2019年10月4日出発 <フィンランド航空利用>中世の歴史を訪れるおとぎの国ポーランド9日間
※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
2019年10月4日出発ツアー添乗員レポート
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- 添乗員/中島 暢子(なかしま のぶこ)
- ポーランドの国土は日本の約80%、日本の北海道と本州を合わせたくらいの大きさで、人口は約3800万人の平らな国土を持つ国です。今回は、13名様にご参加いただきました。秋の紅葉がいたるところでみられ、クラクフからブロツワフに向かう列車の中では、たわわに実った麦の畑がどこまでもどこまでも続いていました。そして、ポーランドの秋はキノコが美味しい季節で、市場で乾燥キノコも買った方もいらっしゃいましたね。ポーランドは、アウシュビッツ強制収容所のイメージが強く、なかなか訪れる人のまだまだ少ない国ですが、今回は、アウシュビッツだけでなく、ショパンコンサートや、ショパンの博物館等のショパンの世界もじっくり見学し、また小さなカラフルな建物が立ち並ぶ、可愛らしい中世都市をまわったりもしました。そして、人々はとっても親日で優しく、郷土料理もおいしく、物価が安いのもうれしいかぎりでしたね。
- 1日目
- 10月4日/くもり/10 ℃
- 朝9:50発でしたが、少し遅れて10:20に出発。フィンランド航空72便にて、ヘルシンキ経由で、ポーランド・クラクフへ。ヘルシンキ空港での乗り継ぎ時間が長すぎて、本当に疲れてしまいましたね。 ポーランドの南部、クラクフはかつてのポーランドの首都で、ポーランドの黄金時代、中世の時代は、ヨーロッパでも有数の文化都市として発展していました。14世紀の早い時代に、ポーランド最古のヤゲヴォ大学も創設されました。現在でも、丘の上には王国時代、王様の居城だった、ヴァヴェル城が聳えていて、中世の街並みも残っていて、世界でも最初に世界遺産に登録された街です。本日から、3日間、クラクフではMsモニカさんが、案内してくれます。クラクフのホテルは、立地のいいラディソンブルクラクフホテルで、嬉しい3連泊です。
- クラクフ ラディソンブルクラクフホテル
- クラクフ ガイドさん モニカさん
- 2日目
- 10月5日/雨/10 ℃
- 王国時代の中世の王様の居城ヴァヴェル城観光。ポーランドの豊かな時代を彷彿させるものでした。名物のピエロギという餃子をお昼にお召し上がりいただき、午後は、13世紀から、国営企業として塩を採ってきたという、ヴィエリチカ岩塩鉱観光です。中世の時代は塩は欠かせないものだったので、高値で取引されていました。この世界最古の製塩企業だった岩塩鉱は地下327m、全長300㎞以上あり、その一部を観光しました。中に入ると美しい、塩の彫刻(今までここに訪れた歴代の有名人の)がみられました。塩鉱内は木も腐らず、塩のおかげで空気中に菌がないため、空気がきれいで、肺にも良く、肺の病気の方などの療養でもこの場所が使われているそうです。空気を思いっきり吸いながら、歩きました。夕食は伝統のフォークロアディナーショーでした。可愛い民族衣装を着た女性たちと一緒に、とても上手にフォークロアダンスを踊りました。
- ヴァヴェル城
- フォークロアディナーショーにて
- 3日目
- 10月6日/くもり/8 ℃
- 負の遺産として世界遺産になっている、アウシュビッツ強制収容所とビルケナウ見学。街の名前「オフィチエンチム」がドイツ語で「アウシュビッツ」と地名が変えられ、今ではアウシュビッツというと強制収容所のことを表します。もともとは、ナチスに反対した、ポーランド人を政治犯として収容するための施設でしたが、その後ヨーロッパ各地からユダヤ人が連れてこられるようになり、たくさんの人がガス室に送られました。ガス室に送られなかった人々も、馬小屋のような、隙間だらけの木造の板だけのバラックに冬は-20℃にもなる寒さの中で、十分な食べ物も与えられず、恐怖のなかで重労働を強いられていた現実を目の当たりにし、考えさせられました。午後はクラクフへ戻り、国立美術館にてレオナルドダヴィンチの白貂を抱く貴婦人の絵をご覧いただき、馬車に御乗車。馬車に乗ると晴れてきて、素晴らしい旧市街の景色を見ることが出来ました。
- ビルケナウ強制収容所
- 馬車に乗る頃には晴れてきました。
- 4日目
- 10月7日/晴れ/11 ℃
- クラクフ中央駅からシュレージェン地方のブロツワフまで、列車で移動。各駅停車で何ケ所もの駅で止まりながら1時間程遅れて到着しました。ダンディなガイドさん、Mrトーマスさんが案内してくれました。キノコの美味しい時期なので市場にはたくさんの種類の、キノコが並んでいました。「TARGOWA」というビアホールレストランにて、サラダと顔以上に大きいポークカツレツをお召し上がりいただきました。とても美味しい名物カツでした。世界遺産の100年記念ホールは、1813年にプロイセンを含む連合軍が、ナポレオンに勝利したライプツィヒの戦いの100年記念に建設された建物です。そう、ここは建てられた当時はトイツ領だったということです。 本日は特別に、100年記念ホールの紅葉に染まった庭で噴水ショーもご覧いただきました。
- クラクフ駅にて 列車が遅れていました。
- 美味しかった顔より大きな昼食のポークカツ
- 5日目
- 10月8日/くもり/15 ℃
- 本日はブロツワフから陶器の街ブロツワビエツへ。工場見学とメインは陶器のお買い物です。温かな感じのする、可愛らしい模様で絵付けされたポーランド陶器は日本のデパートで買うよりも、かなりお安く買えるとあって、嬉しくなり私も毎回たくさん買ってしまいます。ブロツワビエツの旧市街は、カラフルな建物が並んだ可愛らしい小さな街で、インフォメーションセンターを訪れると、観光案内のお兄さんが歓迎してくれ、栃の実をくれました(笑)農家のレストランにて、ブロツワビエツの陶器のお皿でボルシチスープ、魚のフライ、手作りアップルケーキの昼食を取り、午後はシビドニツァの平和教会へ。世界遺産にもなっているこの教会は、他では見られない、すべて木造の素晴らしい教会でした。このツアーでは特別に独特の美しい音色をだす、パイプオルガンのコンサートをお聞きいただきました。
- ボレツワビエツ 伝統的な陶器工場
- シヴィドニッツアの平和教会
- 6日目
- 10月9日/晴れ/15 ℃
- 午前中移動で、ポズナンの街へ。ポズナンの旧市街では、正午に一日一回だけ見られる、市庁舎のからくり時計があります。ポズナンの街のシンボルであるヤギが扉から顔を出すと、今か今かと待ちわびていた多くの観光客の人々が歓声をあげました。からくり見終わってから、Banberkaレストランにてロールキャベツのご昼食後、かわいい ガイドさん、Msオラさんが案内してくれました。ポズナンの街中を流れる、ヴァルタ川の中州は、ポーランド発祥の地でポーランド最初の王、ミエシュコ1世がお城を構えた場所であり、ポーランド最初の大聖堂が建てられ、国がキリスト教の国として始まった土地でもあります。特別に大聖堂内も見学しました。最初の王様ミエシュコ1世と、その息子ボレスワフ1世のお墓もありました。そしていよいよワルシャワへ。 夕食はインターコンチネンタルホテルにてオニオンスープ、サーモングリルでした。
- ポズナンの旧市街にてガイドのオラちゃん。 市庁舎の前で
- 宿泊するホテル インターコンチネンタルホテルでの夕食
- 7日目
- 10月10日/くもり時々雨のち晴れ/15 ℃
- 本日は日本人ガイドさん、フジタさんがワルシャワをわかりやすく案内してくれました。朝一番に観光したのは、ワジェンスキ公園で、公園の前には、日露戦争の時に日本に来て、日本のために援助を申し込んだと言われるユゼフ・ピウスツキの像が建っていました。ピウスツキはポーランドが第一次世界大戦後、独立した時に国家元首となりました。緑あふれる公園内には、ショパンの像もあります。第二次世界大戦中、ナチスに支配されていた時代、ショパンの像が破壊されてしまい、戦後再建されたものです。パリへ旅立ってからはポーランドに戻ることがゆるされなかったショパンでしたが、亡くなった後、心臓だけでもワルシャワに埋葬してほしいとお姉さんに遺言を残しその遺言どおりショパンの心臓が収められている、聖十字架教会を入場したり、ショパン博物館を入場観光しました。
- ワジェンスキ公園にて
- 貸し切りショパンコンサートにて
- 8日目
- 10月11日/晴れ/15 ℃
- 昨晩の夜は、素晴らしい数々のショパンの曲を有名なピアニストによる演奏で、貸し切りでコンサートを鑑賞。最後の夜はショパンも通ったというレストラン「HONORATKA」でいただきました。ワルシャワはショパンずくめの観光でしたが、ショパンは素晴らしい曲を作曲したというだけでなく、ちょうどショパンの生きていた時代、ポーランドが分割されていた時代でしたが、ショパンはずっとポーランドの独立を願って祖国ポーランドのために曲を作りました。そのため独立のシンボルのような存在にもなっています。夕食の後、ご希望のお客様と、宿泊していたインターコンチネンタルホテルのバーにて2次会を楽しみました。本日は帰国日ですが、朝の出発が10時だったので、ゆっくりご朝食をお召し上がりいただきました。日本は大型台風が来ているとのことで、大騒ぎになっていました。帰国便が無事に、成田に到着できるか心配でした。
- ホテルのバーにて皆様と2次会
- 3日目の夜 フリー食でご案内したレストランにて
- 9日目
- 10月12日/雨/25 ℃
- 私自身、とても親日で、日本との歴史的な関係も深い、ポーランドにとても思い入れがあります。ポーランドは10世紀に歴史が始まり、農業と岩塩採掘で経済的基盤があり、16世紀にはモスクワ大公国に次ぐ大国でした。しかし17世紀から力が弱まり、他国から干渉され、1795年から123年間も他国から分割され地図上からポーランドが消えてしまった時代がありました。しかし123年間、その後の第二次世界大戦時、その後の社会主義時代も、何世代にもわたって自由をあきらめなかった人々の思いがあり、たいへんな苦労や悔しさを乗り越え、独立を成し遂げたポーランドの人々は素晴らしく、尊敬の念を抱きます。みなさまにとって、ポーランドの旅行が意味のある、楽しい思い出に残る旅となりますように。9日間ご協力ありがとうございました。
- 4日目の車窓からの景色 どこまでも続く麦畑
- 12日帰国日。日本は大変な台風でした。
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