2020年2月10日出発 <エミレーツ航空利用> 青い街シャウエンとサハラ砂漠に泊まる8つの世界遺産を巡るモロッコ大周遊12日間
※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
2018年2月10日出発ツアー添乗員レポート
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- 添乗員/石原 啓江(いしはら ひろえ)
- この度は阪急交通社クリスタルハート「青い街シャウエンとサハラ砂漠に泊まる8つの世界遺産を巡るモロッコ大周遊12日間」にご参加いただきまことにありがとうございます。モロッコは西の果てにあり、別名「マグレブ(陽の沈む国)」と呼ばれています。日本の1.2倍の面積、山あり、砂漠あり、迷宮の町、カスバあり、毎日違う国を旅しているような魅力あふれるモロッコをお楽しみいただけたのではないでしょうか。お不便をおかけしたところも多々あったと思いますが12日間ご理解とご協力ありがとうございました。私たちの足跡を簡単な文章でまとめてみました。お時間のある時に読んだり、また写真の整理の際活用していただければ幸いです。
- 1日目
- 2月10日/晴れ/22 ℃
- 初めまして、今回皆様とご縁がありまして同行させていただきます、添乗員の石原啓江です。どうぞよろしくお願い致します。 今回総勢13名様 エミレーツ航空319便で成田からドバイへ出発です。今回使用する機材、エアバス380。世界最大の旅客機です。最大の顧客であるエミレーツ航空が発注をキャンセルしたため、生産中止となりました。2階席にビジネスクラスがあり、ゆったりドバイまで過ごせたのではないでしょうか。
- 成田空港出発
- 2日目
- 2月11日/晴れ/20 ℃
- ドバイでは乗り継ぎ時間も短く、その上ターミナル移動に時間もかかり焦りました。そして今度のフライトは大阪、名古屋からドバイに到着したお客様と共にモロッコの空の玄関カサブランカへ。コロナウィルスのための健康カードが配られ驚きました。 ガイドのミーナさんと会い、出発です。 モロッコはマラケシュが訛って生まれた言葉、正式名称は アル=マムラカ・アル=マグリビーヤ。マグリビーヤはマグレブの形容詞です。日の没する地の王国と言う意味があります。 ラバトは現在モロッコの首都です。モロッコ聖なる4都市のひとつです。(ラバト、マラケシュ、フェズ、メクネス、首都がおかれたところ)。ここには国王モハメッド6世の宮殿があります。ちなみにモロッコは王国のため、各地に王宮があります。モハメッド6世は教育問題や身体障害者のための教育に力を入れたり、貧しい人々に食事を与えたり、色々な政策を提案、国民に人気のある国王です。
- モハメド5世霊廟
- ハッサン塔
- 3日目
- 2月12日/晴れ/22 ℃
- 今朝はラバトへ向かって出発です。朝早いため、霧のような景色の中をドライブ。 ティトゥアンは8世紀、モロッコとイベリア半島の中継地点として栄えました。国土回復戦争でスペインを追われたイスラム教徒やユダヤ教徒によって現在の旧市街が完成しました。スペインとモロッコが入り交ざった旧市街はユネスコの世界遺産に登録されています。白壁の旧市街はスペインアンダルシアを思わせる雰囲気でした。 お昼はスペインの米料理シーフードパエリア。お米はイスラム教徒がヨーロッパに伝えたもの。それがお料理になって戻ってきました。 午後はシャウエンのメディナを散策。メディナとは一番古い時代の街並み、旧市街を呼びます。結構なアップダウンでしたが、皆さん余裕と言った感じ。しゃべりながら歩いていた私が一番息を切らしていました。青い街はインスタ映えするポイントも多く今日も皆さんと一緒に写真タイム。良い写真が撮れました。
- ティトゥアン
- シャウエン
- 4日目
- 2月13日/晴れ/24 ℃
- 今日はシャウエンからボルビリスへ向かいます。 歴史を振り返ると、モロッコではカルタゴが都市を築きます。しかしポエニ戦争でローマに敗れたあと、海沿いにローマの植民都市が多く建設されました。そのひとつのボルビリス。オリーブの畑の中にひっそりと佇む古代都市はかつて油の貿易で栄えました。ここでは貴重なモザイクがたくさん発掘されました。その中でもタコはとても上手に描かれてました。公衆トイレでは奴隷に便座を温めさせていたとか。笑えます。217年に建てられたカラカラ帝の凱旋門もしっかり残っていました。ボリビリスとは朝顔の意味。遺跡にひっそりと咲く朝顔が印象的でした。 モロッコはイスラム教の国ですがぶどう酒を生産しています。その銘醸地がメクネスです。ここではブドウ栽培に必要とされる環境が整います。夕食では日本ではなかなかお目にかかれない珍しいグリワインを頂きました。美味しかったですね。
- ボリビリス
- ボリビリス
- 5日目
- 2月14日/晴れ/26 ℃
- 世界で一番複雑な街、フェズ・エル・バリ。建国者イドリス1世は、8世紀にバグダッドで迫害から逃れ、ベルベル人のいる中央モロッコに亡命します。 789年イドリスはフェズ川のほとりに首都を建設、モロッコで初のイスラムの都となりました。北の砦から街を一望した後、いざ迷宮の中へ。最初になめし皮職人街にあるタンネリを訪れました。動物の皮に耐久性をつけ、かつ柔らかくする作業を行ったのち、染色容器に浸していきます。バブーシュが人気でした。その後カラウィーン地区を通り、カラウィーンモスクを外から眺め、美しいムーレイ・イドリス廟も外から眺め、ネッジャリン広場へ。迷宮をぐるぐる歩きながら、婚礼屋さんに立ち寄りようやくランチ。その後、ブーイナニア神学校の見学。マリーン朝が設立した最後の、そしてフェズでは最大規模のイスラム学院です。この建物の装飾はイスラム建築の代表作品。今日はとても良く歩きました。
- フェズ タンネリ
- ブーイナニア神学校
- 6日目
- 2月15日/晴れ/20 ℃
- 今日はアトラス山脈を越えます。昨日まではモロッコの中でも雨が多く降るエリアでしたので、緑も多く大地も潤っていましたが、今日は乾いたエリアに進みます。 イフランはヨーロッパスタイルの町。ここはモロッコのスイスと呼ばれ、夏の避暑地、冬はウィンタースポーツの盛んなところです。 お昼はハイアトラス山脈の見えるレストランでマス料理。その後南に進み、途中ジズオアシスで写真タイム。ジズ川に沿ってオアシスが続きます。オアシスにはナツメヤシの木、オリーブの木が植えられ、アーモンドもこの時期綺麗に咲いていました。地下水脈を探し地下タンクに水を貯め、各家庭に農業用水を供給する灌漑システム。現在贅沢はできませんが、欲しいときに水が手に入ります。夕方エルフードに到着。4WDに乗り換え砂漠のホテルに出発です。砂漠の入り口で写真を撮りお泊りのホテルへ。今日は夜空を見上げて楽しむ余裕がありました!!
- ジズオアシス
- メルズーカ砂漠
- 7日目
- 2月16日/晴れ/24 ℃
- ホテルからラクダに乗った方、歩いた方、それぞれ日の出ポイントへ。日が昇ってからの光のコントラストが綺麗でしたね。待っている間ターバンを巻いてもらい気分はベルベル人。 エルフードの町へまた4WDで戻り、出発して少しすると、灌漑システムが見えてきました。こんもりと土を盛りその中に井戸を掘り水を貯めるシステムです。地上の貯水溝では蒸発してしまうため、地下に造ります。食事の後はヤシの林が広がる小山の斜面に家々が段々に並び、トドラ川の土手沿いにオリーブやザクロ、オレンジの木がまっすぐに並ぶ、美しいトドラオアシスを見学。そのまま東に進んでいくとどんどん道は狭まり、300級の断崖絶壁から今にも岩が落ちてくるような迫力満点のトドラ渓谷を見学しました。バラの産地を通り、お泊りのワルザザードへ。お部屋もグレードアップしてゆっくり過ごしていただきました。
- サハラ砂漠 日の出
- トドラ渓谷
- 8日目
- 2月17日/晴れ/24 ℃
- 今日はティフルトゥートのカスバから。ワルザザードの北5㎞のところにあるこのカスバは250年ほど前に建てられました。そして同じころ、アイト・ベンハドゥも建設。ユネスコの世界遺産に登録されたこの防砦村は国内で最も美しいクサルと謳われています。見張り台まで登り景色を楽しみました。食後はアトラス越えです。ティシュカ峠は国内最高ポイントの道路で2260m。さすがに風が冷たかった。その後はひたすら下り、マラケシュへ。 1070年、サハラの砂漠の民、ムラービト朝のアブー・バクルが軍隊を率いてハイアトラス山脈のほとり、川の流れる平野に侵入してきました。ムラービト朝の都になったマラケシュは、キャラバンサライの通過点となり、金や皮、砂糖で富み帝国の中心となりました。その後ムワッヒド王朝、サアード王朝の首都となり繁栄します。各時代の建造物が残り、モロッコの中で一番観光客の多い街です。明日の観光が楽しみです。
- アイトベンハドゥ
- アイトベンハドゥ
- 9日目
- 2月18日/晴れ/30 ℃
- ジャック・マジョレルが造った庭園は、うっそうとした庭園の中に、意表を突く強烈なブルーのあずまやがあります。 小さな小路を抜けるとサアード朝の王族の墳墓群。フランス統治下、マラケシュの人はその存在を隠していました。こんなに美しいお墓ですから、よそ者に入り込んでほしくなかったのでしょう。一番豪華なエルマンスールのお墓は、アトラス杉のドーム型天井を、カラーラ産の12本の大理石が支えています。 メディナの中を通りバヒア宮殿へ。大邸宅の周囲には8ヘクタールの庭園をめぐらし、豪華な個室が中庭に面して不規則に並んでいます。1000人の工人が7年の間働き続けました。4人の正妻と20人の愛妾のためのものでした。 夕方はジャマエルフナ広場へ。昔から人々が集まるフナ広場はマラケシュの中心でした。今日も水売りおじさんや、グワナ音楽を奏でるグワナ族、蛇使い、猿回し、とても賑やかな広場でした。
- マジョレル庭園
- ジャマエルフナ広場
- 10日目
- 2月19日/晴れ/24 ℃
- 今日は大西洋の町エッサウィラへ。マラケシュからエッサウィラまでのエリアは世界で唯一アルガンの木が自生しているところ。その木にヤギを乗せてヤギツリー!!このエリアでしか見ることができません。 エッサウィラは絶えず貿易風が吹くため、気候は一年約300日以上晴れます。今日は市場の方から見学。ここは特にイワシ漁が盛ん。たくさんの船がイワシを捕まえて戻ってきていました。フェニキア、カルタゴ、ローマと地中海沿岸地域と同じような運命を辿り、15世紀からはポルトガル人がこの街を交易の足場にしました。彼らはサトウキビ栽培をこの地で成功させ、街の防御を固めるために砦を築きました。 アフリカ大陸にいることを忘れてしまいそうな雰囲気の街並みでしたね。現在はアーティストの街。素敵なお土産を見つけた方も!ランチは今までのお食事と変わってシーフードメニュー。午後はひたすらカサブランカへドライブ!
- ヤギツリー
- エッサウィラ
- 11日目
- 2月20日/晴れ/21 ℃
- 今日はとうとう帰国の日ですが、空港に行く前にカサブランカの見学から。カサブランカは紀元前10世紀、ベルベル人の漁師が街の南にある丘に住み着いたのが始まりと言われています。 現在はカサブランカの近代化が進み、マグレブ諸国の中で最大の都市となっています。モハメド5世広場は国連広場とも呼ばれ、カサブランカの主な道路はこの広場から出て、新市街と旧市街を結んでいます。広場は1950年代に整備、拡張されました。 ハッサン2世モスクはアメリカにおける自由の女神のように、北アフリカのランドマークとなるものを建てたいという希望からこのような壮大なモスク建築が始まりました。高さ200メートルのミナレット、頂上からは毎晩メッカの方向へレーザービームが放たれます。1993年当時は大規模な都市改造を伴うプロジェクトでした。 全ての見学が終わり、空港へ。 15:05定刻通り、エミレーツ航空でドバイへ。
- ハッサン2世モスク
- エミレーツ航空
- 12日目
- 2月21日/晴れ/12 ℃
- エミレーツ航空は定刻でドバイを出発し成田に無事到着。 12日間のツアーは終わってみるとあっという間で、皆さんの心にモロッコの色々な景色が残っているのではないでしょうか。モロッコほど変化に富んだ国は少ないように思います。ティトゥアン、エッサウィラはヨーロッパの雰囲気が色濃く残っていました。フェズ、マラケシュは迷宮の街。アトラス地方のイフランは高原リゾート、メルズーカの砂漠ホテルでは星空も楽しめました。砂漠のオアシスや岩山迫るトドラ渓谷、そして桜のようなアーモンドの花!様々な景色をご覧いただきました。またお写真を眺めながらぜひモロッコを思い出してくださいね。 最後にこの度はクリスタルハートご参加まことにありがとございました。この先も安全で楽しい旅を続けてください。お体に気を付けて、またお会いできる日を楽しみにしています。
- アーモンドの木
- ラクダ体験
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