阪急交通社お客さま新聞



みなさーん、お元気でしたか?
「阪急お客さま新聞」の田中です。

冬季バンクーバーオリンピックも終わりましたね。
日本のメダルは予想より少なかったですが、選手は頑張りました。
僕思うんですが、メダルの色は銅メダルが一番ドラマチックじゃありませんか?

金メダルはすごい、すごい よかったね、あっぱれっていうパーフェクトな感じ
銀メダルは金にあと一歩届かなかった・・・悔しい〜という無念な感じ
それに引き換え、銅メダルは頑張って頑張ってようやくメダルにたどりついたっていう感じ
 
息絶え絶えにゴールし、精も根も尽き果てて、今ある自分のすべてを出し切ったというイメージはやはり胴メダルがいちばんピッタリくるんじゃないでしょうか?
晴れ舞台の裏には、人知れない苦労と周りの人々の支えなんて裏話を聞いた日にゃ 涙ダーッってなってしまいます。

4年の内のたった1日に自分の一番良い状態を持ってくることは精神力の強靭さと運が大きく拘ってくると思いますので、結果がどうであったとしても拍手を送りたいですね。

さあ それでは今月も「阪急お客さま新聞」のはじまり はじまり〜


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こんにちは。
皆様お久しぶりです。
ここママです。

先日、知合いの人に渡す、おみやげを買いに
浅草に行ってきました。

なんとこの日は「東京マラソン」。
すごい人でしたよ^^


marathon1.jpg

浅草がちょうど折り返し地点だったようです


marathon2.jpg

寒い中、皆さん白い息をはきながらがんばって走っておられました。

がんばって〜

kaminarimon.jpg

この前をみなさん走りぬけていきました。

浅草寺の周りは、お祭りの時のように笛と太鼓の音が鳴り響いていました。

nakamise.jpg

仲見世もたくさんの人

nakamise1.jpg nakamise2.jpg nakamise3.jpg

お店もたくさんやっていて、すごく活気がありました。

しかし、1歩隣の筋に入ると・・

nakamiseura.jpg

ひっそりとしてます
こうゆうギャップもいいですね。

浅草名物のおせんべいと人形焼きを購入しました。


帰りに後ろを振り返ると

skytower.jpg

右端、わかりますでしょうか
新東京タワー」見えました。
雨でガスってますが・・・

晴れているとこんな感じです^^

skytree.jpg


家に帰ると・・・

cat.jpg

並んでます・・・。
「ネコ」マラソンのスタート地点???

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江戸・東京を旅しよう
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「明治時代、文学の足跡を辿るたび」〈13
〜漱石・鴎外・一葉の東京と作品を訪ねて〜


■父と兄の死
歌会でやっと才能を発揮した一葉ですが、その後は不幸が続きます。
15歳の時に兄が、17歳の時には、一葉の才能の理解者であった父が続けて亡くなり、樋口家の家計は17歳の少女--一葉が支えねばならなくなりました。19歳の時一葉は「小説家になりその収入で一家を養おう」と決意します。徐々に雑誌や新聞に小説を掲載できるようにはなりましたが、少ない原稿料だけでは生活できず、借金や質屋通いもしなければなりませんでした。21歳の時には、荒物・駄菓子屋を始めましたがうまくいきません。
けれども、後生「奇蹟の14ヵ月」といわれる明治27年12月から29年1月までの1年余りのこの時期、「大つごもり」、「たけくらべ」、「ゆく雲」、「にごりえ」、「十三夜」等の歴史的な名作を次々に発表し、日増しに名声が高まっていきました。ところが、このころから一葉は肺結核の症状が現れ、明治29年11月23日、24歳でその短い生涯を閉じたのでございます。
 

■本郷菊坂・一葉旧居跡

201003090846000.jpg

今からまいります、本郷・菊坂の旧居跡は、一葉が18歳から21歳まで暮らした所です。引越しでここに移ってくる1年前に最愛の父を亡くし、更には婚約者にまで振られた18歳の一葉ですが、一家を支えるために、和服の仕立てや洗濯の他、質入れや借金までしていました。
苦労ばかりの一葉でしたが、ここ本郷・菊坂時代は、最も幸せな時代でもありました。それは、運命の人--一葉が生涯でただ一人愛した男性--半井桃水(なからいとうすい)と出合った時期でもあったからです。父なき後、樋口家の生計を支えなければならなくなった一葉は、和服の仕立てや洗い張りで、わずかな収入を得てはいましたが、生活は楽になりません。そこで一葉は「小説家になってお金を稼ごう」と考えましたが、一葉は小説など書いたことがありません。そんな時知り合ったのが、新聞記者をしながら小説を書いていた半井桃水(なからいとうすい)でした。一葉は桃水との初対面の際の時めきを日記にこのように書き記しています。現代語訳してみますと
「やがて服などを普段着にお召しかえになって出ていらっしゃった。初対面の挨拶を丁寧にして下さいました。私は、まだこのような事に慣れていないので、耳は火照るし唇は乾き、言わなければいけない事も思い出せず、話さなければいけない事柄も頭からなくなり、ひたすらお礼ばかり言って
いた。傍から見たらどのようにみえたでしょうか?馬鹿みたいだなと思う。恥ずかしい」
どうですか?初々しく、可愛い18歳の一葉の様子が目に浮かぶようです。この時代の一葉の日記は、桃水のことで埋め尽くされています。

 

一方、桃水も一葉のことを憎からず思っていたのでしょう。また、小説家としての一葉の才能にも魅かれていきました。身銭を切って一葉の作品を出版したり、一葉のそばに引越ししてきたりして、物心ともに一葉を支えました。しかし、明治25年6月、悲しい別れがやってきます。歌会の仲間や教師の反対などが別離の理由と言われています。一葉、19歳、間もなく二十歳を迎えようとする初夏の頃でありました。

(・・・次号へつづく)

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それでは 次回 又 お元気でお会いしましょう。

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