旅行の楽しみの一つ、食事。それがどんなものかわからないと、不安なもの。
阪急交通社ではツアーでの食事の様子を添乗員自ら、ブログでお届けします。
2024年6月18日
朝食から甘いケーキもたくさん
並んでいます♬
ヨーロッパでは、朝から野菜を
食べる習慣は無いと言って過言
ではありませんが、ここには、
茹でブロッコリーがあって、
お客様はお喜びでした(^^♪
このホカッチャ美味しかったです!
イタリアでは、3月8日の「国際
女性デー」を「ミモザの日」と
呼び、男性が女性にミモザの花を
贈る習慣があります。
ホテルの朝食会場にも、今日は
ミモザが飾られていました♬
流石デザインの国イタリア!
朝食会場のテーブルもオシャレです(^^♪
雲行きの怪しい中、ホテル横に位置する
ポンペイの遺跡観光が始まりました。
2000年前の大体育場
現代のアスレチックスタジアムと比べても遜色ない
かなりの大きさである。一周400mの陸上競技用の
トラックがスッポリと入る大きさだ。
円形闘技場
ローマが支配した地には、例えば
フランスにも英国にも❝円形闘技場❞が
残っています。剣闘士と猛獣との
戦いを観戦しました!
パン屋のかまど
ローマ時代のパン(ナン)は、
どんな味?!
ローマ時代の居酒屋跡
繁盛していたようです(^^♪
こんな立派な街並みが残っています。
雨が降った時には、雨水が道路の端を
流れるように設計されています!
ローマ帝国の建築技術は、驚くほど
高かったのです!!
ピザ屋の跡
この製粉機で粉にしたそうです。
当時のピザにはトマトやチーズの
トッピングはなかったそうです(^^♪
2千年前の生活も、今とあまり
変わりがない?!
公共浴場跡
ここは脱衣室
壁には穴がポコポコ開いてて、
脱いだ服をかける釘が打たれてた跡なんだそうです。
今は柱だけが残っていますが、
2千年前のこの街は、本当に
立派だったことがうかがえますね。
これ、お風呂の湯気が水滴になる際に、
適当に垂れるのではなく、天井からちゃんと
両脇の壁に水滴が流れるようになっています!
これ、お風呂の湯気が水滴になる際に、
適当に垂れるのではなく、ちゃんと両脇の壁に
水滴が流れるようにするための工夫だそうです。
公共浴場には、サウナもあり、
熱くなった時には、こんな水飲み場も
備えられていました(^^♪
ポンペイは、紀元前6〜7世紀に建設された都市であり、
近くにある標高1281mのヴェスヴィオ山の噴火により
街が灰にかぶって死の街となるまでは、
麓ではぶどうの栽培などが行われ、ワイン醸造と羊毛加工で
栄えました。噴火の灰に埋まっていたこの人は、
奴隷だったと予想されます。
居酒屋跡に猫が佇んでいました(^^)/
ここは、ローマ時代の売春宿
この売春宿で働いていた女性たちは主に、
ギリシャなどにルーツを持つ奴隷でした。
なお、料金は当時のワイン2人前〜8人前の
値段だったそうです。
これは売春宿のベットです。
寝ると痛そうですね"(-""-)
ポンペイはタイムカプセルのように当時の建築物が見られ、
神殿、市庁舎、劇場、娼館、浴場などの遺構が点在。
アボンダンツァ通り(Via dell Abbondanza)は、
ポンペイ遺跡の主要な通りで、石舗装されていました。
すべすべの硬い石が敷き詰められた道路に
車の轍跡がくっきりと出来ていました。
町は舗装した道路に邸宅が並ぶという計画都市ということが
分かります。
こちらは「悲劇詩人の家」と呼ばれる、
家の跡の玄関にあるモザイク。
ラテン語で「猛犬注意」と書かれていることで有名です。
現在の玄関マットみたいな物でしょうか?!
ここは公共広場『フォロ』です。
銀行の跡があったり、神殿も見えます。
広場の向こうには、噴火したベスビオ火山が
聳えています。今日は雲の中・・・
午後は、南イタリアのエレガントな
リゾート地、映画の舞台にもなった
ポジターノを訪れました。
マドニーナ展望台からの眺め。
お昼食は❝アマルフィ海岸の真珠❞を
評されるコンカ・ディ・マリーニ村にある
レストラン❝Conca dei Marini❞にて。
前菜は手作りフレッシュチーズと野菜のサラダ
メインはムール貝とアサリのフェトチーネ
パスタはアルデンテで、美味しい!!
デザートはレモンケーキ
南イタリアならではの美味しさです♪
見かけより甘くありません。
レストランの真下はエメラルドの洞窟です。
今日は強風で洞窟は閉鎖されていました(涙)
アマルフィ海岸といえばアマルフィ、
ポジターノといった、海岸沿いの街が
パッと頭に浮かびますが、実は意外と人気なのが
高台に位置するラヴェッロという街。
標高350mに位置するこの街からは、
アマルフィ海岸の街やアドリア海を一望でき、
「天空の街」と呼ばれるほどです。
お昼ご飯をいただいたコンカ・ディ・マリーナ
からミニバスで30分のところに位置する。
ラヴェッロは、ローマ帝国時代に築かれた町。
中世時代に最盛期を迎えます。
ドゥオーモが建設され、金持ちの別荘が立ち並びました。
ラヴェッロの街に足を踏み入れると、
すぐ左手に見えるルーフォロ荘(Villa Rufolo)。
11~13世紀にかけてラヴェッロで権勢を誇っていた
ルーフォロ家によって建てられた邸宅です。
海岸線に位置する邸宅とは思えないほど
柔らかな光と繊細な風が吹いています。
音楽家や小説家がこの庭で、芸術的インスピレーションを得た
というエピソードに、なるほどと思える不思議な魅力がありました。
ラヴェッロのドゥオーモは11世紀、
法王ヴィットーレ三世により建設されました。
千年前の建物です!
アマルフィ海岸を愛でる午後が過ぎ、
ポンペイの街に戻ってきました。
夕暮れのベスビオ火山が、穏やかな
姿で迎えてくれました。
連泊しているポンペイのホテル「HABITA79」
でのお夕食。
前菜は、カンパーニュ地方特産の筒形パスタ❝パッケリ❞
もちもち感がたまらない(^^♪
メインは茄子とチーズのラザーニャ
デザートはチョコレートケーキ
イタリアはやはり美味しい!
2連泊したポンペイのホテル「HABITA79」は、
ポンペイの遺跡の隣に位置するロケーション抜群の
デザイナーズホテルでした。
旅の3日目はマテーラを訪ねました。
ポンペイからバスで約2時間半。
トイレ休憩を1回とって、11:45に
マテーラに到着。街中にはバスが
入れませんので、歩いてレストランへ。
マテーラでのランチ
前菜は、地元産のひよこ豆を使った
クラピータというスープ
メインはカポコッロ
豚の肩ロースで作る生ハムです。
1週間ほど低温で乾燥させたあとに、
高い湿度、適度に温度管理された熟成庫で
3か月以上ゆっくりと熟成させて
出来上がってきます。
デザートは❝プロフィッテロー❞
お坊さんのオナラという意味の
美味しいシュークリームです♬
マテーラといえば、旧市街地区にあるサッシ。
サッシとは、石灰質の岩肌を掘って作られた
洞窟住居群です。
3,000から4,000ほどといわれる洞窟住居は、
1993年にマテーラの洞窟住居としてユネスコの
世界遺産に登録されています。
この街角は映画『007 ノータイム・トゥ・ダイ』の
ロケ地です(^^♪
サッシが形成された時期は不明ですが、
8世紀から13世紀にかけて、
イスラム勢力から逃れるため、
東方から来た修道僧が住み着き、
最初に130以上の洞窟住居を
築いたことがはじまりとされています。
現在では、3,000~4,000もの住居が
渓谷を埋め尽くしています。
渓谷を挟んでマテーラの反対側には、
ムルジェッキアという7000年前の
集落跡があります。
現在のマテーラのような整備された街並みとは異なり、
乱雑に穴があけられた不思議な空間が広がります。
7000年前に人がここに住んでいた
その事だけで歴史のロマンを感じます。
マテーラは、15世紀には地中海交易によって栄え、
行政を担う都市でした。
街角の大きなレモンの木が、時の
流れを伝えています。
1806年に行政機能がポテンツァに移動して
マテーラは、衰退してゆきます。
貧しい人々は、家畜と同居する生活を余儀なくされ、
生活空間に家畜がいることで、衛生面が悪化し、
死亡者が多発する事態に陥ったのです。
人と家畜が同居したサッシを、
博物館として保存してあり、見学することが
出来ます。
かつては貧困の街とよばれていたマテーラですが、
1993年、世界遺産に登録されたことで、
世界中の観光客の目にとまるようになり、
蘇りました!
イタリアのカッパドキアと呼ばれているとおり、
渓谷を丸ごと使った住居群は、
ほかでは見られない圧巻の景色ですね!
マテーラからバスで約1時間半
アルベロベッロのホテルに
17時前には到着しました(^^♪
お夕食は、地元でも人気のレストランにて。
焼きたてのピザをいただきました♬
5日目の朝は快晴♬
蒼空に、トゥルッリの屋根がすがすがしく
尖っていました。
白壁に円錐形の石積み屋根を載せた「トゥルッロ」
(複数形が「トゥルッリ」)が多数集まった景観は、
❝童話の世界❞という表現がぴったりです♬
アルベロベッロのトゥルッリは、
開拓農民によって16世紀の半ばから
約100年間に建設された。
台所はとてもシンプルですが、
小さなオーブンもあります。
今もそこには、人の営みが続けられて
います。
仕切りのない1つの部屋ごとに屋根が1つある
というシンプルな構造のトゥルッロをつなげて
トゥルッリは構成されています。
アルベロベッロの象徴的な風景
現在1500軒以上のトゥルッリが
残っています。
アルベロベッロの街は、大きく分けると
ホテルやお土産屋さん、カフェ、レストランなどが並ぶ、
「リオーネ・モンティ地区」と、地元の人たちが
普通に生活している「アイア・ピッコラ地区」という
2つの地区がある旧市街と、
それ以外の新市街に分かれています。
写真は、モンティ地区です。
アルベロベッロの街の中心
ポポロ広場 この日は、ここで
アルベロベッロの市長さんに出会いました♬
南イタリアのプーリア州南部は、
石灰岩の大地が広がっています。
人々は石灰岩の切石を使用して家を建築し、
それらはとんがり屋根の住居
トゥルッロとなりました。
とても不思議なトゥルッリの形状、
暖かく乾燥しているため、
三角屋根は雨水を集めるのに便利だったという説。
トゥルッリの壁の内側と外側には
白い石灰が塗られており、
この分厚い白い壁は、強い日差しを
跳ね返すのに役立ちます。
三角屋根に描かれた謎のシンボル
家紋?
トゥルッリでできた唯一の教会、
サンタントニオ教会。
イトリアの谷
イトリア渓谷で一番知名度がある町は
「アルベロベッロ」ですが、この日の
午後はオプショナルツアーで
イトリア渓谷の小さな村「ロコロトンド」を
訪ねました(^^♪
ロコロトンド村のレストランBelvedere
自家製のモッツアレッラと生ハムは最高!
お客様が少ない日だったので、
キッチンに案内され、即席の
料理教室が開かれました(^^♪
オレキエッテのブロッコリーソース和え
オレキエッテは、プッリャ州を
代表するパスタで、耳の形に
似ているのが特徴です。
メインのローストポークは、
とても柔らかく、優しいお味でした。
ティラミスはイタリアのママの味
ロコロトンド村全景
ロコロトンドは丸い場所の意
旧市街は円形状に造られています。
ロコロトンド村の駅
まるで古いイタリア映画の世界に
降り立ったようです。
アルベロベッロを去る日の朝
ホテルOLINPOの玄関にて。
アルベロベッロでは一番便利で
良いホテルです。
6日目
アルベロベッロからバスで約2時間
カステル・デル・モンテに到着。
1240年に学問と芸術を好んだ
フリードリヒ2世によって建設された城。
天文学や数学などを駆使して、
八角形にされており、
城は教養が高かったフリードリヒ2世の
数学への深い関心が見られます。
この日のお昼は、アグリツーリズモで
農家さんの手料理をいただきました♬
手作りのホカッチャに、心が温かく
なりました。
サルチッチャとモッツァレラの
ペンネは、まさにママの味!
サラダに使われている野菜も
採れたてで、新鮮!!
八角形の城カステル・デル・モンテと
アグリツーリズモのあるプーリア州から
バスで約3時間、途中トイレ休憩も取りながら、
夕方6時にナポリのホテルに到着しました。
お部屋に入って、シャワーを浴びて、
ホテルの隣にあるシーフードレストランで
お夕飯をいただきました♬
可愛い❝突き出し❞のあとにシーフードパスタが
出ましたが、写真を撮り忘れるほど素早く
食べてしまいました(笑)
メインはチョイスが可能!
烏賊のリング揚げを選びました。
柔らかくて、ジューシーでした。
7日目~ナポリの朝~
ホテルの朝食レストランからは、
ナポリのランドマーク❝卵城❞が
眺められます(^^♪
インターコンチネンタルホテルでは、
コロナ後、朝食会場はガラス板で
覆われています。
ナポリでは終日自由行動でしたが、
参加全員でナポリ散策に出かけました♬
写真は、ナポリ王宮です。
フニクラの乗り場
フニクラに乗って、ナポリを一望
できる絶景スポットにやってきました!
サンマルティーノ修道院の展望台からの眺め
「ナポリを見ずして死ぬことなかれ!」
ゲーテが残した言葉です。
ベスビオ山もくっきり見えました(^^♪
空には、とても珍しい❝まん丸な虹❞が
かかりました!
虹は、聖書では神様の祝福を表すそうです。
この旅もたくさんの祝福がありました(^^♪
考古学博物館を訪ねるため、
地下鉄に乗ってみました♬
駅はとてもきれいでした。
国立考古学博物館の展示品は
ファルネーゼ・コレクション(ローマの大貴族)
と呼ばれる世界屈指の
ギリシャ・ローマ時代の作品たちです。
ファルネーゼ家は、ナポリ王カルロス3世の
母の出身家で、ローマの大貴族です。
『馬の背に跨るアマゾネス』
2千年以上の時を超えて
躍動感が伝わってきます!
中2階と2階には、
ヴェスビオ火山の噴火で埋もれた
ポンペイやエルコラーノからの出土品が
展示されています。
ローマ時代の生活用品や当時の住居を飾っていた
見事な彫刻・フレスコ画・モザイク画が見られます。
2千年前、当時の住居は窓がなく
壁をフレスコ画で飾っていました。
ローマ時代の壁のフレスコ画を、
一部切り取って、
現代の額縁に入れて展示されて
います。
壁に描かれたフレスコ画からは、
2千年前の生活が読み取れます。
火山噴火以前のポンペイの住居の
外壁は、かなりの割合で黄色が
使われていたと、最近の研究により
判明しました。ヴェスヴィオ山が
噴火した際に出されたガスにより
黄色が赤色に変色したそうです!
噴火以前から赤色が塗られていた部分は、
高価で貴重なアルメニア産の鉛丹が
用いられていたことも判っています。
考古学博物館からホテルまでは、
ナポリの下町を味わいながら、
ゆっくりと歩いて戻りました♬
この日のお夕飯は、フリーでしたが、
仲良く全員でナポリのシーフードを満喫
しました(^^♪
ナポリに別れを告げる帰国日は、
午後出発のため、ゆったりと朝食を
味わうことができました。
エアーフランスで一路帰国の途へ。
フレンドツアー
ヨーロッパ
アジア
アフリカ
中近東
北米
中南米
オセアニア
南太平洋
ミクロネシア