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2019年5月16日出発<フィンランド航空利用>中世の歴史を訪れるおとぎの国ポーランド9日間

※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。

2019年5月16日出発ツアー添乗員レポート

※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
添乗員/中島 暢子(なかしま のぶこ)
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この度は、「おとぎの国ポーランド9日間」にご参加頂きまして、誠にありがとうございました。 ポーランドの国土は日本の約80%、日本の北海道と本州を合わせたくらいの大きさで、人口は約3800万人の平らな国土を持つ国です。  気候は、暑くもなく寒くもなく、調度良く、緑が多く、バスや列車の車窓からは一面美しい黄色の菜の花畑の景色がみられました。  ポーランドは、アウシュビッツ強制収容所のイメージが強く、なかなか訪れる人のまだまだ少ない国ですが、今回は、アウシュビッツだけでなく、ショパンコンサートや、ショパンの博物館等のショパンの世界もじっくり見学し、また小さなカラフルな建物が立ち並ぶ、可愛らしい中世都市をまわったりもしました。  そして、人々はとっても親日で優しく、郷土料理もおいしく、物価が安いのもうれしいかぎりでしたね。   今回は、11名様にご参加いただき、ポーランドを満喫しました。
1日目
5月16日/くもり/14 ℃
朝11:00発のフィンランド航空74便にて、ヘルシンキ経由で、ポーランド・クラクフへ。 ヘルシンキ空港での乗り継ぎ時間が長すぎて、本当に疲れてしまいましたね。 クラクフの空港には、クラクフに住む、日本人のガイドさんMsゆみこさんが迎えに来てくれ、クラクフにいる間、いろいろな案内をしてくれました。 ポーランドの南部、クラクフはかつてのポーランドの首都で、ポーランドの黄金時代、中世の時代は、ヨーロッパでも有数の文化都市として発展していました。 14世紀の早い時代に、ポーランド最古のヤゲヴォ大学も創設されました。 現在でも、丘の上には王国時代、王様の居城だった、ヴァヴェル城が聳えていて、中世の街並みも残っていて、世界でも最初に世界遺産に登録された街です。 本日から、3日間、旧市街にも近いラディソンブルクラクフホテル宿泊です。
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ラディソンブルクラクフホテル
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クラクフ旧市街城壁の門
2日目
5月17日/晴れのち雨/20 ℃
ホテルから歩いて旧市街へ。特別にフランシスコ教会へも入場しました。ビスピアンスキのステンドグラスがきれいでしたね。 ヴァヴェル城は修学旅行の子供たちで混みあっていました。王国時代の中世の王様の居城で、ポーランドの豊かな時代を彷彿させるものでした。 午後は、13世紀から、国営企業として塩を採ってきたという、ヴィエリチカ岩塩鉱観光です。この世界最古の製塩企業だった岩塩鉱は地下327m、全長300㎞以上あり、その一部を観光しました。中に入ると美しい、塩の彫刻(今までここに訪れた歴代の有名人の)がみられました。塩鉱内は木も腐らず、塩のおかげで空気中に菌がないため、空気がきれいで、肺にも良く、肺の病気の方などの療養でもこの場所が使われているそうです。 空気を思いっきり吸いながら、歩きました。 いったんホテルに戻り、少し休憩した後、夕食は伝統のフォークロアディナーショーでした。
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フランシスコ教会 ステンドグラス
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ヴァヴェル城
3日目
5月18日/晴れ/23 ℃
アウシュビッツ強制収容所とビルケナウ見学。ポーランドの街の名前「オフィチエンチム」がドイツ語で「アウシュビッツ」と地名が変えられ、今ではアウシュビッツというと強制収容所のことを指します。 もともとはナチスに反対した、ポーランド人を政治犯として収容するための施設でしたが、その後ヨーロッパ各地からユダヤ人が連れてこられるようになり、たくさんの人がガス室に送られ、殺されました。ガス室に送られなかった人々も、冬は-20℃にもなる寒さの中で、十分な食べ物も与えられず、恐怖のなかで重労働を強いられていました。 ここで働いていた収容者をガス室に送り込んでいた人達も、普通の心をもった家族には優しいお父さんであったことを考えると、二度と同じ過ちを繰り返さないためにはどうしたらいいのか考えることの大切さを実感します。 国立美術館にてレオナルドダヴィンチの白貂を抱く貴婦人の絵をご覧いただきました。
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ガイドさん アウシュビッツ強制収容所にて
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レオナルドダヴィンチの白貂を抱く貴婦人の絵
4日目
5月19日/くもり/23 ℃
クラクフ中央駅からシュレージェン地方のブロツワフまで、列車で移動。各駅停車で何ケ所もの駅で止まりながら予定通り到着しました。 列車からは、ずっと畑と牧草の景色が続き、菜の花が一面に咲いていて、すごくきれいでしたね。 世界遺産の100年記念ホールは、1813年にプロイセンを含む連合軍が、ナポレオンに勝利したライプツィヒの戦いの100年記念に建設された建物です。そう、ここは建てられた当時はトイツ領だったということです。 裏にある大きな池で毎日噴水ショーがあるということで、噴水ショーも見学しました。 ブロツワフはかわいい小人がたくさんいる街です。年々小人の数が増えているということで、今では数え切れないくらいになっているのだとか。
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列車内からの菜の花畑の風景
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ブロツワフ 旧市街
5日目
5月20日/雨のち晴れ/22 ℃
ポーランドの有名なものの一つは、伝統的な青色の綺麗な模様が特徴の丈夫なブロツワビエツの陶器です。 ブロツワフから陶器の街へ、工場見学とメインは陶器のお買い物です。日本のデパートで買うよりも、かなりお安く買えるとあって、女性の方の目が輝きます。 ブロツワビエツの旧市街は、カラフルな建物が並んだ可愛らしい小さな街で市庁舎の中の昔の牢獄も見学しました。 農家のレストランにて、ブロツワビエツの陶器のお皿でボルシチスープ、魚のフライの昼食を取り、午後はシビドニツァの平和教会へ。 世界遺産にもなっているこの教会は、他では見られない、すべて木造の素晴らしい教会でした。このツアーでは特別に独特の美しい音色をだす、パイプオルガンのコンサートをお聞きいただきました。 夕食の後ご希望の方と、ホテル裏の大聖堂までお散歩しました。
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シヴィドニッツアの平和教会内
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1日案内してくれたダンディなガイドさんシヴィドニッツアの平和教会の前にて
6日目
5月21日/くもり/22 ℃
ポズナンの旧市街では、正午に一日一回だけ見られる、市庁舎のからくり時計があり、街のシンボルであるヤギが扉から顔を出すと、今か今かと待ちわびていた多くの観光客の(今回は子供たちがたくさん見に来ていました。)人々が歓声をあげました。Banberceレストランにてロールキャベツのご昼食後、日本語を勉強中だというMr,マルティンさんが案内してくれました。時間があったので、旧市街で名物カフェ「WEDEL」にてチョコレートドリンクや、コーヒーなどを皆様一緒に外のテラスで、お召し上がりいただきました。 ポズナンの街中を流れるヴァルタ川の中州は、ポーランド最初の王、ミエシュコ1世がお城を構えた場所であり、ポーランド最初の大聖堂が建てられ、国がキリスト教の国として始まった土地でもあります。 特別に大聖堂内も見学しました。最初の王様ミエシュコ1世と、その息子ボレスワフ1世のお墓もありました。
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ポズナンの旧市街 市庁舎のからくり時計
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カフェ「WEDEL」のテラスにて
7日目
5月22日/くもり/22 ℃
ワルシャワはショパンが20年間住んだ土地で、ショパンは20歳でパリに渡った後も、生涯ワルシャワを忘れることはなかったそうです。ショパンの生きていた時代、ポーランドが分割されていた時代でしたがショパンはずっとポーランドの独立を願って祖国ポーランドのために曲を作りました。 パリへ旅立ってからはポーランドに戻ることがゆるされませんでしたが亡くなった後、心臓だけでもワルシャワに埋葬してほしいとお姉さんに遺言を残しました。その遺言どおりショパンの心臓が収められている、聖十字架教会を入場観光したり、ショパン博物館を入場観光しました。 午後のフリータイムは、お客様に教えていただいた、蜂起博物館をご希望の方とトラムに乗って見学にいきました。とても見ごたえがあり、今までガイドさんがお話ししてくれた、ポーランドの歴史が凝縮された博物館でしたね。
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蜂起の像 ワルシャワ市内
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戦後そっくりそのまま再建したワルシャワ旧市街
8日目
5月23日/晴れ/23 ℃
昨晩の夜は、素晴らしい数々のショパンの曲を有名なピアニストによる演奏で、貸し切りでコンサートを鑑賞。 その後ショパンも通ったというレストラン「HONORATKA」でいただきました。 宿泊していたシェラトンワルシャワホテルの近くにある、ワジェンスキ公園の前には、日露戦争の時に日本に来て、日本のために援助を申し込んだと言われるユゼフ・ピウスツキの像が建っています。ユゼフ・ピウスツキはポーランドが第一次世界大戦後、独立した時に国家元首となりました。 緑あふれる公園内の真ん中に、ショパンの像もあります。第二次世界大戦中、ナチスに支配されていた時代、独立のシンボルであり、民族の象徴だったショパンの像は破壊されました。この公園内のショパンの像は、戦後再建されたものです。 本日は帰国日ですが、朝の出発がゆっくりだったので、ワジェンスキ公園にお散歩に行った方もいらっしゃいました。
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ショパンコンサートにて
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ユゼフ・ピウスツキの像
9日目
5月24日/晴れ/31 ℃
私自身、とても親日で、日本との歴史的な関係も深く、尊敬する歴史を持つポーランドにとても思い入れがあります。 ポーランドは10世紀に歴史が始まり、農業と岩塩採掘で経済的基盤があり、16世紀にはモスクワ大公国に次ぐ大国でした。しかし17世紀から力が弱まり、他国から干渉され、1795年から123年間も他国から分割され地図上からポーランドが消えてしまった時代がありました。しかし123年間、その後の第二次世界大戦時、その後の社会主義時代も、何世代にもわたって自由をあきらめなかった人々の思いがあり、たいへんな苦労や悔しさを乗り越え、独立を成し遂げたポーランドのことをこの旅を通して理解することができました。 みな様には毎日、多大なご協力をいただき感謝いたします。 この9日間がみなさまにとって、楽しい思い出に残る旅となりますように。
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最後まで親切に安全運転してくれたドライバーさん
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集合写真 クラクフ駅にて

旅はもっと、おもしろい。
阪急交通社クリスタルハート

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