2019年5月4日出発皇帝列車「マジェスティック・インペラーター」乗車 皇妃エリザベートの軌跡ドイツ・オーストリア・ハンガリーへの旅路10日間
※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
2019年5月4日出発ツアー添乗員レポート
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- 添乗員/金光 早苗(かねみつ さなえ)
- 大変お待たせいたしました。LE166皇帝列車「マジェスティック・インペラーター」乗車 皇妃エリザベートの軌跡 ドイツ・オーストリア・ハンガリーへの旅路10日間の旅日記をお届けします。エリザベートが生きた時代に迷い込んだような、マジェスティック・インペラーターのサロンカー。皇帝のサロンカーは赤が基調。エリザベートのサロンカーは、彼女が愛したブルーで彩られています。年に数回しか走らない貴重な皇帝列車の乗車体験。エリザベートが好きだったカフェで頂くケーキなど、素敵な企画満載の今回の旅。幼いころにサウンドオブミュージックを観てから、ずっと憧れの場所だったザルツブルグをはじめ、大好きな中欧とエリザベート所縁の場所を皆様と巡る事ができてとても嬉しかったです。
- 1日目
- 5月4日/晴れ/1~13 ℃
- ★羽田国際空港→フランクフルト→ミュンヘン(マリオット泊)1837年のクリスマスイブにミュンヘンで生まれたエリザベート。宮廷より自然豊かなポッセンホーフェンでの生活を好んだ父マクシミリアン。馬に乗り自然を駆け抜ける天真爛漫なエリザベートの人生は、そんな彼女に心を奪われた若きフランツ・ヨーゼフ1世との出会いで大きく変わっていきます。皇妃としてのプレッシャーと窮屈な宮廷生活。ハプスブルグ帝国からの独立を望む国々との対立など、舵取りが難しい時代を迎えていた皇帝。エリザベートを深く愛しながらも共に過ごす時間は少なく、我が子の養育さえ義理の母ゾフィに奪われ、更に息子のルドルフが心中自殺。心のバランスを崩したエリザベートは、療養を兼ね旅から旅へ。側にいないエリザベートに毎日のように手紙を送る皇帝。2人が出会った時代が違ったなら、彼が皇帝でなかったなら、もっと幸せな時を過ごすことができたのかもしれません。
- ミュンヘンにあるエリザベートの生家マックス大公宮殿 現在は銀行
- ミンヒ(修道僧)が住むところが語源のミュンヘンの市章には修道僧が描かれています
- 2日目
- 5月5日/晴れ/2〜8 ℃
- ★ミュンヘン(連泊)花盛りのバイエルン王国の夏の離宮ニンフェンブルグに立ち寄った後、エリザベートの生家前でバスを降りミュンヘン旧市街を徒歩観光。日曜日のミサの為、ちょっぴり足を踏み入れるも悪魔の足跡は見れないまま聖母マリア像のあるマリエン広場&旧市庁舎へ。聖ペーター教会もミサ中でしたが、係の方が快く教会内に招いて下さり、ミサのパイプオルガン演奏を聴く事ができました。旧市庁舎のからくり時計をご覧頂いてから、エリザベートが過ごしたシュタインベルク湖畔にあるポッセンホーフェン城の周りを散策。エリザベートに思慕の念を抱いていたと言われる、ノイシュバンシュタイン城を建てさせた王様としても有名なルードヴィッヒ2世はこのシュタインベルク湖で謎の死を遂げています。ポッセンホーフェン駅の駅舎を利用したエリザベート博物館をご覧頂き、再びミュンヘンへ。夕食までの時間を利用し、アルテ・ピナコテークにも立ち寄りました。
- エリザベートが幼少から結婚するまで、多くの時間を過ごしたポッセンホーフェン城
- 駅舎を利用したエリザベート博物館。ルードヴィッヒ2世の命によりこの駅舎は建てられました。
- 3日目
- 5月6日/晴れ・くもり/2〜9 ℃
- ★ミュンヘン→ザルツブルグ→ハルシュタット→バートイシュル(コルドネスシフ泊)ミュンヘンにお別れして、モーツアルト&サウンドオブミュージックの舞台としても有名なザルツブルグへ。思わずドレミの歌を口ずさみたくなってしまうミラベル宮殿から、カラヤンの生家が側にあるマカルト小橋を渡って旧市街へ。ザルツブルグでしか購入できないオリジナルモーツアルトクーゲルを無事ゲットして、塩の街という意味のハルシュタットへ。ハルシュタットまであとちょっとという場所で落石処理で足止めに合いましたが、皆様が走っている時でなくて良かったです。絵葉書の様なハルシュタットを徒歩と一部のお客様は船で観光。エリザベートと若き皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が出会ったバートイシュルでは、私達も素敵な青年との出会いが!残念ながら恋には繋がりませんでしたが、通行止めで立ち往生していたところ地元の青年が助けてくれるという思い出に残る出会いでした。
- 絵葉書のような景色が広がるハルシュタット
- 一緒にバスに乗ってホテルまで案内してくれた、本日のヒーローとハイチーズ!
- 4日目
- 5月7日/晴れ/4〜14 ℃
- ★バートイシュル(連泊)姉のお見合いに同行したエリザベートが、若き皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ婚約を発表したのはお見合いから3日後の事。現在は博物館になっているホテル・オーストリア(お見合いの当時はフランツ・ヨーゼフ1世の両親の別荘)のバルコニーで婚約発表が行われました。婚約の祝福を受けた聖ニコラウス教会を訪れた後は、2人の結婚のお祝いに贈られた「カイザー・ヴィラ」へ。内部には、エリザベートが過ごした部屋や狩猟を好んだ皇帝が射止めた獲物の数々。この思い出の地で皇帝は、アナーキストにより命を奪われたエリザベートの死を知り、また自らの死の2年前第1次世界大戦の宣戦布告分に署名。彼の死後この家は、娘マリアヴァレリーに受け継がれ、今は彼女の子孫に受け継がれています。皇室御用達の菓子店「カフェツアウナー」にてエリザベートトルテを頂き、午後はフリータイム。自由夕食は希望者と「3Prinzen」へ。
- このバルコニーで行われた婚約発表。当時、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世23歳・エリザベートはまだ15歳。
- カフェツアウナーのシシィお気に入りのケーキ。彼女はシャンパンと一緒にこのケーキを頂いたとか。
- 5日目
- 5月8日/晴れ/18 ℃
- ★バートイシュル→ブラチスラバ→ブダベスト(ノボテルブタペストシティ泊)温泉街としても有名なバートイシュル。昨日、ゆっくり温泉を楽しんだお客様も。バートイシュルの温泉の源泉は、塩分27%でイスラエルの死海24%よりも濃いそうです。次回訪れた時は、私もぜひ入ってみたいです。美しいザルツカンマーグートの景色を後にして、ブラチスラバへ。スロバキアのブラチスラバは、オスマン帝国の手にハンガリー王国の首都ブダが落ちた際、首都が移されたところ。18世紀のマリア・テレジアの時代最も栄えたとブラチスラバ城は、19世紀火災で焼失し修復されたものです。ブラチスラバのパノラミックな景色を楽しみながらの昼食の後はブダペストへ。ハンガリー建国1000年を記念して約半世紀かけて建てられた聖イシュトヴァーン大聖堂を訪れた後は、バイオリンの生演奏を聴きながら夕食を頂きました。その後、ドナウ川クルーズへ。
- ブダペストにあるネオゴシックスタイルの国会議事堂とくさり橋
- 大好きなブダペストの夜景をご覧頂きたくて、タクシーで漁夫の砦へ
- 6日目
- 5月9日/晴れ/14 ℃
- ★ブダペスト→ウィーン(ベルビュー泊)ブダペストの夜景は私の大のお気に入り。夏に向け日々日が長くなるヨーロッパ。昨晩のドナウ川クルーズでは夜景にはちょっと早かったので、ご希望の方はタクシーで夜景を見に漁夫の砦へ。夜が遅くなってしまいましたが、楽しんで頂けてとても嬉しかったです。今朝は日中の漁夫の砦からの景色をお楽しみ頂き、マーチャーシュ教会へ。ハンガリーを愛した皇妃エリザベート。政治には口を出さなかった彼女が唯一彼女の想いを通したのが、ハンガリーに自治権を与える事でした。オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝・皇妃としての戴冠式を挙げたのが、このマーチャーシュ教会。エリザベートが好んで訪れたヨーロッパで最古ともいわれる「カフェ・ジェルボー」で昼食とドボシュトルテを頂き、エリザベートが愛したグドゥルー宮殿へ。信号機が作動せず大渋滞。遅めの夕食をウィーンの市庁舎のレストランで頂きホテルへ。
- ハンガリー建国1000年を祝って造られた漁夫の砦
- オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝・皇妃の戴冠式が行われたマーチャーシュ教会内のエリザベートの像
- 7日目
- 5月10日/晴れ/11〜25 ℃
- ★ウィーン(連泊) エリザベート所縁の場所を巡る今回の旅。王宮のシシィ博物館やエリザベートの部屋などを訪れた後は、皇帝フランツ・ヨーゼフとエリザベートが結婚式を挙げたアウグスティーナ教会と2人が眠るカプティーナ教会へ。エリザベートの美しい髪を飾った星型(エーデルワイス)の髪飾りを作った「ケッヒャート」では、今でもエリザベートの髪飾りと同じモチーフのダイヤを散りばめたアクセサリーを販売。午後は、ヨーロッパで最も美しいバロック建築のひとつに数えられるシェーンブルン宮殿へ。1441室ある内、一般公開されているのはほんの一部。王室御用達のデーメルでのティータイムでは、ケーキを選ぶことができて大喜びな私。エリザベートが好きだったスミレの砂糖漬けなどを購入し、希望の方と一緒にベルベデーレ宮殿へ。金曜日のみ21時まで開いている事を知っている方が少ないのか、人もまばらでゆっくりとクリムトの接吻を見る事ができました。
- 花笑みのエリザベートよりも、この頃の野の花のような愛らしいエリザベートに心惹かれます。
- ベルベデーレ宮殿にあったエリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世の肖像画。
- 8日目
- 5月11日/晴れ・雨/12〜24 ℃
- ★ウィーン(連泊)今回のツアーのハイライトである皇帝列車で巡る世界遺産センメリング鉄道の旅。エリザベートが好んだ青色で彩られた贅沢な空間に、思わず溜め息がこぼれます。「お飲み物はお好きなだけどうぞ」の言葉にニッコリ笑顔の男性陣。奥様が他の車両を見に行っている間にこっそり追加の飲み物を頼まれていた方も。オーストリアの民族衣装を着た平らな顔族が珍しかったのか、「皇帝列車マジェスティックインペラータ」を現在に甦らせたゴッドフリート・リークさんが何かと私達の事を気にかけて下さり、鉄道博物館の案内や機関室を特別に見せて下さいました。センメリング鉄道沿いの光り輝く新緑の美しさは、窮屈な王宮を離れ青空に飛び立つエリザベートの心境を。そして、往路ウィーンが近づくにつれてどんよりとした雲が広がり降り出した雨は沈むエリザベートの心のようで、自然までが私達の旅を演出してくれたと皆様大感激でした。
- 皇帝列車創設者ゴットフリート・リークさんと一緒に
- エリザベートが好んだブルーで彩られたエリザベートサロン
- 9日目
- 5月12日/晴れ/10〜18 ℃
- ★ウィーン→(機中泊)ANAの直行便で成田空港に向け出発。今回の旅で好評だったオレンジ搾り機がウィーン空港にも!昨日訪れたセンメリング鉄道について少し触れておきましょう。ヨーロッパで一番最初にアルプスを越えた山岳鉄道としても知られているセンメリンク鉄道。19世紀、当時の技術ではほぼ絶望的と言われていたミュルツツーシュラーク(鉄道博物館がある駅)とグログニッツを結ぶセンメリング区間の鉄道化。それを成し遂げたのが、オーストリアの鉄道技術者カール・リッター・フォン・ゲーガです。彼は、機関車の構造に細心の技術を用いる事で、急勾配やカーブを克服。アルプスの美しい景観を損なわないよう配慮しながら、ダイナマイトもなかった時代に14のトンネル・16の高架橋・100を超える石橋と11の鉄橋を組合せ、6年という異例の期間でセンメリンク鉄道を1854年に完成させました。
- 皇帝列車で、いつかブダペストやヴェネチアにも行ってみたいです。
- ミュルツツーシュラーク駅では楽団が迎えてくれました。
- 10日目
- 5月13日/15〜26 ℃
- ★成田空港到着 「皇帝列車がこんなに素晴らしいとは思わなかった!」そんな言葉を沢山頂いた今回の旅。この旅を更に素晴らしいものにしてくれたのが、皆様が引き寄せて下さったお天気と素晴らしい縁だと思います。「添乗員さんが民族衣装を着ていたら、お客様はきっと喜びますよ!」その言葉に勇気づけられ、バートイシュルで購入したディアンドル。ボン・キュッでなく、キュッ・ボンな私。ウエストに合わせると胸がスカスカ。胸に合わせるとウエストはコルセット状態。閉まらないウエスト部分はエプロンで隠せばOKと笑顔で言う店員さん。もちろん答えはNO! 困った店員さんが隣の仕立て屋さんにお願いして何とか問題解決。素敵な縁が繋いだ今回の旅。お揃いのゲルントナーのバッグを持って、再びご一緒できる日を楽しみにしています。時々クリスタルハートのパンフレットやホームページを覗いて、私の生存確認と、民族衣装が着られる体型を維持しているのか確認して頂ければと思います。
- 旅日記大変お待たせいたしました。次にお会いするときはリボンの位置が変わっているとよいのですが・・・
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