素晴らしいですよ!パリが素敵な街とよく言われますが、私からみればモノトーンで単調な街です。日本には、未来的な超高層ビルが建っているその横に永井荷風が歩いた昭和初期のレトロな路地裏が混在しているのです。なんとも懐の深い街です・・・」
これを聞いて僕は 「ほお〜っ」と思いました。私達からすれば何百年も前の街並みを大切に保存して、街全体に統一感のあるヨーロッパの街並みを素晴らしい、日本のなんと無秩序で節操のない自分勝手なことか!と思っていましたが、外国人の目には そういうもの全てを受け入れ、活かすということを懐の深さと臨機応変さを日本の魅力と映ったようです。
(もちろんそのフランス人は日本語がしゃべれる日本通の人でしたので幾分贔屓目もあると思いますが・・・)又そのフランス人はこうも言っていました。「日本ほど外国料理が美味しい国はない!」と。確かに外国にある自国以外のレストランの味は大概美味しくないものです。
僕もイタリアで苦労しました。よくこんな料理を出せるなと言う店もたくさんあります。それに引き換え日本にある各国料理は本場にも引けをとらないレベルの高さ、そして日本人の口にも合う柔軟さ。これも日本の懐の深さかもしれません。日本の中にいる私達よりも外国人の方が日本の良さを客観的に見ているのです。日本に住んでいる外国人がブログで日本の観光情報を発信し、それが外国で日本に行きたいと思っている人達に大人気で爆発的アクセス数だそうです。僕もあらためて「美しい国 日本」を見直してみようと思いました。
ところで皆さんは母国--日本を好きですか?
お客様の声コーナー いつもお手紙ありがとうございます。
<旅に出る前は毎日2時間歩いています>
いつも新聞を有難うございます。楽しみに拝読させて頂いてます。数年前から娘とイタリア、ニュージーランド、タイ、その他数カ国旅しておりますが、2,3年前ヨーロッパがツアーキャンセルとなってから、行きたい行きたいと思いながら行かれず現在まできてしまいました。私も82歳になりますが、まだまだ2足も達者、健康ですので最後の旅として阪急さんにお世話になりたいと来年6月ごろヨーロッパに旅したいと思っています。旅行する度に毎日2時間程歩いて楽しみを心におります。(K・S様)
→旅に出るために体調管理!それがSさんの健康の秘訣ですね。最後といわずこれからも健康の為に旅にお出かけ下さい。「旅は若返りの水」ですから!
<最近、腹の立つこと>
それは阪急さんのパンフレットを見て行きたい所へ行けなくなった事。
理由は10才年上の主人です(昭和14生まれ)。
私は団塊の世代で高校生の頃、ワンゲルという名で山登りブーム、それにつられ部活動で3年間チョコチョコと山へ出かけました。年月が経ち、阪急さんの海外旅行に行く為、安くてきつそうな日帰りツアーで体力づくり、ある時主人が歩く方も重要でないかいと言うのでM日旅行会のハイキングツアーに参加、2人ですっかりはまってしまいました。が・・・主人の体力がついていけない。大丈夫と見栄を張ってる(これこそないしょ話)ようですが、足の運びや息づかいに「無理だー」というのが感じられました。手術したり、喘息の持病があるから余計かも。
先日NHKでチベットの青蔵鉄道をやってました。「2人で行きたいネ。阪急で絶対これ出るヨ」と話していたところ、案の定、1月号に出ました。行こうかと声をかけたところ、酸素を吸っている人が写っていたのを思い出し諦めました。海釣りが趣味なのに船旅はイヤという主人に「マルタ島で釣り糸たれてのんびりは?」というと、「日本の島でイイ」ですって。
これからこうやって体力面で行けなくなるんだぁ。そうっと覚悟を決めました。ヨーロッパやカナダなど遠いところからソレソレと旅行してよかったと思っています。時代が変わって今はいろいろなところへ行ける様になりました。
主人に若返りの薬飲ませたい------。去年ニュージーランドを喜んでいたので今年はオーストラリアで気球乗りに行ってこようと思ってます。今一番もらってうれしい郵便物はお客さま新聞です。主人もそれを知っているので仕事から帰ってくる私の為にテーブルのど真ん中にポンと置いておいてくれます。(M・S様)
→ありがとうございます。近場でもいいじゃありませんか!これからもご主人様とたくさん楽しい思い出を作ってくださいね。「お客さま新聞」を大切にしてくださってありがとうございます。
<ペルー良かったあ!>
昨年11月にペルー10日間の旅行に参加しましたが、添乗員の新井嬢の決め細やかな気配りのお陰で高山病にもかからず、大変楽しい旅となりました。30万円を切る価格にも拘らず、マチュピチュ行きはビスタドーム号で(旅行社の努力の賜物)、また社内では新井さんからとうもろこしの差し入れと至れり尽くせりでした。またこのツアー価格で案内してもらえたバジェスタ島クルーズ観光は素晴らしいものでした。海上から見る地上絵もナスカより鮮明に見えて感激しましたが、ペンギン、ペリカンを始めとする数十万羽の海鳥、アザラシも手の届くような近さで見ることができ、船中は大騒ぎでした。食事もおいしく、コースも良く、その上添乗員にも恵まれてよい旅行ができ、友人にもペルーに行くならこのコースをと自信を持って推奨したいと思っています。(Y・F様)
→ありがとうございます。ペルーは今、大人気です。「旅は遠いところから行け!元気なうちに、行けるうちに」とは多くのお客様がおっしゃる言葉です。
<人との繋がりが旅の楽しさを倍に>
ある旅行会社で痛い目にあってから阪急にお世話になっています。すごく良くも悪くもなく、平均点をつけられるからかもしれませんが、阪急さんなら安心なので浮気もせず、今の所一途に思い続けています。この25年間、年に1、2回の旅ですが、旅で出会って付き合い始めた友人も多く、最近の旅では、自己紹介もなく名前もわからないまま終わってしまう旅ばかりでおもしろくありません。昔の旅は良かった・・・というのは私だけではないと思うのですがどうでしょうか?そのせいか、そろそろ海外旅行もおもしろくなくなってきたので最終段階にきているようです。2004年・2005年と阪急の旅でスペインで出会い、ちょっとお話をした方と次の年もオランダで会い、お互いに同じ阪急を利用している者同士、年賀状やりとりをするようになりました。同じツアーではなかったのですが、阪急のバッジをつけているだけでも仲間意識がわくのはおもしろいですね。旅で友人を作るのが難しくなってきたので阪急の会社で趣味などを通じてのグループ作りができるような会を作っていただけたらうれしいですね。(C・K様)
→ここ数年で世界中で、日本中で阪急バッジを付けた方にお会いすることが多くなったような気がします。本当に皆さんのおかげです。ありがとうございます。同じバッジを付けていると親近感と連帯感が沸きますよね。趣味グループ作りは現状では難しいのですが、参考にさせていただきます。
<食事もおいしくいただきたい>
阪急お客さま新聞は読み応えがあって楽しみです。文章も堅苦しくなく内容のレベルが高い。読んで得したような気分になります。ページ数も丁度いいですね。これからも何が書かれているのかワクワクしながら封筒をあけることでしょう。益々のご健筆を祈ります。このごろの宿は年寄り向けに品数少ない料理を供してくれる所があります。ありがたいことです。何泊でもする場合、毎日テンコ盛り?の食事では胃腸も疲れてしまいます。食べ放題がイイと思う人もいれば少量で丁寧に作られた質の高い食事を頂きたいと願う人もいます。健康に関わる事ですので選べる所が増えるよう願っています。(H・M様)
→ありがとうございます。団体ツアーの場合、どうしても制限があるのですが、お客様のニーズがそういう方向性であることを認識し、今後のツアー企画に役立てて参ります。
<乗り継ぎ便ー大歓迎です>
実は訪問した国々でのCD(ポップス)を集めています。その点、乗り継ぎがあれば、その分訪問国も増え、非常に有意義に過ごしています。因みに旅行中は出来るだけ自由時間をつくり、街、地下鉄、バスで会った若い人達から情報をとってのショッピングは何よりの楽しみであり、又帰国してからこれらを聞きながら旅の思い出にふける、最高です。(K・Y様)
→旅の別の楽しみ方ですね。帰国後、CDを聞いていると現地でのことを思い出しますよね。
写真とは又 違った旅の思い出。訪れた証。Yさんも又 旅の達人ですね
みなさん、こんにちは。村山です。あっという間に2月も終わりに近づいてきましたね。風邪などひかれていませんか?やがて来る春は嬉しいのですが、花粉症に悩まされる時期でもあるのでなんだか複雑な気分です。
では、今回の世界の偉人(イギリス編)ですが、皆さん小さい頃に一度は本で読んだことがあるのではないでしょうか。強き女性の一人「フローレンス・ナイチンゲール」です。
フローレンス・ナイチンゲール
ナイチンゲール(イギリス人)は1820年5月12日、両親が旅行していた先のイタリアのフィレンツェで生まれました。その地名をとって英語読みでフローレンスと名づけられました。当時のイギリスは産業革命の後で、ロンドンは経済の中心地でありました。貧富の差が大きくなっていた頃でもあります。
彼女は、数々の現代看護の基礎を確立しました。例えば「ナースコール」もそうです。そして、200点にも及ぶ著書の中でこう論じています。
病気とは?
「全ての病気はその経過のどの時期をとっても程度の差こそあれ、その性質は回復過程であって、必ずしも苦痛を伴うものではないのである。つまり病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力のあらわれ。」(ナイチンゲール著作集)
病気と健康は表裏一体と考えていたのですね。
病気というと、イコール苦しみや痛みと捉えてしまうのが当たり前のようになっていますが、その原因は必ずしも病気からくるものではないとナイチンゲールは見ていました。
「まったく別のことからくる症状------すなわち、新鮮な空気とか陽光、暖かさ、静けさ、清潔さ、食事の規則正しさと食事の世話などのうちのどれか、または全部が欠けていることから生じる症状であることが非常に多い。」
「これは、病院看護においても家庭看護においても、まったく同様によくみられることなのである」(ナイチンゲール著作集)
健康ブームで様々なサプリメントなどを買って飲んだり、健康食品を摂取していますが、健康に生きるとは、規則正しい生活などがやはり基本なのだと感じました。仕事で休息時間も少ない方も多いのではないでしょうか。意識をして外の空気を吸う。太陽を浴びに公園へ出掛ける。自然を見て心を癒す。バランスの取れた食事を摂る。一日のうちで小さな幸せを発見してみる。そういった心掛けをすることで心身共に元気にもなりますね。
私は毎日、会社帰りに月と星を眺めます。透き通った月、朧月、どれも趣があっていいですね。星座の移動も日々見ていると楽しいですよ。日中は建物の中にいることがほとんどなので、ちょっと外に出たときに、陽の光と空気の匂いを体で感じることも意識をしています。時々、会社近くの公園に行くのですが、ブランコに乗りながら頭を真上に向けて空を眺めていると気持ちいいですよ☆みなさんは健康を意識していることは何かありますか?みなさんがいつまでも健康でたくさんの地へ旅ができますように!
江戸・東京を旅しよう4・忠臣蔵と元禄の風景〈4〉
■神田の古本屋さんの誘惑
「神田明神」から本郷通りを約600m歩き、小川町の交差点で右折して、靖国通りを5分ほど行けば、6差路の迷宮?!「駿河台下交差点」に行き当たります。
私、尾上一途(おのえ かずみち)、しばし思案し、6差路の中から神田すずらん通りを選ぶことにいたしました。神田すずらん通りは、古本マニアのパラダイス、名実共に日本一の神田古書街の一角です。立ち読み好きの私としては強い誘惑に駆られるのですが、ここで誘惑に負けてひとたび古本屋に入ってしまえば、意志の弱い私のこと、あっという間に時間が過ぎ去ってしまいます。「早く江戸城に着かなければ!」無い気力を振り絞り、後ろ髪を引かれる思いで歩みを進めようと試みたところ、
「あれれっ......あれは何だ!?」不思議なものを発見しました。
和菓子屋さんの前に「銭形平次(+八五郎)の石碑」が建っているではありませんか!。お店の人曰く「銭形平次最中(もなか)という商品にちなんで石碑を造りました」とのこと。神田神保町に行かれることがあれば、「銭形平次(+八五郎)の石碑」をお探しになってみてください。「さてさてさて、ちょっと道草したけど、あとはもう寄り道せずに江戸城に向かうのみ!」改めて決意を固める尾上一途でありました。ってな調子で、白山通りから内堀通りを急ぎ足で5分程、、、「竹橋」が見えてまいりました。「竹橋」を渡れば江戸城はもう目前です。果たして城内はどんなことになっているのでしょうか?
■ついに江戸城到着!
私、ようやく江戸城「北詰橋(きたはねばし)門」に到着いたしました。
北詰(きたはね)の「はね」というのは「跳ねる」という意味で、有事の際にはこの橋を跳ねるように上げて遮断することにより敵の進入を防ぐ役割を果たしていました。ですからここは、北にある「跳ねる」橋ということで「きたはね」と名付けられたとのことでございます。北詰橋を渡ったところ、ちょうど門の下に警察官の詰め所があり、北詰橋門をくぐると直ぐ右手に受付があるのでプラスチックの管理票をもらえば、晴れて江戸城入城です。なお、今、江戸城と呼んでおりますところは、正式な呼称で申しますと「皇居東御苑」といいます。江戸・東京のど真ん中「皇居東御苑」は、入園無料・予約不要。月・金が休園日になっています。
■江戸城天守閣はド迫力!
江戸城に入城するとすぐ、眼前に天守閣跡が圧倒的な迫力で迫ってきます。さぞやりっぱな天守閣だったのでしょう、往時が偲ばれる思いです。
徳川家康が幕府を開いた当時の江戸城では、天守閣の高さが約60メートルもあり、もちろん当時日本最大の高層建築で、大阪城の2倍の面積があったそうです。しかしながら、1657年(1657年というと、忠臣蔵の事件の約50年前ですね)、江戸時代最大の火事で10万人の死者を出したと言われる「明暦(メイレキ)の大火」別名「振り袖火事」により天守閣も焼失してしまい、その後現在に至るまで再建されることはありませんでした。
■江戸時代と火事
『火事と喧嘩は江戸の華』という言葉があるように、確かに江戸時代は火事が多かったのです。その中でも『江戸の3大大火』と呼ばれるのが、先ほど申し上げた1657年の「明暦の大火」。そして、1772年の「明和の大火」、1806年の「文化の大火」です。ちなみに、「八百屋お七」の放火で有名な火事は「天和の大火」で、1682年に起こっています。ついでに江戸城についてもちょっと触れておきましょう。江戸城は、秩父平氏の流れを汲む江戸氏の館の跡を、太田道灌(おおた どうかん)が城として築いたのがその始まりとされています。時に1457年、徳川家康がこの江戸城にやって来る約100年前の出来事です。この太田道灌という人物は、室町中期の武将。文武に秀でた数多くの伝説的なエピソードを持つ非常に興味深い英傑ですが、これ以上お話が脱線してもなんですのでここら辺りで。。。。
■大奥はドラマの宝庫
私、尾上一途、今、江戸城天守閣跡の上にいます。真正面に見える鮮やかな芝生の一帯が、かの有名な〈日本のハーレム〉大奥跡です。大奥は、総面積が6300坪、「御台所(みだいどころ)」と呼ばれる将軍の正室を頂点として下女に至るまで、女性のみで組織された大組織でした。一種の特殊な密室空間の「大奥」は、人間関係が濃密で且つミステリアスな上に華麗とくれば、様々なドラマが生まれるのも当然で、TV、映画、小説等で数多く取り上げられてきました。ところでみなさん、大奥には一体何人くらいの女性が暮らしていたと想像されますか?
約千人の女性が住む女の園でありました。また、「大奥」というものがあるのですから、「小奥」や「中奥」なんていう場所もあったのではないかとお思いになりませんか?
そうです。「中奥」という場所は存在しました。「中奥」は、将軍が政務を行ったり、夜以外の生活を行っていた場所で、今の時代ならばさしずめ、首相官邸と自民党総裁の部屋が合わさったようなものでしょうか。残念ながら「小奥」というものは無く、その代わりといっては何ですが、「表(おもて)」と呼ばれる場所がありました。この「表」は、江戸幕府の行政と立方の心臓であり頭脳であった場所で、今の霞ヶ関中央官庁が一番近いイメージです。「大奥」は、TVや映画でもたびたび取り上げられ、その時必ず出てくるキャッチフレーズが「将軍以外男子禁制!」。しかしながら、実際には御三家(ごさんけ)に代表される将軍家の親戚や、御台所(みだいどころ)や側室の親戚、老中、大奥専属の医者や僧侶といった男性は立ち入ることはできたそうでございます。
【つづく】