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2018年11月5日出発 時を紡ぐ北スペインとポルトガル10日間

※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。

2018年11月5日出発ツアー添乗員レポート

※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
添乗員/荻野 昭博(おぎの あきひろ)
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今回の出発便はエミレーツ航空の飛行機でしたので、いつもよりゆっくり目の電車で成田空港に向かいました。車内は爆睡してしまったもので…いつものことですが…空港に着くとやっと頭も回りだし絶好調!準備をカウンターで進めていると、少しずつお客様が集まって来ました。皆様、元気そうな笑顔で来られます。そんなお顔を見るとよりいっそう身が引き締まる思いを感じ、10日後に成田空港に戻った時に、皆様が楽しく快適に安心して旅が終われた、と、思えるように一生懸命同行させてもらおうと改めて思いました! 添乗員歴はもうすぐ20年。欧州・南米・アフリカ・中東・アジアなども幸い色々な珍しい場所にも沢山行かせてもらいました。そんな中でもとてもポルトガル興味深い所です!美味しい食の国です!! 今回のポルトガルが素晴らしい旅になりますように精一杯ご同行させていただきます!!
1日目
11月5日/曇り/10〜16 ℃
成田空港からエミレーツ航空機でUAE のドバイへ。ドバイにて航空機を乗り継ぎ旅の出発地点、ポルトガルの首都リスボンを目指します。 さて、今回旅するポルトガルですが、イベリア半島に位置する共和制国家で、北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及び、西と南は大西洋に面しています。首都はリスボンでユーラシア大陸最西端の国家です。ヨーロッパでは最初に東アジアと接触を持ちました。言葉はポルトガル語が公用語で、宗教はローマン・カトリックが97%を占めます。主要産業は農業、水産業、食品・繊維工業、観光です。地中海性気候を生かし、オリーブ、小麦、ワイン、コルクの生産が盛んです。オリーブの生産高は世界7位、ワインの生産は世界10位です。そして、意外にもそれほど知られていませんが世界遺産は12件有ります。 さあ、そんなポルトガルをこれから、歩いて、見て、食べて堪能してみましょう!!
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機内モニター
2日目
11月6日/曇りのち雨/9〜14 ℃
無事にポルトガルの首都リスボンに到着。この日は夕刻に列車でポルトガル第2の都市ポルトに向かいますが、それまでの時間を利用してリスボンの旧市街アルファマ地区を訪れました。狭い路地、急な階段ととても趣きがありました。散策の後はリスボンのサンタ・アポローニャ駅からポルトのカンパニャン駅まで約300kmを列車に揺られて移動しました。ポルトガルの年季の入った列車もまた味わい深さがあり、初めて見たはずの車窓の景色もどこか懐かしさを感じました。異国での列車の旅はバスの旅とはまた違う興味深いものでしたネ。ポルトに着いたのはすでに薄暮、あいにく雨が降ってはいましたが駅舎を取り巻く黄色い外灯の灯りがとても雰囲気ありました。さて、成田を出発してからどれくらいが経ちましたでしょう?成田→ドバイ→リスボン→ポルト。最初の大移動もやっと終わりです。この日はやっとベッドへたどり着きます…ほんとにほんとに長い一日、お疲れ様でした。
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ポルトの駅
3日目
11月7日/雨のち曇り/8〜15 ℃
この日は、ポルトガル第2の都市ポルトの観光でした。さてこの街はというと、人口約263,000人、ドウロ川北岸の丘陵地帯また河口近くに築かれた街で、歴史は古くローマ帝国時代からの港町です。近代では、18世紀から19世紀にかけて、ポルトの港から特産ワインがイングランドに盛に輸出され、英語でポートワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれて有名になりました。さあ、この日最初に訪れたのはレロ・イ・イルマオン書店でした。真ん中にあった螺旋階段と内部の装飾は本屋さんとはおもえない美しさを放っていました。次は、町の中心に位置するポルトの玄関口で、20世紀初め修道院の跡地に建てられました。ホールを飾るアズレージョが見事です。観光途中ポートワイン工場のサンデマンも見学、そして午前の最後は、バロック装飾の素晴らしいサン・フランシスコ教会を訪れ美しい内部の鑑賞特に「ジェッセの樹」と呼ばれるキリストの系図は興味深いものでしたネ。この日の午後はおもいおもいの時間を過ごしました。

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レロ・イ・イルマオン書店
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ドウロ川
4日目
11月8日/雨/8〜13 ℃
ポルトから約60km、初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケ生誕の地として知られているギマランイスへ。丘の上のブラガンサ公爵館、ノッセ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会を訪れながらの旧市街の散策をしました。特にノッセ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会はロマネスク様式とゴシック様式が混じった教会で、教会の前のアーチはムーア軍を打ち破ったサラードの戦いの勝利を記念して1342年に造られたといわれています。アーチが完成するとき、教会前にあったオリーブの幹が突然葉を出したという伝説をもとに、この名前(オリーブの樹の聖母教会)と呼ばれるようになりました。 ギマランイス観光の後は約215km途中スペインとの国境を越え、キリスト教3代巡礼地の一つサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向けての長いドライブでした。到着手前、巡礼者達がやはり立ち寄りそこから大聖堂の鐘楼を眺めるという、歓喜の丘より街の景色を眺めましたネ。この日の宿泊は大聖堂前のパラドールでした。

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歓喜の丘
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大聖堂
5日目
11月9日/曇りのち雨/8〜12 ℃
この日午前は、スペインが世界に誇る巡礼地の一つで、約800kmもの巡礼路の終着地として巡礼者達が目指すスペインのガルシアにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の見学をしました。ここは、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマのサン・ピエトロ寺院、エルサレムの聖墳墓教会と並んでキリスト教の三代巡礼地に数えられています。伝説では9世紀に星に導かれた羊飼いがこの地で聖ヤコブの墓を発見し、遺骨を祀った聖堂が建てられ、そこに教会が作られました。午後は180kmのドライブでした。また、ポルトガルに戻りリマ川が大西洋に流れこむ河口に開けたヴィアナ・ド・カステロへ向かいました。この日は標高249mのサンタ・ルチア山の高台に建つ、ポサーダ・デ・ヴィアナドカステロ・モンテ・デ・サンタルシアに宿泊しました。この日夕刻はあいにくの天気でしたが、アーチ状の壁や石造りのタイルを用いたレトロなインテリアが美しかったポサーダの宿泊はとても印象深いものになりましたネ。
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パラドール
6日目
11月10日/雨のち曇り/10〜15 ℃
午前はヴィアナ・ド・カステロから水の都アヴェイロへ。アズレージョが美しいアヴェイロ駅舎を訪れました。その後さらにバスを走らせ、政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市文化の中心地コインブラへ。ここは丘の上の大学を中心に広がる、人口9万人ほどの小さな町ですが、ポルトガルの歴史の中では大きな役割を果たしたいます。コインブラ大学は特に有名で、ヨーロッパでもパリ、ボローニャ、サラマンカに並ぶ古い大学です。さて、コインブラの観光はその大学からスタートでした。「無情の門」とも呼ばれる鉄の門をくぐり中庭へ。右手に大学のシンボル時計塔とラテン回廊を眺め、中庭の中心にはジョアン3世の像がありました。金泥細工による内部装飾や調度品はとても素晴らかったジョアニア図書館などを見学しました。その後旧市街を散策しなが旧カテドラル、サンタ・クルス修道院なども訪れました。Pastelaria Briosa Coombs で有名な金平糖をお土産にした人もいましたネ!

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アヴェイロ旧駅舎のアズレージョ
7日目
11月11日/雨のち曇り/10〜15 ℃
コインブラからナザレへ。ナザレでは丘の上のシティオを訪れました。シティオの広場には大きな2つの鐘楼を持つ教会ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会、展望台には小さな礼拝堂メモリアル礼拝堂がありました。その後、「王妃が愛した街」といわれるオビドスへ行き散策をしました。絵本に出てくるような可愛らしい景色は「谷間の真珠」とも呼ばれています。1282年には、オビドスを訪れすっかり魅了されてしまった王妃イザベルに、ディニス王が町をプレゼント!以後1834年までオビドスは代々の王妃の直轄地となり、今なお中世のままの姿をとどめていましたネ。その後、ポルトガルの首都リスボンへ。リスボンでは、ヴァスコ・ダ・ガマの棺があったジェロニモス修道院、船の出入りを監視する要塞ベレンの塔、大航海時代の偉人の像が立ち並んでいた発見のモニュメント、観光途中は貸し切りトラムに乗車や有名な「パスティス・デ・ナタ」のエッグタルトもいただきましたネ!

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ナザレの海岸線
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ジェロニモス修道院
8日目
11月12日/雨のち曇り/12〜14 ℃
この日はリスボン郊外の観光でした。最初はユーラシア大陸最西端を目指してロカ岬へ向かいました。ユーラシア大陸の西の果て、北緯38度47分、西経9度30分、高さ140mの断崖の上に、ポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ、詩の一節を刻んだ石碑がポツンとありました。「AQUI・・・ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA : ここに地果て、海始まる」、眼前に広がる大西洋から風をうけて岬の突端に立ち”地の果て”を実感しました。 ロカ岬の次に訪れたのは、緑の木々に覆われたシントラ山系、ところどころに見え隠れする豪華な城館。「エデンの園」、かつてイギリスの詩人バイロンは、シントラをこう称えました。シントラはこの緑の山中に、王宮を中心として貴族やお金持ちの別荘が点在しています。中でも、14世紀にジョアン1世によって建てられた、かつての王家の夏の離宮であった王宮は豪華さにかけては類をみないものでした。そして夕刻はリスボンでおもいおもいの時間をお過ごしいただきました。

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ロカ岬、カモンイスの碑
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ホテル近くのクリスマスツリー
9日目
11月13日/曇り/14〜16 ℃
長いようであっという間であったポルトガルでの時間、とうとう帰国の日が来ました。最後に、「日本とポルトガルの交流史」に触れてみましょう。 ポルトガルと日本の交流は、偶然の事故によって始まりました。3人のポルトガル商人を乗せた明国船が、種子島に漂着したのは1543年間でした。この時に鉄砲が伝来しました。日本は戦国時代にあり、この新兵器はたちまち各地で量産されるようになりました。1549年には、カトリック布教のため、イエズス会修道士フランシスコ・ザビエルが来日。ザビエルは2年後に離日しますが、このとき洗礼名ベルナルドという鹿児島藩士が同行しました。ベルナルドは単身リスボンに到着、初めてヨーロッパの土を踏む日本人となりました。ザビエルの滞日中、ポルトガル商船が始めて平戸に入港し、日本との貿易が始まりました。彼らは欧州や東南アジア産品を多数持ち込み、ボタン・カルタ・パン・タバコ・コップなど今でも日本語として日常的に使われるポルトガル語が普及しました。
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機内モニター
10日目
11月14日/曇り/20〜28 ℃
一時期、江戸時代に鎖国がありましたが、幕末の1860年、日本は再びポルトガルと修好通商条約を締結しました。1863年には福沢諭吉らが遣欧使節としてポルトガル国王ルイス1世に謁見しました。 ・日本語になったポルトガル語 ばってら、ブランコ、ビスケット、ボタン、キャラメル、カボチャ、 カルタ、カステラ、チャルメラ コップ、フラスコ、ジョウロ、 おんぶ、パン、タバコ、てんぷら、 トタン、ビイドロ、ザボン、 などなどです。 この度は10日間、ご一緒させていただきありがとうございました。 またぜひ、何処の国でお会いできましたらとても嬉しくおもいます! これからも旅を続けてください。お元気で!! Adeus‼︎

旅はもっと、おもしろい。
阪急交通社クリスタルハート

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