お元気ですか?
年が明けてそろそろ1ヶ月経とうとしていますが、日常に戻られましたか?
そうですか、ではそろそろ"脱日常"の旅へ出かけたくてムズムズしているのではありませんか?
<シャンパンを飲み残した時には>
シャンパンやスパークリングワインは今やクリスマスだけではなく、多くの日本人にも飲まれるようになってきました。シャンパンとスパークリングワインの違いをご存知ですか?
簡単に言いますとスパークリングワインが炭酸ガスの含まれるワインの総称で、その中でフランスのシャンパーニュ地方で作られるものだけをシャンパンと言います。ちなみにイタリアではスパークリングワインのことをスプマンテと言います。ワインより高いというイメージのあるスパークリングワインですが、イタリアのスプマンテはとっても庶民的で高級なイメージではなく、みんな食前酒でよく飲んでいますね。僕も大好きでよく飲みます。
ところでスプマンテを飲むときに困るのは、その日にボトルを飲みきれないことですよね。ワインならまだしもスプマンテは炭酸ガスがありますから気が抜けてしまう・・・と そんな時、とっておきの開けてしまったイタリア流スプマンテの保存方法をお教えしましょう!これ絶対、耳寄り情報ですよ!その秘訣とは・・・?
それは飲み残したスプマンテのボトルの口にさかさまにしたスプーンを入れるのです。
・・・それだけ?・・・・そう それだけ。
それだけで冷蔵庫に入れると少なくとも2〜3日くらいは炭酸が残っています。口は開きっぱなしなのになぜ?どうやらスプーンが圧力のバランスをとって炭酸が抜けにくくしてくれるそうなのです。もちろん開けたての時ほどの炭酸はありませんが、シュワシュワ感は残っています。ぜひ一度やってみてください。とっても不思議です。手品を見ているみたいですよ。
お客様の声コーナー
<こんな添乗員もいました>
私も海外旅行は25回以上行きました。最近はいろいろな面でほぼ阪急さんにお世話になることが多いです。もう6回以上阪急さんにお世話になっていますが、値の割りにいつも満足して帰ってくるのですが、今年11月参加のアンコールワットとベトナムの旅では添乗員の質の悪さに驚き、アンケートを提出せずに郵送するという人が続出でした。阪急さんの添乗員でこれまで"はずれ"はなく、むしろ他社よりもいい人に恵まれていましたが、今回だけは年齢も孫が何人かいるという人で、ベテランでいい人かもと思いましたが、年齢に全く関係なく気が利かなくて、ポイントの決め手を全く無視して図々しさだけが目立ったような方でした。初めて阪急さんに参加された方がもうこりごりと思われた方もいらして、いつもはこんな風ではないですよ、とフォローさせていただきました。これからも阪急さんの企画で健康の続く限り、どんどん参加させて頂きますのでよろしく。(N・K様)
→大変失礼を致しました。「阪急のツアーは添乗員が良い」とよくお褒めの言葉をいただくのですが、まだまだ100%そうだとは言い切れないのが現実です。日々添乗員教育を進めて参りますので、そのような添乗員にはぜひ厳しい評価をお願いいたします。ご不満を持たれたお客様にフォローをしていただきましてありがとうございます。大変うれしかったです。Kさんの顔を潰さない為にも日々精進してまいります。
<私のお薦め穴場ツアー>
「私たちのお薦め穴場ツアー」ロサンゼルスの自由時間にダウンタウンからオリベラ街を散策。スペイン風のカラフルな置物や女性が好むグッズが上野アメ横街みたいに並び、眼を楽しませてくれます。そこから歩いて中華街に足を踏み入れると、大通りのゲートには金色に輝く竜が2頭笑顔でのたうち回っています。3ドルも払えば美味しくて食べきれない程の量の中華料理に舌鼓を打つ幸せを味わえます。その後、シティホール27階展望台でロサンゼルス全景を眺めれば、ロサンゼルスは私の腕の中!帰路はセントラルマーケットでアメリカ的お菓子を買うのも現地ならではの旅の楽しみ方の一つです。チープだけれどなかなか変化に富んでます。機会があったら皆様もドーゾ!(Y・I様)
→皆さんアメリカにはどういう印象をお持ちでしょうか?Iさんのように地元の路地裏を歩いてみることにより、一般の観光より一歩進んだアメリカの素顔を見ることが出来ますね。もちろんくれぐれもスリ、置き引きなどには注意してくださいね。
<1名参加のコースが楽しみ>
トラピックス倶楽部が届いてからまず最初に見るところは1名参加可能の見出しです。これがとても気に入っています。友人と参加してもお部屋はシングルにします。寝る時だけはお互いに気をつかわないのが一番ねといつも話しております。特に海外に出掛けた場合は長くなりますので親しい友達と仲違いになった話もよく聞きます。時差の関係で夜中に目が覚めても旅日誌を書いたり、荷物の整理をしたりして無理に寝ている必要もありません。お風呂もトイレも時間を気にせずゆっくりとお金に換えられない気楽さがあります(淋しがり屋の人は無理かも?)。これからもいろいろ企画していただきたいと思います。(S・F様)
→以前から阪急交通社は「ひとり参加」に優しくないというお声を頂いておりました。そこで少しづつですが、「おひとり様対応」のこースを増やしてきて、ようやく認知していただけるようになったことはとてもうれしいです。一気にというのは諸事情もあり、難しいのですが、現状に満足せず、これからもバリエーションを増やしていきたいと考えております。
<お初にお便りさせていただきます>
寒気日増しにつのります。お客さま新聞を第1号よりいただいてからご無沙汰していて申し訳ありませんでした。お初にお便りさせていただきます。私のトラピックスとの出会いは1999年のイタリアの国の旅からです。新聞で知って申し込みをして、その安さは一番の魅力で○と参加、安かろう、悪かろう−なんてとんでもない。添乗員、現地ガイドの知識の豊富さと心遣い、大満足で旅を満喫しました。又参加している方たちは「どこよりも安いわネエー」と一人が言えば「○○のコースもよかった」、「いえ、私はこんなに良い旅をした」とトラピックスの旅を自慢披露しあう始末。以来毎年一回は海外にでました。昨年、6月ニュージーランドへ行きましたが、その申し込みをした後に「赤毛のアンの世界にひたる旅 パンスウェード島を巡る5日間」の案内を貰い、長い間の夢を実現すべく7月に行って来ました。これはおすすめです。この時添乗員なしでしたので、デトロイトでの乗り継ぎの時、仲間を見つけるまで心細い思いをしました(私は友人と参加でしたが)。成田で一応集合させて頂くと有難いです(顔を覚えますので)。(N・H様)
→初めてのお便りありがとうございます。これからも旅を楽しんでくださいね。ご意見は今後の参考にさせていただきます。ありがとうございました。
田中のひとりごとです
僕は今住んでいるマンションの理事長をやっています。決して立候補や推薦されたわけでもなく、順番でしかたなく(?)やることになりました。ところが実際やり始めるとマンションの色々なところが見えてきて結構面白いのです。マンション管理に無関心でいることがどれだけ危ないことか(修繕、改修、防犯など)わかります。注意深く見てみると、マナー違反の人が結構いることがわかります。エントランスの扉を自転車でぶつけて強引に開けて扉を壊す人がいたり・・・。エントランス扉は共用部分で自分の持ち物でもあります。もし一軒家だったとしたら自分家の扉をそんな開け方しませんよね。その扉を夜間開けっ放しにしたり、自転車を駐輪場じゃないところに止めたり、駐輪の届出をしていなかったり。人間というのは見えない所や回りの人達が無関心な状態だったら、だんだん好き勝手に振舞うようになるんですね。会って話すと別に普通の人なんですけど。
「集団心理」と「無関心」、「自分さえよければ良い」、「得をしたい」という気持ちは人間誰しも持っていて、実はそれを表に出すかどうか、自分を律することができるかどうかという違いだけかもしれません。マンションの話をしましたが、これは旅行にも言えると思います。「旅の恥はかき捨て」「もう2度と来ない場所だから」「人より少しでも得をしたい」そんな気持ち、僕は分ります。旅は"脱日常の場"ですから気分が高揚して羽目を外してしまう面もあると思います。でもツアーは団体行動です。制約とルールがありますね。又、その土地ではそこの文化、習慣、やり方というものがあります。それを観光客が土足で踏み込んでいいはずがありません。レストランに外で買った飲み物を持ち込むこと、ホテルの朝食会場からパンや果物を持ち出すこと、これらはマナー違反です。少しでもそういう人がいたら、日本人全体がそういう人種だと思われてしまいます。旅する時も日本人として恥ずかしくない行動をとりたいものですね。
村山日記&世界の偉人
こんにちは、村山です。寒い日が続きますが、お元気でいらっしゃいますか?年が明けてもう一ヶ月が経とうとしていますね。早いものです。
ところでみなさんは年始めに目標などを立てたりしますか?私は毎年年末に1年を振り返り、翌年の目標やテーマを決めています。今年のテーマは「笑顔」です。何故かというと、普段から意識しているのに、ふと気づくと疲れた顔になっていたりすることが多かったからです。そんな自分がちょっと嫌だなと思い、自然に笑顔になれるよう心磨きをしよう!と決めました。と言いつつ、今日は寝不足な顔ですが(笑)。規則正しい生活でないと笑顔もなかなか出しづらいみたいです。
ここで少し、旅のお話です。先月、日帰り旅行で鬼怒川温泉へ行ってきました。"日帰りで行ける温泉地"で"訪れたことのない場所"でした。久々に特急電車での旅だったので、わくわく。埼玉春日部駅から「特急きぬ」に乗って鬼怒川まで約1時間半。途中、粉雪が舞ってきました。思わず歌を口ずさんでしまいました。2006年初雪体験です。毎回雪が降り始めると、たまにしか見られないその光景を楽しみます。雪の寒さと交通の便の悪さを気に掛けるのはいつもその後です。雪の結晶が見えるかどうかも必ずチェックします。結晶ってすごいですよね。色んな種類があり、その形の美しさといったら、自然が作り出したものとは思えない繊細な美だと思います。
さて、鬼怒川へ到着すると外套が揺れるほどの強風!外を歩くには少々辛い寒さでした。でもその寒さも温泉に浸ると吹き飛んでしまいました。粉雪舞う露天風呂をしばし堪能・・・うーん、贅沢!いつか親に旅をプレゼントしたいな〜と思いながらお風呂から出ると、いよいよ雪が本格的に降り始めてきました。温泉地から駅まで少し歩いたので、駅前にある無料「足湯・手湯」に浸かって最後にしっかり体を温めました。この足湯、寒い時期にはオススメです。抹消神経を暖めると体全体がポカポカになります。小さい子供連れの親子や、老夫婦、色んな年代の方との足湯はこれまたいいものです。
さて、まだ時間があるので復路、春日部駅では降りずにそのまま浅草へぶらっと寄り道をしました。歩きながら見つけた小さな雑貨店。店の奥には何やら作業場が。アクリル絵の具が多数あったので声をかけてみましたところ、店主の方が独学で絵を描いているとのことでした。私も独学で子供の頃から油絵を描くので、色々話をしてみたくなりましたが、次回のお楽しみにとっておいて、店主さんの描いた今年の干支カードを貰って帰ってきました。今月か来月に再び訪ねようと思っています。出発前日に突然決めた日帰り旅行でしたが、年の締めくくりに日本ならではの良さを堪能できた旅でした。さて、次はどこへ行こうかな。みなさんの「オススメ近場の旅」を是非教えて下さい!
では、今回の「世界の偉人(フランス編)」ではヴィクトル・ユゴーをご紹介致します。
強き信念の人、ヴィクトル・ユゴー
ヴィクトル・ユゴー(フランス人)1802年生まれ。日本でいう江戸末期から明治初期の時代を生きた人です。フランスではナポレオン1世が即位した頃の時代にあたります。フランスのパリ郊外にビエーブル市というところがありますが、ユゴーがかつて夏を過ごした地です。周りには家は少なく自然が豊かで、近くにはユゴーゆかりの館があります。ユゴーは詩人であり、政治家でもありました。15歳にして詩人としての才能を評価され「生涯にわたって詩と小説を書き続けた天才」とも言われたユゴー。いつでも民衆と共に、弱い者に向けられた権力と徹底的に闘う彼の姿は、葬儀の時にフランス国民二百万人もの人が見送った事実からその偉大さがうかがえます。しかし彼の生涯は決して恵まれたものではなく、不遇の多い人生でした。ユゴー幼少期に両親が別居。体も病弱でした。そして、国外追放、4人の子供の死------。
彼は40代で政治家になりますが、そこで庶民の立場に立った言論を徹底的に行いました。皇帝を目指し、野心を持つナポレオン3世にとってはこのユゴーの存在は目の上のたんこぶ。これがきっかけでユゴーは追放、亡命させられることになりました。けれども、ユゴーは亡命の地において「レ・ミゼラブル」や「九十三年」という大作を残します。庶民を苦しめる権力者とは徹底して戦う姿勢を崩しませんでした。その思いは小説の端々から伝わります。彼は言葉を通して大切なことを多く訴えていったのです。彼は亡命させられた大晦日にこんな手紙を妻・アデールに宛てています。
「きょう一日で1851年も暮れようとしている。思えばこの一年は我々みんなにとって大きな試練の年だった。ふたりの息子は投獄され、わたしもまたこうして亡命の生活を送っている。考えてみれば確かに苦しいことにはちがいないが、苦あればまた楽もあるというものだ。少しは霜も降りたほうが収穫も多くなる・・・」(ヴィクトール・ユゴーの生涯より)
この楽観主義。どんな逆境に遭おうとも屈しない心。ユゴーの偉大さは計り知れないものがあります。彼が亡くなる前の言葉です。
「愛することは行動すること」
とても深い言葉ではないでしょうか。
江戸・東京を旅しよう3・忠臣蔵と元禄の風景〈3〉
■素晴らしきかな「神田明神」!
私、尾上一途(おのえ かずみち)、湯島から昌平橋通りを徒歩にて10分、「神田明神」の鳥居の前で思わず立ち止まってしまいました。鳥居の真横にちょいと渋めの甘酒屋さん。なにやら由緒ありげ、且つ江戸情緒の雰囲気が満載。私、特に甘酒が好きという訳ではありませんが、この立地条件にこの存在感! 強い磁力に引き寄せられるように入店し、当店自家製の甘酒一杯(400円)を所望してしまいました。癖が無くさっぱりとした上品な味で美味しかったです。明神甘酒「天野屋」さんといいまして、あとで調べてみましたら思った通り由緒あるお店でした。さて、美味しい甘酒も飲んだし、「神田明神」の鳥居をくぐり境内に入ることにしましょう。この明神さんは、天平2年(西暦730年)に建てられ、何と、1200年間もの歴史を持っています。日本書紀が完成したのが720年ですから、その10年後には「神田明神」が建造されていたことになります。また、794年京都に都が移された「平安京」遷都の60年も前に「神田明神」は造られていたのです。江戸・東京にも、徳川時代の300年以外に、こんな古い歴史があったのです。何か嬉しくなってきませんか?
江戸に幕府を開いた徳川家康は、「神田明神」を江戸の守り神として、ことのほか崇拝し、その後の歴代将軍もこれを厚く遇してきました。また、「神田祭」は別名「天下祭」とも呼ばれ、天下第一の祭りとして、たくさんの華麗な山車が江戸城に入ることさへも許され、将軍や大奥の女性までもが上覧したとのことなので、浅野内匠頭も吉良上野介も江戸住まいの赤穂藩のお侍達も、きっと「神田祭」を楽しんだことがあったに違いありません。当然、江戸庶民にも絶大な人気があり、その余りの人気で派手になりすぎたため、徳川幕府は、年に1度の開催を2年に1度に減らしてしまったほどです。「神田祭」は、今も5月の中頃に行われますので、是非一度ご覧になっては如何でしょうか?あっ、そうそう。「神田明神」の境内には明神下のヒーロー・銭形平次の石碑が堂々と建立されています。このような洒落っ気、実にいいですねえ。
■江戸城へ向かう2人さて、忠臣蔵にお話を戻しましょう。元禄14年(西暦1701年)3月14日昼過ぎ。当節No.1の外科医--栗崎道有、神田明神下で往診中、江戸城から火急の呼び出しを受けました。何か大変なことがおこった様子です。栗崎は急いで江戸城に向かいました。私、尾上一途もまた、栗崎道有を追いかけて「神田明神」から江戸城に向かうことにします。
■「湯島聖堂」と「昌平坂学問所」
江戸城を目指し「神田明神」から本郷通りを西に向かって歩き出した直後、JR御茶ノ水駅の手前、左手に欝蒼とした木々に覆われた小さな森のような一帯が現れました。わが国の学問の聖地「湯島聖堂」です。「湯島聖堂」と忠臣蔵とは特に関係はありませんが、敢えて探せば「湯島聖堂」を建てたのが、忠臣蔵の時の将軍--5代綱吉ということでしょうか。元禄3年(1690年)孔子を祭る廟として建てられた「湯島聖堂」は、その100年後の寛政9年(1797年)に「昌平坂学問所」として江戸幕府に仕える武家の師弟が勉強する場として活用され、大政奉還の後も、筑波大学やお茶ノ水女子大学が一時この地に置かれるなど、教育・学問の中枢という精神は今に受け継がれています。
■徳川綱吉、最悪の将軍ではあるけれど。。。。。
さて、犬公方(いぬくぼう)こと、5代将軍徳川綱吉は、良くも悪くも歴史に永遠に名を残すでしょう。一つは、「忠臣蔵」が不滅の日本史+物語であるため(登場人物として将軍綱吉は外せません)。もう一つの理由は、人類史上例を見ない悪法「生類憐みの令」を発令した将軍であったことです。「生類憐みの令」は1687年の発令ですから、刃傷松の廊下の4年前ですね。「跡取りの子供が出来ないので動物を可愛がれば出来る」という恐ろしいほどに短絡的な発想から出てきたものらしいのですが、その取り締りが余りに厳しく、庶民は大いに苦しんだそうです。世界中見渡しても、石器時代以降、国家が人間より犬(やその他の動物)を重視した法律を発令した話なんて聞いたことがありませんよね。
ただし、、、、!
ただしです。。綱吉治世の元禄時代は、確かに悪政の時代ではありましたが、江戸時代、いや、日本の歴史上稀に見る文化花開く時期でもありました。近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉、尾形光琳、菱川師宣、等等、各ジャンルで歴史に名を刻む芸術家や文化人が輩出されています。「悪政や圧政の時代には芸術が栄える」ことは、海外においてもしばし見受けられる現象で、まあ、人間や人間社会はそういったものであり、歴史の必然であり皮肉でもあるのでしょうが。。。。。。
【次回も尾上一途は、江戸城に向かい歩みを進めます】