みなさーん お元気ですか?ずいぶん寒くなってきましたね。こんな季節はお鍋を囲んで暖まりましょう!
<今月のヘッドライン>
○ある日の田中家の出来事 「笑い虫 現わる!」
○皆さんからいただいたお手紙ご紹介コーナー
○新ライター登場!「江戸・東京を旅しよう!」連載開始!
<笑い虫 現わる!>
ある日の昼下がり、田中家の出来事です。
3人娘の一番下の娘(幼稚園)が走りよってきました。
娘「パパ〜、これあげるう〜」
僕「ありがとう!これなに?」
娘「あのねえ、笑い虫!」
笑い虫とは、人が笑っている所にムクムク〜ッと出てくるらしい
頭の上に角だかアンテナみたいなものが1本立ってます。
ハグキをむき出しにして「シシシ〜ッ」って笑ってるみたいです。
これを見て
僕が笑いました
妻も笑いました
上の娘たちも笑いました
家族全員が"笑い"につつまれました
皆さんのお家にも「笑い虫」がやってきますように!
「皆さんからいただきました声」ご紹介コーナーです。いつもお手紙ありがとうございます。
(阪急に対して考えていることはみな同じですね)
初回から「阪急お客様新聞」を送っていただき楽しく拝見させていただいております。皆様の声を聞いてますうちに、阪急様のお客様対応が見えてまいりました。私の頭の中で考えている事と同じ事が皆様思い描いているのだなぁと感心している次第です!!一つお願いですが、海外旅行の場合休みがとれない為、一番混雑して値段の高い正月、五月の連休等になりますが、なかなか希望日は予約が取れません。多少高くしてでも・・・又は抽選でも?なんとかなりませんかね。計画に出てくることを楽しみに待っております。(S・A様)
→こういう形で他のお客様の声をご覧いただけることはなかなかないですね。お客様同士で共感、お友達意識が芽生えるとしたらやりがいがあります。又、パンフレットや新聞広告では見えない私たちの考えや思いを少しでも感じていただければ幸せです。ピーク時はホテルも飛行機も確保しにくくツアー造成が難しいんです。抽選というのは難しいですが、少しでも早い時期にご案内するように心がけます。
(私のイチオシはアジアです)
「お客様新聞」「トラピックス倶楽部」楽しく読んでおります。読みながら来年はどこへ行こうかなと、考えています。今年はベトナムへ行きました。若い頃、ベトナム戦争があったので、最近の観光案内を見ていると海外の観光客を迎えられるようになったのだなと思っています。私はアジア方面が好きです。人間の大きさ。気候の暑さ。ちょっと貧しそうだけど活気があって元気をもらえると思います。 家族を連れて行きたい国は娘と行ったハワイ。夫と行ったスイスは娘や息子に勧めたいと思います。あれ、アジアが入っていないですね。まだ海外の経験のない姉と韓国・香港等へ行こうと思います。(T・A様)
→アジアいいですねえ。僕も大好きです。活気があって、熱気に満ち溢れている。場所によっては、まだまだ国として問題点を多く抱えながらもエネルギッシュな地元の人達。昔の日本を思い出すようでもあり、本当の人間らしさに気づかされることもあります。国としては日本の方が先進国(?)かもしれませんが、教えられることがたくさんあります。海外旅行はアジアに始まり、アジアに終わるのかもしれませんね。
(お客さま新聞がずっとずっと続きますように)
浮気もせずトラピックスさんと十数年間参加しています。ロイヤルコレクションで訪れたトルコは本当に"青が似合う国"でした。現地の添乗員の親切さが長旅をいやしてくれ、説明もわかりやすくメンバーも最後までなにごともなく、楽しく帰宅できました。また七月始めにはシルクロード大周遊10日間に参加。現地のガイドさんがずっと一人で始めから帰りまで一緒で何かといろいろお世話をしていただき、若い女性の方だったのに気を配り、又場所ごとの添乗員さんが説明本当によくわかり、暖かかったり寒かったりの10日間でした。中国は食事はどこへ行っても味付けもよく量も多く残すばかり(残してもいいそうですが)阪急さん本当にいいたびをありがとうございます。12月にはアジア四カ国に参加します。主人がビジネスクラスの飛行機でないと参加しないので是非宜しくお願いします。"阪急お客様新聞ずっとずっとずっと続きますように"(H・S様)
→「ずっと」を3回もリピートしてくださってありがとうございます。その声だけで充分です。ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします。
(安い時期にたくさん行きたいのです)
年金生活に入って二人で行くには、どうしても一番安い日にと、一月出発になってしまいます。一度くらいは旬の季節にも行ってみたいとは思いますが・・・。やはり二度も三度も行きたいので我慢します。それには当然トラピックスです。今度は一月にロマンチック街道に予約をしようと思っております。よろしく。(D・K様)
→ハイ、トラピックスの魅力は「内容満載でお手頃価格、お得感のある旅」ですからお安く何度でもお出かけください。国によって違いますが、一般的に1年間で一番料金が低いのは、1〜2月です。冬には冬の良さがあるんです。例えば、美術館を比較的ゆっくり見られること、空気が澄んでいること、冬ならではの食事などです。
(旅には何度でも行きたい)
お客様新聞を送って戴いたのに、お礼の返事も出さず失礼しました。楽しく読ませてもらってます。皆さんのお話も色々共感するところがあり、又自分がこれまで行ってきた所を思い出したりしてます。昔から旅行は主人共々好きでしたので30年程前くらいから年に一回は海外へ兄夫婦と出掛け、国内もチョコチョコ出掛けてました。今は主人も居りませんし兄夫婦も足が悪いので妹と出掛けてます。イタリアは三回行きました。何度行っても良い所ですネ。昨年は四月にアッシジと六月にアルベロベッロへ行ってきました。青の洞窟は素晴らしかったです。ラッキーでした。十月はカナダ、十二月はドイツのクリスマスも最高でした。(ハプニングで道を反対方向へ行き、集合時間にすごくあせりヒッチハイクをしてしまいました。外国の方は親切ですね。十分遅れました。)海外は年に四・五回は行きます。国内も十回位は出掛けます。妹弟四人では年に五・六回は出掛けます。歳をとってからの妹弟(70以上)はいいですね。皆足は弱いですが・・・。次の行き先を決めるのが楽しみです。何度も行きたいのでこれからも割安で内容の良いものをどんどんお願い致します。(T・K様)
→添乗員も顔負けの渡航回数ですね。旅が出来るのは元気な証です。いつまでも世界各国を飛び回っていてくださいね。
(3度目の正直でついに見られました)
いつも楽しくお客さま新聞を読んでいます。お手紙を出そうと思いましたが、ついつい。今年もたくさん阪急で旅に出ました。今年の一番の思い出は「蔵王のお釜」です。今まで2度訪れて見られなかったのが今年ようやく3度目の正直で見ることができ感激でした。(S・I様)
→ありがとうございます。天候などにより、楽しみにされていた場所が見られないこともままあります。でも諦めなければいつか必ず見ることができる。神様はちゃんと見ているんですね。
(クルーズとは・・・)
今日も横浜の桜木町駅へと向かう。タクシーを拾って大桟橋へ。クルーズの旅はいつもこうして始まる。沢山のクルーの方々の微笑ましい出迎えが何とも心地よい、そして出航の時のデッキ上での 別れがもっとも感激にひたる。華やかな紙テープを投げ、港を離れるこの気分は何ともいえない。毎回ながら新鮮な風景に思えるので不思議である。すると顔見知りの方にばったりと出会うこともまたある。彼もまたリピーターなのだろう。天候など余り関係ない夕刻を過ぎて夜の横浜を船から見ると、まるで大きな花火を見るかのようだ。これは素晴らしい眺めである。出航は夜がお勧めである。こうして一週間のスタートが始まる。心が躍るひととき。(K・E様)
→エッセイ風のお手紙ありがとうございます。「クルーズ旅は人を詩人にする・・・」のかもしれません。旅の主人公はまぎれもなく自分ですね!
(阪急って安かろう悪かろうじゃない?)
10/1〜10/13東トルコへW航空サービスのツアーで行ってきました。昨年の四月に汽車で西トルコへ行った友と今でも年に四回程度集まり、食事、日帰りの旅をしています。いつも13〜15人集まるんですよ〜〜。すごいでしょうー。先日のその旅で阪急さんの話をしたら、皆、安かろう悪かろうだと思っているようですので、教えてあげて下さい。(M・O様)
→「安かろう悪かろう」ではなく「阪急って安くても結構いいじゃない!」と言ってもらえるように頑張ります。
(私も浮気しちゃいました)
その20"浮気はしてみるものですね"の鈴木様。私も昨年12月大手某社のギリシャ周遊8日間お一人様参加大歓迎追加料金の安さに魅せられついつい浮気心を出して参加。添乗員は本社社員と名乗りながら更年期障害真っ只なか。カランバカ・メテオラ・デルフィ・オリンピア・ミケーネ・アテネまで4日間ついた現地ガイドが連日朝食を食べてこなかったからと日本から持参したお菓子をねだる。予定時間をオーバーしているのに迂回して自分の買い物はする。そして止めば「あるお客様からの申し出があったので4日間同行したドライバーとガイドにチップをお願いします」ときた。参加38人中約半数が一人参加だったのでバスの座席は参加者が自発的に交替に組むようにしていた。おかげで和気あいあい帰路乗り継ぎのミュンヘンではドイツビール片手に大ブーイング。配られたアンケートも書ききれない。添乗員に渡さず郵送する等々、もちろん旅日記も無しでした。でもご一緒した数名の方とは文通を続け一緒にまた旅行ができるのを楽しみにしています。トラピックスで。(K・E様)
→添乗員と現地ガイドの及ぼす影響は大きいですね。弊社も「添乗員は阪急が一番」と言っていただけるよう頑張ります。
さて、今回から工藤に代わり、新しいライター登場です。はてさて どんなお話が飛び出してきますやら?
江戸・東京を旅しよう 1
東京の人も東京を知らない!
みなさんはじめまして。私、尾上一途(おのえ かずみち)と申しまして、いちおう阪急の社員です。
さていきなりですが、私、最近つくづく思うことがあります。「東京や関東に住んでいる人でも、案外東京という街を知らないものなんだ」と。私自身も全くそうで、私も、そこそこの年月、関東各地で流れ流れて暮らしてきましたが、東京の地下鉄やJRで、いまだかつて一度も降りたことのない駅の方が多いですし、故郷から老いた母親や姉夫婦、友だちなんかが訪ねてきて「東京を案内してくれ」と言われても、これが案外悩んでしまうんですよねえ。それとは逆に、普段何気なく通り過ぎていた何の変哲もない通りが、夏目漱石の散歩道だったり、浅野内匠頭の切腹の地であったりしたのを何かの拍子に知ったり教えてもらったりして、一人感激し、以後そこを通る度、その時傍らにいる人に、さり気なく、心のなかでは自慢げに語ったりしている自分がいます。
東京って、どうして観光地じゃないの?
パリやロンドン、ローマ、ニューヨーク、北京・上海にお隣のソウル等等に至るまで、ふつう、国を代表する大都市は、その国の観光の中心地でもあり、その国の田舎から、はたまた世界各国から、多くの人々が観光にやって来ます。その国の首都をはじめとする大都市は、その国の観光における中心的な役割も担うのですね。まあ、世界の他の国は大体そうなっています。ひるがえって、東京は。。。?
必ずしもそうはなっていませんよね。これは、江戸時代がやたらめったら火事が多かった時代であったことに加えて、関東大震災といった地震、第二次大戦での東京大空襲、こういったことでたくさんの歴史的な建造物が焼失・破壊されたことなどが主な原因ですが、理由はそればかりではありません。戦後、日本人全体が、経済や効率を必要以上に優先し、日本の歴史・文化といったものにあまり目を向けてこなかったことなんかも影響があるんじゃないでしょうかねえ。そう言えば、つい最近になって、『日本橋』の上を走る高架を撤去しようという計画がわりと大きく報じられました。これなんか、かつての愚かな行いにようやく気付いたということなんでしょうが、まあ、いい傾向だと思いますよねえ。
東京は観光地なのだ!
さて、「江戸・東京の建物が消失した」といっても全部が全部消えてなくなったわけでもありません。改めて東京を見て思うのは「石碑、庭園、道、坂、お寺、大邸宅、、、木造建築であっても、きれいに残っているものもあり、東京は、今でもけっこういたるところに見所が凝縮している街なんだよなぁ」ゴロ寝しながらそんなこんなをつらつらと考えていたところ、私、尾上一途(おのえ かずみち)、先日、ハッ!とひらめいたことがありました。「江戸・東京には凝縮された歴史や文化がたくさんあるけれど、それらを切れ切れで見て回るより、何か一つのテーマや物語ごとに絞って歩くことによって、面白さや楽しさが倍増し、これまで身についていなかった教養みたいなものも少しは身に付くんじゃなかろうか?また、そのテーマや物語の歴史やなれそめ、いわれ、といったものが分かったうえで通りや建物なんかを見て歩けば、それまで平凡と思っていた風景が一変し、あわよくば、その時代に時間旅行できるんじゃあなかろうか? こりゃあ楽しそうだぞ!」と、いうことで、私、尾上一途(おのえ かずみち)、この大発見?に自ら興奮し、時空を超えるべく、江戸・東京の街に飛び出した次第です。最初に取り上げましたのは、江戸時代、いーや、日本の歴史上、最も人気のある物語--『忠臣蔵』です。
忠臣蔵と元禄の風景〈1〉
■旅の始まりは『日本橋』
10月某日の朝。快晴。私、尾上一途(オノエ カズミチ)は今、『お江戸日本橋』の橋の上にいます。旅のスタートはなんといっても『日本橋』!
と申しますのも、『日本橋』は、今をさかのぼりますこと約400年前、徳川家康が江戸幕府を開いた1603年に造られました。家康から3世代後の4代将軍家綱の時代、家綱っていうのは3代将軍の家光と「犬公方」こと5代将軍・綱吉という徳川歴代なかでも有名人将軍の間に挟まった無名将軍ですが、この無名・家綱の時代に、五街道(ゴカイドウ)の起点としての場所が『日本橋』に定められました。五街道とはもちろん「東海道」「中山道(ナカセンドウ)」「甲州街道」「日光街道」「奥州街道」のことで、この五街道全部の起点が『お江戸・日本橋』になるわけです。よって、『日本橋』は、江戸・東京は言うに及ばず日本の「道のお母さん」「旅のお父さん」みたいなもので、「『江戸・東京を旅しよう』の門出にこれほどふさわしい場所は他にはない!!」。私、衝動的に『日本橋』に来てしまいました。
現在の『日本橋』はもちろん家康時代のオリジナルではありません。400年の間に20回くらい改築され今に至っています。石造建築も美しい現在の日本橋は、明治44年に完成したもので、こうして改めて見るとやはりそこはかとない風格を感じます。
それにしても、この真上に高速道路を走らせるなんて、計画したヤツはほんとに一体どんなセンスをしてたんでしょうかねえ。【つづく】
それではみなさん また 来月 お会いしましょう!