2019年5月2日出発<フィンランド航空利用・ビジネスクラス>バルト三国とポーランド11日間
※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
2019年5月2日出発ツアー添乗員レポート
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- 添乗員/渡辺 真紀子(わたなべ まきこ)
- 「バルト三国とポーランド11日間の旅」14名様ご参加誠にありがとうございます。 ひとくくりにまとめられがちなバルト三国はそれぞれ歴史、民族、言語、文化の特徴があること、そしてポーランドはリトアニアと連合国であり中世は大国であった事など、旅をすることで理解できる場所だとおもいます。又、それが皆様に伝わっていれば幸いです。 菜の花畑、新緑の緑、コウノトリの子育てなど春の季節も感じられました。 雪に始まり、めまぐるしく変わる5月の天気にも負けず、元気に旅を終える事ができたのは 皆様のご協力あってのこと、本当にありがとうございました。案内してくださった現地ガイド、バスドライバー、スタッフにも感謝いっぱいです。
- 1日目
- 5月2日/雨/3〜10 ℃
- 旅の始まりはフライトから!サービスに定評のあるフィンランド航空ビジネスクラスにて 一路ヘルシンキへ。ビジネスクラスでゆっくりと。 あいにくの雨ではありましたが、街の中心元老院広場で散策のお時間。 バルト•ポーランドの旅はバルト海に接しているとはいえ、なかなか海を見る機会が無いので、この旅ではヘルシンキからタリン間を船で渡りバルト海を堪能して頂きます。 スーツケースは別の車で、身軽に乗船。タリクシリアライン、スター号はヘルシンキ西港ターミナルより出航。約2時間のクルーズです。お夕食は各自船内で。お買い物も楽しめます。日没が遅いので今の時期はうまく行けば船上から日没が望めるかも、、と期待しましたが、 残念ながら雲の中でした。港町タリンに到着。 お泊りは旧市街散策に便利なラディソンBLUホテルです。 明日は雪の予報。タリンの街は冷え込んでおりました。
- 白亜の大聖堂
- バルト海を渡りエストニアへ
- 2日目
- 5月3日/雪のち晴れ/−2〜4 ℃
- 早朝から予報通り、、粉雪が舞う空。 エストニア共和国の首都、中世ハンザ都市の面影を残すタリン観光です。 街の発祥トームペアの丘の上より歴史を感じさせる石畳の街を歩きます。 アレキサンドルネフスキー聖堂では祈りの時間に遭遇し、展望台から塔の街の展望を楽しみ、ラエコヤ広場に着く頃には青空も見えてきました。古い薬局で暖をとり、工芸品の工房が集まるカタリーナの小径からセーターの壁、大ギルドの会館、上皇が泊まられたホテル三人姉妹、貫禄のある円塔太っちょマルガリータ、街で一番高い鐘楼がある聖オレフの教会を仰ぎ、 城壁歩きでは疲れた足をよっこらしょ。本当に良く歩きました。午後は自由散策をお楽しみ頂きました。 夕食後ホテル最上階のサンセットバーから見る夕景は美しかったですね。寒い一日お疲れさまでした。
- タリン散策
- タリン 夕景 ホテルサンセットバーより
- 3日目
- 5月4日/曇り雨晴れ/3〜10 ℃
- バルト三国の首都を結ぶ幹線道路は「バルトの道」と呼ばれ、1989年8月23日の夏の日ソ連統治下にあったバルト三国が独立運動の一環として行われたデモ活動「人間の鎖」でおよそ200万人の人々が手をつないだ道。車中、ラトビアで生まれた「百万本のバラ」を聞き当時の人々の想いを馳せながらラトビア共和国の首都リガに到着です。 昼食後激しく降っていた雨もやみ青空も見え、一安心。 ドイツ人により都市の基盤が造られ「ドイツよりドイツらしい街」といわれるこの街の歴史800年。ロマネスク、ゴシック、バロック、そして帝政ロシア時代のユーゲントシュティールと様々な建築様式が混在しているリガの街を巡りました。本日5月4日は1990年にソ連からの独立を宣言した独立記念日で街の中は様々なイベントが行われており、特に印象的だったのは、自由記念碑広場での合唱で、青空に美しい歌声が響いておりました。お停まりはダウガヴァ川沿いのラディソンBLUホテル。「バルトの真珠」リガの街が望めます。
- 自由記念碑 合唱の声美しく
- リガ ダウガヴァ河畔より
- 4日目
- 5月5日/雨晴れ曇り/3〜12 ℃
- ラトビア西部、リトアニアとの国境辺りはクルゼメ地方と呼ばれ、牧草地や畑が広がります。 ガタガタと田園風景を走りこつ然と現れたのが「ルンダーレ宮殿」。この地は16-18Cバルト•ドイツ人国家クールラント公国が存在し、18C公爵ピロンのために、ロシアの女帝アンナが夏の離宮として建てた宮殿です。ロココの装飾と色とりどりの内装の美しさがバルトのヴェルサイユとも呼ばれています。宮殿内を見学し昼食はかつての厨房レストランにて。 国境を越えてリトアニアへ。キリスト教の巡礼地「十字架の丘」訪問。 この丘に十字架が建てられたのは1831年のロシアに対する11月蜂起のあと、 反乱兵の母親が息子の遺体のかわりに十字架を建てたのがはじまりで、1918年リトアニア独立を回復後から、平和や独立戦争での死者達のために祈る場所になったという。 折り重なる十字架の丘を歩いてみると、頂に聖母マリア像があり、帰らぬ人となった息子を想う母親の姿と重なります。 丘の周りの咲いたばかりの菜の花が、風にふかれていましたね。 お泊りはヴィリニウス郊外のリゾート地グランドホテル。 敷地内の湖畔散策はちょっと寒かった。。。
- 母の想い 十字架の丘
- 嘆きのキリスト 十字架の丘
- 5日目
- 5月6日/晴れ時々曇り/5〜15 ℃
- リトアニアの首都ヴィリニウス観光 この街の特徴は緑が美しいこと、中世にドイツの影響下にないこと、そしてとにかく教会が多いこと。その中の1つ街の東にある、「聖ペトロ•パウロ教会」へ 市街地の外にあった事から戦禍から免れた教会のひとつ。リトアニアバロックの真珠と言われる由縁はその内装。入場するとシンプルな外観から想像もつかぬ白の世界が広がります。 手がけたイタリア人建築家P.PertiとG.M.Galliの装飾のテーマは「世界は劇場、神は観客」なるほど、2000人もの人物像、寓話、装飾、が真っ白の漆喰装飾で飾られている。 1668-1674に建築され、内装には30年の歳月がかかったそう。 世界には数多くの教会がありますが、印象に残る教会のひとつと言うお声も。 赤煉瓦が美しい聖アンナ教会、夜明けの門のアリアのイコン礼拝堂、王冠がのっている 聖カジミエル教会、ギリシャ神殿風の大聖堂と特徴のある教会を巡りました。 午後はリトアニア公国のかつて都トラカイへ。お城は月曜休館だったはずが、午後からなんとオープンと言う事で、入場していただきました。
- 神は観客 教会は劇場
- とんがり屋根のトラカイ城
- 6日目
- 5月7日/晴れ時々曇り/10〜16 ℃
- 連日寒い日が続いていましたが、今日は春を感じさせる穏やかな日差し。 カウナスの丘の上、閑静な住宅地にある旧日本領事館、「杉原千畝記念館」訪問。 「最後は人としての決断」としてユダヤ系避難民に命のビザを発給したその場所です。 ビデオ鑑賞にて杉原氏の功績にあらためて感銘を受け、執務室の机に座って記念写真。 幸子夫人が植えた桜の木の前でいいお顔で集合写真。昼食レストランの隣のメトロポリスホテルは杉原一家が最後に宿泊し、ロビーでビザを発給し続けた場所。記念プレートを見学後名物コルドゥナイ(リトアニアの水餃子)をご賞味。 バルト三国にさようなら、国境を越えポーランドへ。 ワルシャワまで約6時間のバスの旅。北ヨーロッパ平原を延々と走ります。 菜の花畑が満開を迎え、時々見られる、コウノトリの巣に心和みました。 首都ワルシャに無事にご到着。安全運転ありがとう!運転手のヴィーガンダスさんとお別れです。お泊りは街の中心インターコンチホテルにて。スターリン時代の宮殿が目の前です。
- 旧日本領事館 命のビザ
- 一路ワルシャワへ 美しい菜の花畑
- 7日目
- 5月8日/晴れ時々曇り/5〜16 ℃
- ポーランドの首都ワルシャワは偉大な音楽家ショパンにゆかりの深い土地。 緑美しいワジェンキ公園で有名なショパンと柳の木の像を見学。 街の観光はショパンの心臓が眠る聖十字架教会から、ここから北へ旧市街の王宮へのびるクラコフ郊外通りはショパン関連の見所が集中しており、日本語が上手なエリザベートさんの案内でショパンの足跡を巡りました。 ショパンの最後の住まいチャプスキ宮殿、学び暮したワルシャワ大学、オルガンの演奏をしたヴィジトキ教会、8才で初めてピアノ演奏会を開いた大統領官邸などなど、、ピアノの音色が聞こえてきそうです。旧市街にあるポーランドが誇るもう1人の偉人「キュリー夫人博物館」訪問。キュリー夫人が実際に使っていた研究器具と復元された研究室より研究に生涯を捧げたその信念とたゆまぬ努力に敬服です。 ヴィラヌフ宮殿ではヤン王の美術のコレクションに圧巻し、最後はショパンの生家があるジェラゾヴァボーラへ。帰路バスの中、エリザベートさんのワルシャワ蜂起の話が印象的でした。お夕食はショパンが通った居酒屋「ホノラトカ」にて。ハチミツ酒のお味はいかがでしたか?
- ショパン眠る 正十字架教会
- ヴィラヌス宮殿 春の庭園と
- 8日目
- 5月9日/曇り雨/6〜17 ℃
- ポーランドの古都クラコフへ高速鉄道で向かいます。都市間約300kmを通常バスだと5時間かかる所、楽々の2時間少々で移動できてしまうのです。窓から平原の国の景色を楽しみながら。クラコフは11世紀半ば〜550年の長きに渡りポーランドの首都で歴史の街。歴代ポーランド王の居住地であるとともに、交通の要所であることから東西の物資の行き交う交易地としても栄えました。第2次世界大戦の戦火から逃れる事ができた事から「ポーランドの京都」と例えられます。終日徒歩観光のため路面電車にも乗車。ヴィスワ川沿いに聳えるバヴェル城へ。旧王宮ではタペストリーのコレクションを中心に見学。ヨーロッパの修学旅行シーズンで何処も混み合っていましたね。中心に建つ聖マリア教会の高い塔の上から16:00のトランペットの悲しげな音色を聞き、教会に入場。祭壇画は修復中で残念ながらご覧いただけませんでしたが、教会の真髄はなんといってもエキゾチックな色づかいの内装にあり、小宇宙を想わせる空間です。賑わう中央市場広場をぬけると、お泊りのグランドホテルにご到着。チェックイン後、夕食まで街の散策に繰り出しました。近くの陶器屋さんが人気の様です。
- ポーランドの新幹線
- クラコフ中央市場広場 織物会館
- 9日目
- 5月10日/晴れのち雨のち曇り/7〜18 ℃
- この旅の観光最終日。ポーランドの二大世界遺産を訪れます。 ポーランド王国に巨万の富をもたらし、繁栄へと導いたのは「白い金」と呼ばれた塩。 ヴィエリチカ岩塩坑観光より。1044年創業で廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古。長きにわたって堀られた坑道の深さは地下327m、全長300kmにもおよぶんだそう、、、。 鉱夫が自らの手で彫り上げたという岩塩彫刻の数々。塩でできているという事実もさることながら、その精度に驚きです。やはり大きな空洞に造られたキンガ礼拝堂は圧巻でした。 南部の地方都市「オシフィエンチム」と隣村の「ブジェジンカ」。のどかな田園風景が広がるこの地に、人類の歴史で消し去ることのできない傷痕が残されています。世界遺産「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」人類が「追悼と記憶」の場として、忘れてはならない場所。 博物館専属ガイドの中谷さんに案内して頂きました。 ビルケナウの見学が終わる頃、雨もやみ、水はけの悪い土地の水たまりに陽があたっていたのが印象的でした。 最後の晩餐は旧市街広場に面する老舗レストランHawelkaにて。
- キンガ姫の物語 ヴィエリチカの岩塩坑
- アウシュヴィッツ強制収容所 ビルケナウ
- 10日目
- 5月11日/晴れ/8 ℃〜
- 帰国日の朝は名残惜しいほどに晴れ渡り、早朝中央広場に散策に行かれた方もいたようです。マテイキ広場からバスに乗車、クラコフ空港へ。残ったズロチでユダヤパンを食べました。フィンランド航空1162便は定刻にてヘルシンキへ 乗り継ぎの間ラウンジでお過ごし頂きましたが、大変な混雑だった様、、、 最後のお買い物もお楽しみ頂き、成田行きフィンランド航空73便も定刻にて出発。 ビジネスクラスでゆっくりとお休みください。
- クラコフグランドホテル ロビー
- お過ごし頂いたヘルシンキ空港 ラウンジ
- 11日目
- 5月12日/晴れ
- 無事成田空港にご到着。 バルト三国とポーランド旅はいかがでしたか? 旅は三回楽しむ!どうぞ帰国後も興味が広がります様に!
- 杉原千畝記念館前にて カウナス
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