<今月のヘッドライン>
○「コメ?」
○お客様の声コーナー
○社員にインタビュー
○江戸・東京を旅しよう6
6月を迎えすがすがしい日々が続いております。反面今年は既に水不足を心配する声が今から出ているとか・・。
ともあれ皆様お元気でお過ごしでしょうか?それでは、今月もお楽しみ下さい!
「コメ?」
イタリア語にはCome(コメ)という言葉があります
英語だとWhatや Howにあたる「なに」とか「どのように」という意味です。
例えば、人に話しかけられて聞き取れない時、
「えっ?なに?」という時に「コメ?」としり上がりに言います。
こんな面白いエピソードがあります。
ある時、日本人観光客グループがレストランへ入ってきました。
そのお客さんの中のひとりがパンではなくごはんが欲しくなってカメリエレ(ウエイター)を呼びました。
その時の会話
お客さん「らいす ぷり〜ず!」
カメリエレ「コメ?」
お客さん「そうそう!ほら、私の英語通じたでしょ?」
・・・ちがうちがう、そうじゃないんですってば!
いつもありがとうございます。
みなさんの声をご紹介します!
【憧れのスペイン】
私は今回初めて人気添乗員と行く旅を選んで友人と参加いたしました。
長年憧れようやく実現できたスペイン行きは、あれこれ驚きで目を見張るばかり。アルハンブラ宮殿、メスキータセビージャのカテドラル、プラド美術館ではグレコャゴヤの絵画、ソフィー王妃芸術センターでは国外不出のピカソのゲルニカなど、同行ガイドの説明はとてもわかりやすくとてもよいものでした。ただ、少々時間が短く残念でした。
バスからの眺めは赤茶けた大地に果てしなく続く緑豊かなオリーブ畑。そしてその中に白やピンクの花を咲かせたアーモンドやプラムの樹木、丸い形に整えられ実をつけたオレンジの街路樹。世界遺産や街並と共にスペインの風景は私の心に深く残りました。
この一年、海外の旅は三月のクロアチアの今川さん、十一月アンコールワットの中沢さん、そして今回二月スペインの井上さん、よき添乗員と皆様に恵まれ心豊かな旅ができました。ありがとうございました。
I・Y様
お客様が楽しみにされていたご旅行が感動をもって終了したことを伺う事ほど添乗員として幸せな事はありません。ご一緒させていただいた3人も添乗中は皆様から喜びを頂いていた気がします。
【海外一人参加】
海外旅行は一人旅が多く、自己管理、自己責任をモットーとし楽しく過ごすことにしております。最初の頃は日本と海外を何事においても比較して見ていましたが、旅を重ねるごとにその国に溶け込み、楽しむようになりました。自分がいかに「井の中の蛙」だったかと後になって知りました。今は友人や家族から「次はどこへいくの?」と期待されています。年を重ねるたびにマイペースにケ・セラ・セラ♪で健康に気をつけてトラピックスに参加させていただこうと思っています。
T・O様
旅は人を哲学者にするとか・・。でも「ケ・セラ・セラ」で楽しめるなら既に達人の域ですね、うらやましいです。
【親切なトルコ人】
阪急さんとは馴染みは薄いのですが、昨年十月に二度目のトルコに行ってきました。
一度目に行けなかったパムッカレは温泉街を作ったとかで(もうありませんでした)温泉の量が減り、半分は拓かれているようで残念でした。
現地のガイド・ケレムさんは大変な愛国者でしたが、本当にトルコの人は親切で優しいし、ホテルも良くてトイレを除いては申し分のない旅でした。4日目は ホテルにハマム、プール、サウナが付いており楽しませていただきました。改めて阪急さんに感謝しております。
屋根の上のビンが見えますか。これはこの家に結婚をしても良いという娘さんがいる印だそうです。5〜6年乗っている家
あるそうですが、珍しい習慣があるものですね。ケレムさんが教えてくれました。
T・M様
珍しい写真ありがとうございました。目印が屋上の瓶というところが可笑しくもあり、ほほえましくもあります。所変れば品変る、旅行の楽しさですね。今回のご旅行で弊社のサービスがお気に召したなら、ドンドンご利用下さいね。
【すてきな添乗員さん】
ドイツに旅した時のこと。参加者の中にとても我儘な人がいました。帰国のため空港で出発便を待っていると、その人がJALのカウンターに行き、何事か主張しているのです。何事かと耳を澄ますと、「私はエコノミークラスに乗ったことはない。来るときの狭さで気分が悪くて仕方がなかった。帰りはビジネスかファーストクラスで帰りたい。席を都合してくれ。差額は支払うから・・・」ということでした。カウンターの人が添乗員にどうするか聞きました。添乗員は「だめです。私はこのツアーの責任者として参加者四十名を無事に成田空港までお連れしなければなりません。参加するときエコノミー席を承知で参加されたのですから、病気とか特別の理由がない限り、あなたの申し出を認めることはできません。」みんなは、この添乗員さんに改めて感謝と信頼の気持ちを抱いたのでした。
Y・S様
さすが弊社の添乗員!といいたいお話ですね。でもこれもご一緒に参加いただいたお客様の協力が頂けないと自信をもって言える事ではありません。
きっと皆様の協力でツアー全体のまとまりが素晴らしかったからだと思いますよ。
【旅を振り返り・・・】
阪急お客さま新聞を毎月楽しみに、また旅行のテクニックも参考になりました。例えば枕銭を折り紙を折って添えたり、高齢のため海外旅行は諦めていましたが、"新パスポート"(この言葉もお客さま新聞で知りました)を取得して行ったハワイ四島めぐりではちょうどハローウィンデイ、千載一遇のチャンスとばかり主人はカラカウア通りへ繰り出し仮装行列に加わり興奮していました。今年は3月に台湾へ行ってきました。阿里山へは森林鉄道で登り、沿線風景の素晴らしさはまた格別で、時間はかかりましたが貴重な体験をしました。
T・I様
一度諦めたご旅行もよい思い出が出来た事、幸いに感じます。それも仮装行列とは・・。大胆すぎて海外でしかできませんね。
たくさんのお便りありがとうございました!
来月もお楽しみに!
お元気ですか?村山です。今回は阪急の社員にいくつか質問をしました。
答えて下さったのは新橋ビル某部署に勤めるYさんです
村山 では最初の質問です。好きな国はどこですか?
Yさん ①フランス・・・パリの建築物はやはりエクセレント!②ルーマニア・・・素朴だけど調和がとれた美しさ。③ハンガリー・・・伝統が香る街並みですね!
村山 ヨーロッパがお好きなんですね。ちなみに私もフラスが好きで、建物を見ながら歴史を振り返ると時空を越えたような気分になります。ところで、ご両親を連れて行きたいと思う国ってどこでしょう?
Yさん ルーマニアの地方都市ですね。日本の田舎とはまた違った時間の流れを感じられる。なんだかわからないけど、懐かしい感じがします。
村山 懐かしい感じがする国ってありますよね。海外だから住んだことがないはずなのに・・。不思議な感覚です。質問はガラリと変わりますが、お客様にこれは伝えたいと思うことはありますか?
Yさん たくさんのところをパックで見ることは時間の無駄がなく、有効で効率的だと思うけど、自分の足で歩いてみて、その場所の「空気感」みたいなものも感じてほしいです!
村山 そうですね。でも、この新聞読者の方々は旅達人が多いですよ。私もお便りを拝見する度に「なるほど〜」の連続です。
最後にYさんの旅作りの思いを聞かせて下さい。
Yさん いつでも現地へ「乗り込んで行く」のではなく「お邪魔する」「街の住人になった」気持ちで旅の恥は掻き捨てにはしたくない。まだ見たことのないところならどこでも自分が興味を持って、行ったところなら、みんなにも見せてあげたい・・・そんな思いで・・・。
村山 ありがとうございました。社員の声を随時ご紹介します。みなさんからの質問をお寄せください!
江戸・東京を旅しよう6
忠臣蔵と元禄の風景〈6〉
■将軍綱吉、激怒、即刻切腹を命ず!
松の廊下で刃傷沙汰が起こっていたその時、将軍綱吉は、朝風呂に入っていました。柳沢吉保よ報告を受けた綱吉は激怒し、浅野内匠頭に対し即刻切腹を命じたと伝えられております。綱吉は、無類の癇癪持ちの人物でありましたが、この時の怒りは常軌を逸していたとのことでございます。
■忠臣蔵最大のミステリー
浅野内匠頭は、吉良上野介に切りかかった際、有名な言葉を発しています。「この間の遺恨、おぼえたるか!」。この言葉により、内匠頭は上野介に対し以前より恨みを持っていたとされています。そして、「お家お取り潰しにあう程の事をしでかしてまでの深い恨みとは何か?」今に至るまで幾千幾万回と議論が繰り返されてきた疑問です。しかし、更にいえば、恨み以外にも刃傷に至った動機の可能性はあり、「そもそも浅野内匠頭は何故刃傷に及んだのか?」が、忠臣蔵最大のミステリーと言えるでしょう。では、是までに言われている刃傷に及んだ理由について挙げてみましょう。
先ず、賄賂がらみの理由です。賄賂についても更に細かく分かれていて、内匠頭は上野介に対して賄賂を贈ったが、「そのタイミングが遅かった」、「額が少なかった」「そもそも賄賂を贈らなかった」「贈る予定だったが、家老が贈るのを忘れた」といったものです。いずれにせよ、賄賂のことで腹を立てた上野介が内匠頭に辛く当たるようになり、ついには刃傷事件が起こったというものです。次に、塩に絡んだ原因説です。これについても、「優れた赤穂の製塩法の伝授を内匠頭が上野介に対して断った」「互いの領地産の競争」といったものです。その他にも、「そもそも、浅野内匠頭は頭に来ると前後の見境がつかなくなる、といった性格説」「浅野内匠頭、饗応(きょうおう)のためのストレス説」等がよく言われていますが、変わったところでは、「上野介が内匠頭の美少年稚小姓を所望し拒否された恨み説」「柳沢吉保が仕組んだ幕府内陰謀説」、その他にもまだまだあり、いやもう、実にいろいろな説が言われてきております。
内匠頭の事情聴取はわずか二〜三時間。将軍の直ぐ側で起こった重大事件であった割には余りに短い時間です。またこの事情聴取では、内匠頭が本当に「この間の遺恨、おぼえたるか!」と叫んだのかも確認されていません。結局、暗愚な将軍綱吉の短慮のせいで、内匠頭が刃傷に及んだ真の理由は永遠の謎となってしまいました。そしてこの謎は「邪馬台国は何処に在ったのか?」とか「明智光秀の織田信長への謀反の本当の理由は何なのか?」なんかと並んで日本史の永遠のミステリーとして、これからも語り継がれていくことでしょう。
■平川門から出る二人
私、尾上一途、浅野内匠頭と共に平川門より寂しく江戸城を去る時がやってまいりました。
平川門は、江戸城の鬼門(きもん)の方角にあたるため、不浄門(ふじょうもん)とも呼ばれ、死者や罪人を出すための門でもありました。また、御局御門(おつぼねごもん)とも呼ばれ、大奥女中の通用門としても使用されておりました。内匠頭はこの門から出て14年後、またまた歴史上有名な事件が起こり、この平川門から江戸城を去っていった人物がいます。歌舞伎役者の生島新五郎との密会で風紀を乱したとして、大奥の大年寄(と言っても30歳とちょっと)江島(えじま)が流刑となり、この平川門から出ていったのでございます。
また、時代が遡り、大奥随一の有名人・春日局(かずがのつぼね)が門限に遅れて門前で一夜を明かしたという門もここです。聡明な春日の事ですから、「お城の規則はこんなに厳しいのですよ」という教訓的なデモンストレーションだったという説もございます。
■浅野内匠頭、切腹!
さて、平川門から罪人として出されることとなった内匠頭は、江戸城から西に約1km、田村右京大夫(たむら うきょうだいゆう)の上屋敷に預け置かれることになりました。私、尾上一途も、箱根駅伝で名高い日比谷通りを急ぎ足で追いかけること約10分、新橋四丁目、日比谷通り脇の「浅野内匠頭 終焉の地跡」と書かれた石碑の前にやってまいりました。この辺りは、奥州一之関藩、現在の岩手県ですね、田村右京大夫の上屋敷があった場所でございます。300年前、松の廊下で刃傷が起ったその日に、即刻、この場所で、それも座敷ではなく庭先で、浅野内匠頭は切腹させられてしまいました。田村右京大夫はつまらない人物です。内匠頭の「最後に赤穂に手紙を書きたい」という希望に対して、「それは、ちょっと上役に聞いてみないと」と答え、また、「浅野内匠頭のような一国一城の主の切腹は、庭先ではなく座敷にすべし」と説く目付--多門伝八郎に対しては、「大目付が直々に場所を決めたのですから。。」と、正に今で言う典型的な官僚的対応! こういう人って今でもいますよねえ。
〜風さそう 花よりもなほ我はまた 春の名残りをいかにとやせん〜