2018年2月25日出発 【燃油・空港諸税込】5ツ星ナイル川クルーズとVIPバスでめぐる優雅なエジプト10日間
※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
2018年2月25日出発ツアー添乗員レポート
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- 添乗員/森田 洋平(もりた ようへい)
- 1日目
- 2月25日
- 待ちに待って頂いたかと思いますエジプトへの旅。21時20分と遅いフライトですが全日空のラウンジでくつろげるとあって少し早めに成田空港へ。情勢不安な何年かの内にエジプト直行便もなくなりましたが晴れて昨年末に再就航となったエジプト航空カイロ行き。週一便の日曜日出発とあってまた1週間後に戻ってきます。少し古い機材ではございますが、それからお酒もありませんが、私エコノミークラスから見るお客様の後ろ姿をうらやましく思いつつ14時間10分、長年エジプトへ抱いた想いと共に一直線の10341キロ空の旅へ。エジプトツアー遂に始まります。
- エジプト航空機内
- カイロからルクソールへ
- 2日目
- 2月26日/0/ 14~26℃
- MS965便は順調に4時15分カイロに到着、いの一番にエジプト入国をし、6時30分のルクソール行きには余裕を持ってゲートに到着。搭乗前に日の出を迎え小型のMS351便に搭乗。1時間10分後無事に出発点であるルクソールに到着。ナセルことガイドなっちゃんのお出迎えでいきなりエジプトの強い朝日に照らされてルクソール東岸の観光に入ります。 紀元前1565年新王国時代の幕開けと共に王家は都をここに置き、東岸に太陽神アメンを祭るカルナック神殿を建設、以後トトメス2世も3世もハトシェプスト女王もラムセス2世もアメン神の為に神殿を飾りました。 朝日に向かって第一塔門から神の祭られる至聖所までの300m、アメン神を偶像化した羊の頭の像に迎えられ、足元に愛するネフェルタリを置くラムセス2世の立像に、高さ23mの太い柱に深く刻まれたラムセス2世のカルトゥーシュ始めレリーフを見上げ、ハトシェプスト女王のオベリスク等に囲まれていきなり全身でエジプトを体感。 ラムセス2世(紀元前1275年頃)はカルナック神殿の副殿としてルクソール神殿を建てました。バスから見ると二つは3キロのスフィンクスの参道で結ばれています。ラムセス2世の座像に迎えられ250m先の至聖所は3世紀以降のキリスト教(コプト)の時代に教会となり、また7世紀以降イスラム教となるエジプトでモスクも遺跡に混じり合っていますが、パピルスをあしらった当時のままの柱や妻であるアンケセナーメンに肩を抱かれるツタンカーメンの座像等に魅せられました。 正午過ぎ、これから4泊を過ごすクルーズ船プレミアム号へ、昼食を取り昼寝をし夕食を食べる、船はまだ動かない、明日も引き続きルクソールの観光です。
- カルナック神殿
- ルクソール神殿
- 3日目
- 2月27日/晴れ/ 15~28℃
- ルクソール、日の沈むナイルの西岸、死者が眠る場所、王(ファラオ)も家族も労働者も眠り、墓だけでなく葬儀場(葬祭殿)も建てられました。 まずは船の停泊する東から珍しくナイルに架かる橋を渡り、西岸の王家の谷へ。 墓を荒らされぬよう、新王国時代の王達はピラミッドを造らずに、ピラミッドの様な岩山に掘り込まれた岩窟式埋葬殿を造りました。現在までに発見発掘された墓は64ヶ所、その最後に1922年に発見されるツタンカーメンの墓があります。王家の谷で発見された埋葬品のミイラはカイロの考古学博物館にあります。ここでは神と王の天国へのレリーフを中心に見るが、ツタンカーメンの墓だけには彼のミイラを見ました。他ラムセス9世、4世の墓を見学、王が寝ていた玄室へ向かう長い通路のはっきりと色の残るレリーフも。 紀元前1479年女性として初めて王となるハトシェプスト女王の葬祭殿。葬儀をしただけでなく王の復活を願う人々が集い捧げ物をする場所、岩山を背に太陽の昇る東向きに建つ様子にその保存状態はこの時代のNo.1。ここで皆様一緒にマンゴーアイスまたはざくろの炭酸ジュースで一息入れました。 王だけでなく王妃の墓へも、1904年発見どこよりも色鮮やかだったラムセス2世の妻ネフェルタリの墓を見学するのは限られた人だけの特別な時間。最後にアメンホテブ王の葬祭殿、先ほどの様には残っておらずその入口にあったメムノン巨像を写真に撮り暑さが厳しくなる正午にクルーズ船に戻りました。 和食含む昼食を船で取り終えると、船はいよいよ200キロ先アスワンを目指し動き出す。夕方デッキにてティータイムを過ごし、午後6時半船はエスナの水門に、一同6mの高さに上げられる様子を固唾を飲んで見守り、そのままカクテルパーティー、夕食、ベリーダンスショーと突入しました。
- 王家の谷
- ハトシェプスト葬祭殿
- 4日目
- 2月28日
- ルクソールを出て106キロ、時速16キロ程で進む船は夜のうちにエドフに着いていました。早朝7時過ぎ船を降りると待ち構えている馬車に乗り、町並みを抜けホルス神殿へ。 古代エジプトの歴史の最後はアレクサンドロス大王の支配に始まりクレオパトラの死で終わるプトレマイオス王朝時代(紀元前304~30年)。外国人アレクサンドロス大王はまず国民の心を掴むためギリシャ風でないエジプトの神を祭る神殿を建てました。 砂漠の地エドフに建てられたのは、砂漠の世界に混乱を招くセト神に勝った天空の主ホルス(ハヤブサ)神を祭ったもの。ハヤブサの格好をしたホルスの石像に迎えられ列柱室を進むと聖なる舟と共に神がいた至聖所に。ここは内部より外壁に見事なホルス神話のレリーフが刻まれており、親父(オシリス)を殺したカバの格好をした叔父セトを探して敵を打つ物語のレリーフが印象に残ります。 馬車に乗り午前中の観光を終え、ラウンジでなっちゃんオススメエジプト綿に着る人のヒエログリフ(象形文字)を縫い込んだポロシャツの販売会。 昼食を終え少し昼寝をした午後3時、船はコムオンボに到着。ここもまたプトレマイオス王朝時代のものでホルス神を祭りますが、同時に農耕の守護神セベク(ワニ)を祭る二つの参道のある左右対象の神殿。農耕の神だけに砂岩に施されるのはヒエログリフによる農業カレンダー、他には今と変わらぬ医療現場の模様など今と変わらぬ高度なエジプト文明をレリーフに見ました。 今日も夕焼けと共にデッキでティータイムを楽しみながら、夜はガラベーヤパーティー、アフリカの太鼓の音にクルクルクルクル回るダンスのショータイム。
- エドフ、ホルス神殿
- コムオンボ神殿
- 5日目
- 3月1日/晴れ
- 昨晩のうちに船は最終の地アスワンに到着。チェックアウトはまだせず、1日の始まりにまずはアスワン近郊のイシス神殿へ。 久しぶりのバスに乗り20分イシス神殿へ。ナイル川の中洲に昨日と同じくプトレマイオス朝時代の神殿はナイルの中洲フィエラ島に築かれるも1902年のアスワンダム、1971年のアスワンハイダムに挟まれる格好で水没の危機にさらされ1980年に隣の島に移築されました。モーターボートに乗ってそこへ向かいます。冥界の王オシリスの妻で天空の主ホルスを産んだ母なる女神イシスに捧げられた神殿の一部には、その後すぐに訪れるキリスト今日の十字架も刻まれていました。 市内でエジプト生まれの香油を嗅いだ後、280㌔アブシンベルへ向け280kmの大移動、バスの移動ならでは途中ヌビア砂漠(サハラ)で止まり砂の採集をし、蜃気楼の中を進みます。お昼にはアブシンベルに到着、ナセル湖畔セティホテルでタジンの昼食を。 そしてアブシンベル大神殿、今から3300年前、北ではヒッタイト(トルコ)と戦い南ではヌビアを制しこの地に神殿を構えるラムセス2世、入口の4体の座像はナイル川を眺め建てられたが、ハイダムの完成に伴い60m丘上に内部含め完璧に移築され、今日ナセル湖を前に建ちます。 至聖所へ至る回廊には壁一面にラムセス2世の戦いの歴史が刻まれ、至聖所では他3体の神々と共に春分の日が当たるよう王は座っていました。 道は完璧に舗装され平均90キロのスピードでアスワンへ、思いの外早く7時には船に戻りました。
- イシス神殿
- アブシンベル大神殿の玄室
- 6日目
- 3月2日
- プレミアム号にて最後の朝食、いつも私達だけに和食を準備してくれたシェフや船員さんとお別れをし船を下りました。昨日イシス神殿を見たがアスワンの観光をも少し。まずは切りかけのオベリスク、カイロのピラミッドもルクソールで見た神殿も多くの石はここアスワンで切り出され、ナイルの氾濫を利用して運ばれて行きました。パピルスのお店を覗いた後、ナイルに戻り今度は帆かけ舟ファルーカに乗って風に吹かれて時を過ごし、船頭の太鼓のリズムで腰を屈めて輪になって踊りました。そのままモーベンピックホテルでランチバイキングと食後にテラスでティータイム。最後にアスワンの南12キロ、1971年に完成するアスワンハイダムの写真を撮りに行き、幅3600m高さ111mの巨大な壁が全長500キロもの人造湖ナセル湖を形成した、ちょうどここから280キロ先に水没する運命にあったアブシンベル神殿へとまいります。 アスワンの小さな空港から16時半、この旅の最終の地カイロへ。1時間20分後到着、バスから眺める大都会の人と車の流れに戸惑いながらカイロ一のホテルリッツカールトンでサーモンをメインとしたエジプト版フレンチを頂きお休みいただきました。
- 切りかけのオベリスク
- アスワンハイダムからナセル湖
- 7日目
- 3月3日
- ホテルの窓から見るナイル川、その向こうに広がるアフリカ最大の2200万人都市カイロの町並み。エジプトの旅の復習予習は考古学博物館にて。数日前にルクソールで見た新王国時代(紀元前1565~1070年)からツタンカーメンの黄金のマスクに副葬品、そして王家の谷より歴代王達のミイラを。そしてこれから見に行く古王国時代(紀元前2650~2180年)からは5000年前とは思えぬ精巧な彫刻にスフィンクスや王達の石像を見ました。 さてギザ地区に移動してピラミッドホテルでの昼食後、いよいよやってまいりましたハイライトのピラミッド地区。4600年前クフ王が建てたピラミッド、これをずっと見たかった!見るだけでなく腰を屈めて汗をかき玄室へも入って頂きます。パノラマビューポイントからはカフラー王、メンカウラー王のピラミッドも入れて記念撮影。 クフ王のピラミッドの番犬スフィンクスは、一番贅沢な場所に入ってそのアゴからお尻までじっくり眺めこれにてエジプトの観光は終了。 ジャスミンの香り漂うアルアザール公園、砂漠の中のオアシスの様に水と花で潤う公園はカイロ市民の憩いの場、いくつものモスクの塔を見ながら公園内のテラスでゆっくりとエジプト生まれのモロヘイヤスープを始めとした夕食を食べました。 ビールのないラウンジでエジプト航空を待ち23時40分(搭乗後1時間ほど遅れた)MS964便は成田へ向かい飛び立ちました。
- 3大ピラミッドパノラマ
- スフィンクス
- 8日目
- 3月4日
- 有り難い直行便は11時間50分後(45分遅れて)の19時15分に、エジプトの思い出のお土産が詰まったスーツケースと共に無事に成田に到着しました。 エジプト文明をナイル川に沿って過ごした船旅、かの遺跡に行く先々で迎えてくれる人々全てに、ご出発前の治安などへの不安はいつのまにかなくなっていたことと思います。順調に見られ、ゆったりとした雰囲気で楽しく過ごせたのは全て皆様のおかげです。 ご参加ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。
- ガイドなっちゃん
- ナイル川クルーズの写真
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