ツアーお食事だより ヨーロッパ もっと旅行を安心に、楽しく。

旅行の楽しみの一つ、食事。それがどんなものかわからないと、不安なもの。
阪急交通社ではツアーでの食事の様子を添乗員自ら、ブログでお届けします。

フレンドツアー 関東発 2024年3月7日出発 紺碧に輝く南イタリア8日間(コース番号:FE408)

2024年6月18日

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朝食から甘いケーキもたくさん
並んでいます♬

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ヨーロッパでは、朝から野菜を
食べる習慣は無いと言って過言
ではありませんが、ここには、
茹でブロッコリーがあって、
お客様はお喜びでした(^^♪

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このホカッチャ美味しかったです!

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イタリアでは、3月8日の「国際
女性デー」を「ミモザの日」
呼び、男性が女性にミモザの花を
贈る習慣があります。
ホテルの朝食会場にも、今日は
ミモザが飾られていました♬

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流石デザインの国イタリア!
朝食会場のテーブルもオシャレです(^^♪

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雲行きの怪しい中、ホテル横に位置する
ポンペイの遺跡観光が始まりました。

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2000年前の大体育場
現代のアスレチックスタジアムと比べても遜色ない
かなりの大きさである。一周400mの陸上競技用の
トラックがスッポリと入る大きさだ。


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円形闘技場
ローマが支配した地には、例えば
フランスにも英国にも❝円形闘技場❞が
残っています。剣闘士と猛獣との
戦いを観戦しました!

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パン屋のかまど
ローマ時代のパン(ナン)は、
どんな味?!

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ローマ時代の居酒屋跡
繁盛していたようです(^^♪

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こんな立派な街並みが残っています。
雨が降った時には、雨水が道路の端を
流れるように設計されています!
ローマ帝国の建築技術は、驚くほど
高かったのです!!

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ピザ屋の跡
この製粉機で粉にしたそうです。
当時のピザにはトマトやチーズの
トッピングはなかったそうです(^^♪

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2千年前の生活も、今とあまり
変わりがない?!

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公共浴場跡
ここは脱衣室
壁には穴がポコポコ開いてて、
脱いだ服をかける釘が打たれてた跡なんだそうです。


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今は柱だけが残っていますが、
2千年前のこの街は、本当に
立派だったことがうかがえますね。

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これ、お風呂の湯気が水滴になる際に、
適当に垂れるのではなく、天井からちゃんと
両脇の壁に水滴が流れるようになっています!


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これ、お風呂の湯気が水滴になる際に、
適当に垂れるのではなく、ちゃんと両脇の壁に
水滴が流れるようにするための工夫だそうです。

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公共浴場には、サウナもあり、
熱くなった時には、こんな水飲み場も
備えられていました(^^♪

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ポンペイは、紀元前6〜7世紀に建設された都市であり、
近くにある標高1281mのヴェスヴィオ山の噴火により
街が灰にかぶって死の街となるまでは、
麓ではぶどうの栽培などが行われ、ワイン醸造と羊毛加工で
栄えました。噴火の灰に埋まっていたこの人は、
奴隷だったと予想されます。

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居酒屋跡に猫が佇んでいました(^^)/

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ここは、ローマ時代の売春宿
この売春宿で働いていた女性たちは主に、
ギリシャなどにルーツを持つ奴隷でした。
なお、料金は当時のワイン2人前〜8人前の
値段だったそうです。


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これは売春宿のベットです。
寝ると痛そうですね"(-""-)

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ポンペイはタイムカプセルのように当時の建築物が見られ、
神殿、市庁舎、劇場、娼館、浴場などの遺構が点在。

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アボンダンツァ通り(Via dell Abbondanza)は、
ポンペイ遺跡の主要な通りで、石舗装されていました。
すべすべの硬い石が敷き詰められた道路に
車の轍跡がくっきりと出来ていました。


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町は舗装した道路に邸宅が並ぶという計画都市ということが
分かります。


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こちらは「悲劇詩人の家」と呼ばれる、
家の跡の玄関にあるモザイク

ラテン語で「猛犬注意」と書かれていることで有名です。
現在の玄関マットみたいな物でしょうか?!
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ここは公共広場『フォロ』です。
銀行の跡があったり、神殿も見えます。
広場の向こうには、噴火したベスビオ火山が
聳えています。今日は雲の中・・・

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午後は、南イタリアのエレガントな
リゾート地、映画の舞台にもなった
ポジターノを訪れました。
マドニーナ展望台からの眺め

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お昼食は❝アマルフィ海岸の真珠❞を
評されるコンカ・ディ・マリーニ村にある
レストラン❝Conca dei Marini❞にて。
前菜は手作りフレッシュチーズと野菜のサラダ

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メインはムール貝とアサリのフェトチーネ
パスタはアルデンテで、美味しい!!

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デザートはレモンケーキ
南イタリアならではの美味しさです♪
見かけより甘くありません。

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レストランの真下はエメラルドの洞窟です。
今日は強風で洞窟は閉鎖されていました(涙)

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アマルフィ海岸といえばアマルフィ、
ポジターノといった、海岸沿いの街が
パッと頭に浮かびますが、実は意外と人気なのが
高台に位置するラヴェッロという街。
標高350mに位置するこの街からは、
アマルフィ海岸の街やアドリア海を一望でき、
「天空の街」と呼ばれるほどです。
お昼ご飯をいただいたコンカ・ディ・マリーナ
からミニバスで30分のところに位置する。

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ラヴェッロは、ローマ帝国時代に築かれた町。
中世時代に最盛期を迎えます。
ドゥオーモが建設され、金持ちの別荘が立ち並びました。

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ラヴェッロの街に足を踏み入れると、
すぐ左手に見える
ルーフォロ荘(Villa Rufolo)
11~13世紀にかけてラヴェッロで権勢を誇っていた
ルーフォロ家によって建てられた邸宅です。

海岸線に位置する邸宅とは思えないほど
柔らかな光と繊細な風が吹いています。
音楽家や小説家がこの庭で、芸術的インスピレーションを得た
というエピソードに、なるほどと思える不思議な魅力がありました。


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ラヴェッロのドゥオーモは11世紀、
法王ヴィットーレ三世により建設されました。
千年前の建物です!

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アマルフィ海岸を愛でる午後が過ぎ、
ポンペイの街に戻ってきました。
夕暮れのベスビオ火山が、穏やかな
姿で迎えてくれました。

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連泊しているポンペイのホテル「HABITA79」
でのお夕食。
前菜は、カンパーニュ地方特産の筒形パスタ❝パッケリ❞
もちもち感がたまらない(^^♪

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メインは茄子とチーズのラザーニャ

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デザートはチョコレートケーキ
イタリアはやはり美味しい!

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2連泊したポンペイのホテル「HABITA79」は、
ポンペイの遺跡の隣に位置するロケーション抜群
デザイナーズホテルでした。

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旅の3日目はマテーラを訪ねました。
ポンペイからバスで約2時間半。
トイレ休憩を1回とって、11:45に
マテーラに到着。街中にはバスが
入れませんので、歩いてレストランへ。

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マテーラでのランチ
前菜は、地元産のひよこ豆を使った
クラピータというスープ

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メインはカポコッロ
豚の肩ロースで作る生ハムです。
1週間ほど低温で乾燥させたあとに、
高い湿度、適度に温度管理された熟成庫で

3か月以上ゆっくりと熟成させて
出来上がってきます。

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デザートは❝プロフィッテロー❞
お坊さんのオナラという意味の
美味しいシュークリームです♬

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マテーラといえば、旧市街地区にあるサッシ
サッシとは、石灰質の岩肌を掘って作られた
洞窟住居群です。
3,000から4,000ほどといわれる洞窟住居は、
1993年にマテーラの洞窟住居としてユネスコの
世界遺産に登録されています。


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この街角は映画『007 ノータイム・トゥ・ダイ』の
ロケ地です(^^♪

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サッシが形成された時期は不明ですが、
8世紀から13世紀にかけて、
イスラム勢力から逃れるため、
東方から来た修道僧が住み着き
最初に130以上の洞窟住居を
築いたことがはじまりとされています。


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現在では、3,000~4,000もの住居
渓谷を埋め尽くしています。


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渓谷を挟んでマテーラの反対側には
ムルジェッキアという7000年前の
集落跡
があります。

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現在のマテーラのような整備された街並みとは異なり、
乱雑に穴があけられた不思議な空間が広がります。
7000年前に人がここに住んでいた
その事だけで歴史のロマンを感じます。

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マテーラは、15世紀には地中海交易によって栄え、
行政を担う都市でした。


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街角の大きなレモンの木が、時の
流れを伝えています。

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1806年に行政機能がポテンツァに移動して
マテーラは、衰退してゆきます。

貧しい人々は、家畜と同居する生活を余儀なくされ、
生活空間に家畜がいることで、衛生面が悪化し、
死亡者が多発する事態に陥ったのです。


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人と家畜が同居したサッシを、
博物館として保存してあり、見学することが
出来ます。

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かつては貧困の街とよばれていたマテーラですが、
1993年、世界遺産に登録されたことで、
世界中の観光客の目にとまるようになり、
蘇りました!

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イタリアのカッパドキアと呼ばれているとおり、
渓谷を丸ごと使った住居群は、
ほかでは見られない圧巻の景色ですね!

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マテーラからバスで約1時間半
アルベロベッロのホテルに
17時前には到着しました(^^♪
お夕食は、地元でも人気のレストランにて。

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焼きたてのピザをいただきました♬

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5日目の朝は快晴♬

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蒼空に、トゥルッリの屋根がすがすがしく
尖っていました。

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白壁に円錐形の石積み屋根を載せた「トゥルッロ」
(複数形が「トゥルッリ」)が多数集まった景観は、
❝童話の世界❞という表現がぴったりです♬

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アルベロベッロのトゥルッリは、
開拓農民によって16世紀の半ばから
約100年間に建設された。

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台所はとてもシンプルですが、
小さなオーブンもあります。

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今もそこには、人の営みが続けられて
います。

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仕切りのない1つの部屋ごとに屋根が1つある
というシンプルな構造のトゥルッロをつなげて
トゥルッリは構成されています。


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アルベロベッロの象徴的な風景
現在1500軒以上のトゥルッリが
残っています。

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アルベロベッロの街は、大きく分けると
ホテルやお土産屋さん、カフェ、レストランなどが並ぶ、
リオーネ・モンティ地区」と、地元の人たちが
普通に生活している「アイア・ピッコラ地区」という
2つの地区がある旧市街と、
それ以外の新市街に分かれています。
写真は、モンティ地区です。

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アルベロベッロの街の中心 
ポポロ広場 この日は、ここで
アルベロベッロの市長さんに出会いました♬

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南イタリアのプーリア州南部は、
石灰岩の大地が広がっています。
人々は石灰岩の切石を使用して家を建築し、
それらはとんがり屋根の住居
トゥルッロとなりました。
とても不思議なトゥルッリの形状、
暖かく乾燥しているため、
三角屋根は
雨水を集めるのに便利だったという説。

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トゥルッリのの内側と外側には
白い石灰が塗られており
この分厚い白い
は、強い日差しを
跳ね返すのに役立ちます。


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三角屋根に描かれた謎のシンボル
家紋?

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トゥルッリでできた唯一の教会、
サンタントニオ教会。

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イトリアの谷
イトリア渓谷で一番知名度がある町は
「アルベロベッロ」ですが、この日の
午後はオプショナルツアーで
イトリア渓谷の小さな村「ロコロトンド」を
訪ねました(^^♪

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ロコロトンド村のレストランBelvedere
自家製のモッツアレッラと生ハムは最高!

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お客様が少ない日だったので、
キッチンに案内され、即席の
料理教室が開かれました(^^♪

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オレキエッテのブロッコリーソース和え
オレキエッテは、プッリャ州を
代表するパスタで、耳の形に
似ているのが特徴です。

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メインのローストポークは、
とても柔らかく、優しいお味でした。

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ティラミスはイタリアのママの味

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ロコロトンド村全景
ロコロトンドは丸い場所の意
旧市街は円形状に造られています。

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ロコロトンド村の駅
まるで古いイタリア映画の世界に
降り立ったようです。

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アルベロベッロを去る日の朝
ホテルOLINPOの玄関にて。
アルベロベッロでは一番便利で
良いホテルです。

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6日目
アルベロベッロからバスで約2時間
カステル・デル・モンテに到着。

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1240年に学問と芸術を好んだ
フリードリヒ2世によって建設された城
天文学や数学などを駆使して、
八角形にされており、
城は教養が高かったフリードリヒ2世の
数学への深い関心が見られます。


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この日のお昼は、アグリツーリズモ
農家さんの手料理をいただきました♬
手作りのホカッチャに、心が温かく
なりました。

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サルチッチャとモッツァレラの
ペンネは、まさにママの味!

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サラダに使われている野菜も
採れたてで、新鮮!!

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八角形の城カステル・デル・モンテと
アグリツーリズモのあるプーリア州から
バスで約3時間、途中トイレ休憩も取りながら、
夕方6時にナポリのホテルに到着しました。
お部屋に入って、シャワーを浴びて、
ホテルの隣にあるシーフードレストランで
お夕飯をいただきました♬
可愛い❝突き出し❞のあとにシーフードパスタが
出ましたが、写真を撮り忘れるほど素早く
食べてしまいました(笑)

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メインはチョイスが可能!
烏賊のリング揚げを選びました。
柔らかくて、ジューシーでした。

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7日目~ナポリの朝~
ホテルの朝食レストランからは、
ナポリのランドマーク❝卵城❞が
眺められます(^^♪

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インターコンチネンタルホテルでは、
コロナ後、朝食会場はガラス板で
覆われています。

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ナポリでは終日自由行動でしたが、
参加全員でナポリ散策に出かけました♬
写真は、ナポリ王宮です。

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フニクラの乗り場

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フニクラに乗って、ナポリを一望
できる絶景スポットにやってきました!

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サンマルティーノ修道院の展望台からの眺め
「ナポリを見ずして死ぬことなかれ!」
ゲーテが残した言葉です。

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ベスビオ山もくっきり見えました(^^♪

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空には、とても珍しい❝まん丸な虹❞が
かかりました!
虹は、聖書では神様の祝福を表すそうです。
この旅もたくさんの祝福がありました(^^♪

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考古学博物館を訪ねるため、
地下鉄に乗ってみました♬
駅はとてもきれいでした。

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国立考古学博物館の展示品は
ファルネーゼ・コレクション(ローマの大貴族)
と呼ばれる世界屈指の
ギリシャ・ローマ時代の作品たちです。

ファルネーゼ家は、ナポリ王カルロス3世の
母の出身家で、ローマの大貴族です。
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『馬の背に跨るアマゾネス』
2千年以上の時を超えて
躍動感が伝わってきます!

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中2階と2階には、
ヴェスビオ火山の噴火で埋もれた
ポンペイやエルコラーノからの出土品
展示されています。
ローマ時代の生活用品や当時の住居を飾っていた
見事な彫刻・フレスコ画・モザイク画が見られます。

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2千年前、当時の住居は窓がなく
壁をフレスコ画で飾っていました。

ローマ時代の壁のフレスコ画を、
一部切り取って、
現代の額縁に入れて展示されて
います。

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壁に描かれたフレスコ画からは、
2千年前の生活が読み取れます。

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火山噴火以前のポンペイの住居の
外壁は、かなりの割合で黄色が
使われていたと、最近の研究により
判明しました。ヴェスヴィオ山が
噴火した際に出されたガスにより
黄色が赤色に変色したそうです!
噴火以前から赤色が塗られていた部分は、
高価で貴重なアルメニア産の鉛丹が
用いられていたことも判っています。

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考古学博物館からホテルまでは、
ナポリの下町を味わいながら
ゆっくりと歩いて戻りました♬

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この日のお夕飯は、フリーでしたが、
仲良く全員でナポリのシーフードを満喫
しました(^^♪ 

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ナポリに別れを告げる帰国日は、
午後出発のため、ゆったりと朝食を
味わうことができました。

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エアーフランスで一路帰国の途へ。



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