<ライター紹介>

田中 慎二(たなか しんじ)

1965年生まれで阪急交通社には1988年に入社。 広島県三次(みよし)市出身で、妻と3人娘の5人家族です。



<big>休日には、東京の下町(浅草、神田等)の路地裏歩きをするのが楽しみです。

阪急入社後、十数年は「業務渡航」という仕事をしていました。
企業で出張される方々の航空券やホテル、レンタカー、入国ビザの手配をする営業職です。
緊急の仕事が多く、残業で毎日夜遅く、空港見送りや出迎えで土日出勤も多い職場でした。
業務渡航は100%ミスなく手配出来て当然というもので、お客様から評価されにくい地味な仕事です。

ですが、混んでいる時期の難しい手配や緊急対応をした時に、
「さすが阪急の田中さんだね」とお客様からお褒めの言葉をいただいた時には
「この仕事をやっていてよかったなあ」と感じたものです。

入社して十数年経った頃、自分の中で「僕はこのままでいいのか」という思いが沸いてきました。
業務渡航の仕事はひととおりできるようになった。
でもまだまだ自分の知っている旅行業の範囲は狭く、
「それ以外の世界も見てみたいし、血沸き、肉踊るような仕事をしてみたい」

それまではお客様や上司に言われたことを正確に迅速に処理することすなわち仕事ができる証と思っていましたが、
その頃から自分自身で仕事の計画を立て、度胸ためしの飛び込み営業などもやってみました。
職場で自己啓発の提案をしたりもしていました。

自分が今後どういう方向に進むべきかが見えていなかった。
自分の中で、もがき苦しんでいた時期です。

そんな頃、イタリア駐在の話が舞いこんできました。赴任期間は2年、しかも単身が条件です。
当時、私には子どもが既に2人いて妻は3人目を妊娠していました。
しかし、この願ってもないチャンスに僕は迷わず手を挙げました。
「仕事だけに限らず、自分の人生において必ずもたらされるものがある」と
妻や親に自分の思いを熱く語り、了承を得ました。

今思っても当時の妻の心中は不安でいっぱいだったことだと思いますが、
これっぽっちも顔には出さず、快く送り出してくれました。


イタリア・・・
3000年以上の歴史、遺跡の宝庫、陽気なイタリア人、スパゲティーやピッツア、ワインなど華やかなイメージの国。
その一方でいいかげんでスリなども多く、失業率も高い、イタリア人は狡猾で商売上手な1面もあり、
ヨーロッパには階級意識が根強く残り、黄色人種のアジア人など眼中にない・・・。

イタリア語も全然しゃべれない私が果たしてイタリアで通用するのか?
赴任が決まった後、それまで期待だけだったのが、だんだん不安になってきました。
ローマに到着したのは、二000年十二月二日の十八時三0分。
今でもそうですが、夜の空港到着は淋しく心細いものです。
ローマフィウミチーノ空港から街へ向かう車の中から、コロッセオやカラカラ浴場を照らす
ぼんやりとしたオレンジ色のイルミネーションを見ながら
「この異国でうまくやっていけるんだろうか?僕の人生これからどうなるんだろうか・・・」
とイタリアに来てしまったことに後悔していた私がいました。

「イタリアは日本のようなわけにはいかないぞ」・「頭をイタリア流に切り替えないとつぶれてしまうぞ」など
イタリアで生活することの厳しさを前評判で聞いていたのである程度は覚悟していました。
しかし、実際のイタリアはその私の想像をはるかに絶する・・イヤハヤなんともとんでもない国だったのです。

「阪急お客さま新聞」ではイタリアでの経験談を基にお話を展開して参ります。

日本にいてはわからないイタリアの常識、イタリア人の考え方、理不尽な出来事、日本のありがたさ、日本人の勤勉さ、
日本の窮屈さ、これを知っておくとイタリア旅行をもっと楽しくできる秘訣、などを織り交ぜながらご紹介していきたいと思います。
イタリア駐在を経験して、私の旅作りへの考え方は180度変わりました。そのあたりもお話していきたいと思っています。

※イタリア話は2006年12月(その22)辺りまで掲載しています。

<以降2013年加筆>

イタリアから帰国して早10年、実は私、現在中国北京に単身赴任中です。
足掛け9年に亘り、「阪急お客さま新聞」を応援してくださり、本当にありがとうございます。

その間、私の身にも色々なことがありました。
大きな赤字を残し、会社に損害を与えたこともありました。挫折し、自信を失いかけたこともありました。
「私は結局何にもできない人間じゃないか・・・(意気消沈)」
そんな折、私を救ってくれたのは当時の上司の言葉でした。
それは「会社の中に、お前みたいな奴がいたっていいんだ」という言葉です。

そして再び自分を奮い立たせ、阪急交通社の中ではちょっと変り種ではありますが、
「自分らしく」をモットーに仕事に励んでおります。

私が旅行の仕事を通じて成し遂げたいことは、
 ・自分の友達に、心から薦められる商品造りや会社にしたい、
 ・そうしてひとりでも多くの阪急交通社ファンを増やしていきたい
ということです。
(現実はなかなか理想通りにはいきませんが・・・あきらめずに奮闘しています)

日々、心している事は、
「取り巻く環境はどうあれ、そこで自分は何を考え、どう行動するか?社会から問われているのはこの1点だけ」
ということです。
熱く、青臭い話は大好きですね。
オジサンですが、いつまでも青年の心を持ち続けたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします!
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