2020年3月2日出発 <エミレーツ航空利用>青い街シャウエンとサハラ砂漠に泊まる8つの世界遺産を巡るモロッコ大周遊12日間
※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
2020年3月2日出発ツアー添乗員レポート
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- 添乗員/齋藤 綾乃(さいとう あやの)
- 青い街シャウエンとサハラ砂漠に泊まる8つの世界遺産を巡るモロッコ大周遊12日間 アフリカ大陸の1番上の左端の国。スペインのすぐ下、ジブラルタル海峡を隔ててわずか14キロ。モロッコ 、アルジェリア、チュニジアの3カ国はマグレブと呼ばれます。アラビア語で「西の果て」「太陽が沈むところ」の意味。そのマグレブ3カ国の中でも最も西に、イスラム圏の西の果てに位置し、数千年の時をかけて、異文化を組み合わせてきました。広大なサハラ砂漠のイメージが強いかと思いますが、モロッコは海に面している国でもあります。内陸には4000メーター級の山も聳え、スキー場もあり、雪も降ります。アラビア語だけではなく、フランス植民地だったためフランス語もよく通じ、地域によってはヨーロッパのような街並みもあります。そんなエキゾチックな魅力溢れる国モロッコ 。12日間の旅を振り返ってみたいと思います。
- 1日目
- 3月2日/晴れ/10 ℃
- 初めまして。今回モロッコ旅行にご一緒させていただきます、添乗員の齋藤綾乃と申します。12日間どうぞよろしくお願い致します。成田空港よりエミレーツ航空にて乗り継ぎ地のドバイへ。11名様のお客様と共に出発です。
- エミレーツ航空機内より
- 2日目
- 3月3日/晴れ/20 ℃
- ドバイにて乗り継ぎ、モロッコの玄関口カサブランカ空港へ。出迎えてくれたのは、ガイド歴48年の大ベテランさん、MR.マイタおじいちゃま。10日間どうぞよろしくお願い致します!まずはモロッコ 王国の首都ラバトまで移動です。愛称は庭園都市、ラバトとは駐屯所という意味があります。最初の観光は、フランス保護領だったモロッコ を独立させた英雄、前国王モハメッド5世の霊廟からスタートです。人物を撮影することが嫌がられるモロッコ にしては珍しく、こちらの衛兵さんは喜んで撮影に応じてくださいました。霊廟の向かいに聳えるハツサンの塔は、未完成ながら圧倒的な存在感を放っていました。スペインのセビリアのヒラルダの塔、マラケシュのクトゥビアの塔と共にムーア式建築の三兄弟と呼ばれています。
- モハメッド5世霊廟の衛兵さん
- 未完成のハッサンの塔
- 3日目
- 3月4日/晴れ/20 ℃
- 本日は、前半は「白い街」後半は「青い街」の観光です。まずは、「モロッコ のアンダルシア」白い街ティトゥアンへ。15世紀以来、スペイン文化を独自のスタイルに昇華させてきたこの街は、ほかの旧市街には見られないスペイン情緒が溢れています。アラブとスペインの血を受け継ぐ白い街です。8世紀から、モロッコ とイベリア半島の中継地として栄えてきました。15世紀にレコンキスタによってスペインを追われてきたイスラム教徒とユダヤ教徒により、路地も建物も、現在の旧市街、白い街が築かれました。夕方からは、青い街シャウエンへ。以前は異教徒を受け入れず、謎に包まれていた地方でした。ここ数年で観光化が進み、青いエリアは年々広がっております。邪視、虫除け、涼をとるため、宗教的な意味合い...諸説ありますが、どこにレンズを向けても絵になる街でした。
- 白い街ティトゥアン
- 青い街シャウエン
- 4日目
- 3月5日/晴れ/20℃
- シャウエンの街とお別れする前に、全景をカメラに収めてから出発です。本日の観光は、ぐっと時空を遡って、イスラム圏では珍しいローマ遺跡の街ヴォルビリスからスタートです。先史時代から集落が出来、紀元前40年頃に古代ローマ帝国の属領となりました。ヴォルビリスの名前は、ベルベル語のウラリリ、夾竹桃にちなみます。土地は豊かで、小麦やオリーブなどを多く産出しローマへと出荷され、この街に富と繁栄をもたらしました。カラカラ帝に捧げて建てられた勝利の凱旋門は、映画「パットン大戦車軍団」のロケ地としても使われました。午後からは古都メクネスへ。首都として栄えていたのは、17世紀ムーレイイスマイルの治世アラウィー朝の55年間のみ。この「時の君主」は、大のフランス贔屓。メクネスをヴェルサイユに負けない華やかな王都に仕立てようとしました。ちなみに、500人のお妾さんがいたらしいです。
- シャウエンの街全景
- 古代ローマ遺跡ボリュビリス
- 5日目
- 3月6日/晴れ/20 ℃
- 本日はモロッコの古都、最古のイスラム首都、世界一の迷宮都市、フェズの街をたっぷりと観光です。宗教、学問、芸術の中心。伝統工芸が盛んな街。アフリカのアテネとも呼ばれています。まずは王宮の外観から。国王様がいらしてるからでしょうか。警備の方の衣装も色とりどりでした。王宮の隣には旧ユダヤ人街が広がっています。昔、敵陣の長の首を奪ってきたあと、晒し首にする前に腐敗しないように塩漬けにする習慣があったそうです。その仕事を与えられていたのがユダヤ人。彼らはメッラー(塩、と言う意味)と呼ばれていました。その後、高台より旧市街全景を見下ろしていただき、そして、いよいよメディナへ。金曜日は大切な礼拝の日ですので、比較的旧市街は空いてはいましたが、それでも2〜3度角を曲がるともう元の道に戻るのが困難になる程。途中、モロッコ 人のお宅にお邪魔してミントティをいただきつつ、迷宮都市を1日かけて練り歩きました。
- ブーイナニアマドラサにて
- 金曜礼拝に向かう姿
- 6日目
- 3月7日/晴れ/20℃
- 本日は、北西アフリカにある2000キロにも渡るアトラス山脈超えのドライブです。アトラスの由来はギリシャ神話より。世界の西の果てで、肩に天を支える柱を背負っていると考えられていて、「点の番人」とも「耐え忍ぶ者」とも呼ばれています。最初の休憩は「モロッコ のスイス」「モロッコ の軽井沢」と呼ばれるイフレンにて。スキー場を近くに控えており雪が降るので、モロッコ の他の街では見られない三角屋根の別荘が並ぶ高級住宅街です。ライオンキングでお馴染みの、昔実在していた最大4メートルにもなる、アトラスライオンの大きな銅像をご覧いただきました。それから、世界遺産にも登録されているアトラス杉、遊牧民のエリア、モロッコ唯一の実に可愛らしいフォンザベルトンネル、ハッサンダーベルダムなどを車窓よりお楽しみいただきつつ、今夜はエルフードより4WDに乗り換えて、メルズーガのホテルへ。
- ホテルの入口
- モロッコ のホテルはインテリアが素敵
- 7日目
- 3月8日/晴れ/20 ℃
- 日の出前に早起きして、サハラ砂漠をラクダに揺られて朝日鑑賞へ出発です。ベルベル人のお世話係のお兄さんたちに、ストールを巻いてもらったり、フォトポイントで写真を撮ってもらったり。サンライズまで、思い思いの時間をお楽しみいただきました。サハラ砂漠は世界最大の砂漠。アフリカ諸国の11カ国にまたがります。サハラとはアラビア語で「荒れた土地」のこと。サハラ=砂漠という意味になるので、実はサハラ砂漠を日本語に直訳すると「砂漠砂漠」ということに...。また、太鼓の昔、この辺は海の底でした。そんな関係で、化石がたくさん採掘されるエリアでもあります。その後一度ホテルへ戻り、再出発後はカスバ街道をドライブしながら、ロッククライマーの聖地トドラ渓谷へ。風もなく穏やかでお天気が良かったからか、ベルベル人がたくさん川にピクニックに訪れていました。夕刻、「カスバの女」を聴きながら、ツーリスト憧れのホテル、ベルベルパレスへ。
- ベルベル人のお兄さん
- ラクダに乗ってサハラ砂漠をお散歩です
- 8日目
- 3月9日/晴れ/25 ℃
- ワルザザードは「音を立てない」という意味から。この土地は部族間の争いが少なく、静かな街だったそうです。18世期から人が住み始め、サハラ交易で栄えました。現在は、オアシス農業や観光のほか、映画産業も盛んな街です。街のシンボルは大きなガチンコのオブジェです。シェルタリングスカイ、アラビアのロレンス、ナイルの宝石、ハンナプトラ、グラディエーター...本当にたくさんの名画がこちらで撮影されています。その中から、アラビアのロレンスのロケに使われたタウルリトカスバや、グラディエーターの「田舎の闘技場」のロケ地として使われたアイドベンハッドゥなどをご覧いただきました。途中でベルベル人のお宅にお邪魔して、昔ながらの生活も感じていただきました。
- 「アラビアのロレンス」ロケ地
- アイドベンハッドゥに住むベルベル人のお兄さん
- 9日目
- 3月10日/晴れ/30 ℃
- 本日は、アラビアにヨーロッパテイストが加わった「南の真珠」マラケシュの観光です。ベルベル人の言葉で「神の国」。もうひとつの説は「早く歩け」。昔、ここでゆっくりすると危ない「早く歩け!」を合言葉にしていたとか...。また、戦のあった時代。栄養価の高いナツメヤシを大切な持ち歩きのできる保存食としていました。食べ終わった種をその辺に撒き散らしていては、ここにいたことが敵陣に分かってしまう。それを避けるため、種をきちんと地面に埋めた結果、この辺りはナツメヤシの木がたくさん育ったとか...。サーディン墳墓群は、お墓とは思えぬ見事な装飾。砂糖の交易で栄えたマラケシュ黄金期のもの。イスラム圏では左は不浄なので、右肩を下に、顔をメッカに向けて埋葬されるそうです。勿論土葬です。そして、ハビア宮殿は日本で言うところの大奥。昼間の強い日差しを避け、ホテルでの小休止を挟んで、夕刻からジャマエルフナ広場へ。
- 装飾が見事なサーディン墳墓群のひとつ
- ステンドグラスが印象的なハビア宮殿
- 10日目
- 3月11日/晴れ/25 ℃
- 本日は、しばらく内陸の観光が続いていたため遠ざかっていた海と久々に再会です。まずは、世界遺産にも保護されている、アルガンの木がたくさん生えているエリアへ。昔はヤギが食べて排泄されたアルガンの実から、オイルを抽出していたそうです。たくさんのヤギが木に乗って、アルガンの実を食べている光景をカメラに収めていただいてからエッサウラへ。旧名モガドール。沖合のモガドール島からローマ時代のヴィラが発見されています。かつては島全体が、島流しにされた囚人のための刑務所として使われていました。現代では、リゾート地、芸術の街。ボブマーリーも愛した街です。定番展望スポットの稜堡は、16世紀にポルトガル人が造りました。漁港らしく、漁師さんの元に群がるカモメがたくさんいました。
- アルガンの木とヤギたち
- ガイドさんと猫ガイドに続いてエッサウラをお散歩
- 11日目
- 3月12日/晴れ/20 ℃
- 夜便のため、帰国日までたっぷりと観光です。10日間かけて周遊してきましたが、出発地点のカサブランカへ戻って参りました。カサブランカとは、スペイン語で「白い家」。商業の中心都市。新市街には、アール・デコ調やアールヌーボーの建築物もあり、ヨーロッパの街並みのよう。港には大型客船や貨物船も出入りします。モロッコ経済を支えるリン鉱石の輸出港でもあります。私たちが普段いただいているタコやマグロも、この辺りの海を泳いで育ったとか。ハッサン2世大モスクは、最新鋭の技術を繰って完成された、超ハイテクモスク。ミナレットの高さは200メートルで世界一。頂上からメッカの方向にはレーザー光線が放たれます。足元は全て床暖房、地下は駐車場、屋根は自動開閉式...。建築費の大半は国民の寄付で賄われました。そして、映画「カサブランカ」の主題歌をお聞きいただきながら、帰国の途へ...
- カサブランカの官庁街
- ハイテクモスク
- 12日目
- 3月13日/晴れ/10 ℃
- 往路と同じくドバイを経由して、帰国の途へ。この度は、当ツアーにご参加いただきまして誠にありがとうございました。また世界のどこかでお目にかかる日が来ることを心待ちにしております。その日までどうぞお元気でお過ごし下さい。ありがとうございました。 バス車内でお届けしたモロッコ にまつわる曲 ①月の砂漠 岩崎宏美 ②サンドベージュ 中森明菜 ③カスバの女 藤圭子 ④マラケシュ 松田聖子 ⑤哀愁のカサブランカ 郷ひろみ ⑥as time goes by Frances Williams
- モロッコの街角には必ず猫の姿が
- モロッコ で買える代表的なお土産
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