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2018年1月11日出発 <カタール航空利用>薔薇色のペトラ遺跡・死海とエルサレムを巡るヨルダン・イスラエル10日間

※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。

2018年1月11日出発ツアー添乗員レポート

※当レポートは現在募集中のツアーと内容が異なる場合がございます。
添乗員/久連松 圭子(くれまつ けいこ)
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ペトラを見学した日の夕食の時に、自然と皆様話題はペトラのことになりました。 「ペトラ、凄かったね」 「これ見に来たようなものだから」 「シークを歩いている時から、感激でちょっとウルってきてたんだよね。」 と皆様のペトラ話を楽しく聞かせて頂きました。 エルサレムを見学した時には、ガイドさんの説明を聞く皆様のお姿も真剣そのもので、 時々質問も飛んでいました。 「エルサレムはそ想像していた以上に凄いところだった。昔から1度は訪ねたいと思っていたのが叶って良かった。」 とおっしゃって頂き、お楽しみ頂いているのが伝わってきました。 聖墳墓教会のゴルゴダの丘の頂上の岩、 イエスの埋葬された場所の岩、 生誕教会のマリア様がイエスを産んだ場所の石床、 混んでるとなかなか触るチャンスがない所が、この度は全部制覇できました。 お天気にも恵まれました。ペトラもこの季節にしては暖かい穏やかな気候の中見学ができました。 最終日には雨が降ったものの、そのお陰で綺麗な虹も見えたので、これはこれで楽しい思い出となりました。 旅行のベテランの皆様は早くも次のご旅行の予定が入っていらっしゃる方もいらっしゃる様でした。クリスタルハートで又、お待ちしております。 この度はご参加誠にありがとうございました。

 

1日目
1月11日/晴れ/15℃
ほぼひと月ほど前にアメリカ大統領トランプ氏が、アメリカの大使館をエルサレムに置くとの声明を出し、それに反対する形でパレスチナ自治区などで抗議運動が相次ぎ、連日の様にそれがテレビで放映されました。 この時期にイスラエルには行けない、 ご家族から反対された、 などのご事情により、結果的にご参加のお客様が4名様となりました。 ご参加頂くことが決定しても御心配でしょうから、情報収集は欠かさず安全に、楽しく10日間過ごしましょう!どうぞよろしくお願いします。 両国ともに、ホテルやレストラン、観光地などで日本のサービスには程遠く、食べ物もお口に合わない物もあるかもしれません。 さらに、昼夜の寒暖の差は大きく、日中は薄い長袖1枚で過ごせたかと思うと、夜は冬物のコートも必要です。 ヨルダンや死海付近では乾燥も酷く、お肌も喉も心配です。 でも、でも、でも、、、 世界中探してもこんな場所はありません。 世界史の授業で聞いたことある、 ニュースで見たことある、 1度は行ってみたい場所で、旅慣れた皆様方もきっと楽しんで頂けると思います。 この度はカタール航空成田便にて出発です。 夜の22時に成田を出発し、2時間後に機内食が出ます。 こんな時間に食べるのは身体に良くないと思いつつ、飛行機の中では他にすることがないので 、、、 「いただきま~す」 ドーハに着くと、朝の5時だというのに沢山の人がウロウロしていて、お店もフルオープンです。 この空港のマスコットが黄色い熊です。 これがかなり大きいですが、ちゃんと広場の中央に座って、朝早くから沢山の写真を撮られていました。 ドーハでの待ち時間が耐え難く眠たくなります。 皆様には、眠りそうになる時には分かりやすい場所でとお願いし、しばし解散です。 ゲートに行く時に、わざと空港内シャトル電車に乗って移動しました。 まだ新しくピカピカでとても良かったですが、着いた先が我々のゲートを越えた先の方でしたので、歩いて少し戻りました。
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夜中のドーハ空港。沢山の人がいて、お店もフルオープンでした。 それにしても眠かったですね。
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カタール航空機内。 日本語の映画は、何と!91本もありました。
2日目
1月12日/晴れ/14〜5℃
やっとの思いでアンマンに到着です。 ドーハからここまでの飛行機は皆様爆睡だったことだと思います。又、機内食が出ましたが、することないのでやっぱり、 「いただきま~す。」 アンマン ではまずお昼ご飯をいただきました。日本を出発してから飛行機に座りっぱなしであんまりお腹も空いていません。でも焼きたてのおいしい薄いパンが出てきて、それにひよこ豆のペーストやナスのペーストをつけて食べると美味しくてついつい食べ過ぎてしまいました。 ヨルダンの首都アンマンはここ100年位で急速に人口の増えた町で、ヨルダンの総人口の45%位がここに暮らしています。 今日は金曜日、イスラム教の方が人口の大半を占めるヨルダンではお休みの日です。イスラム教の方にとって1番重要なお昼のお祈りのアザーンが街中に響いていました。 アンマン市内の劇場やシタデルなどの観光地にはたくさんの子供連れの親子の方々が見られます。子供の数が大変に多いのでお客様からご質問がありました。 「子供さんが沢山いるのだけれども、ヨルダンの方は子沢山なの?」 「昔は確かに子沢山でした。ちなみに私は37歳ですが9人兄弟です。最近は生活水準を維持する為に子供は2人の家庭が増えてきました。でも、まだまだ子供を沢山儲けることが美徳の様に考える世代からせっつかれる若い方々もいます。」 とのガイドさんのお話しです。 アンマンからペトラに移動する途中、丁度夕日が沈む所が車窓からご覧頂け、ようやく本日の宿泊地ペトラへ到着です。 今日は長い日でした。 本当にご協力ありがとうございました。 ごゆっくりとお休み頂けます様に。
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ペトラのムーベンピックホテル ロビーバーもとても素敵でした。 ここで皆さんとワイワイ砂絵の値段交渉を楽しみました。
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アンマンのシタデル内ヘラクレス神殿。 2000年以上立つ神殿の台座の上に登って写真を撮りました。
3日目
1月13日/晴れ/16〜4℃
チャ~ラ ララ~~♪ チャララ~~♪♪ タァリラリ~~♪ 頭の中にインディジョーンズのテーマ曲が流れ、朝食を頂きながら、気持ちがはやります。 今日は皆様がとても楽しみにしていたペトラ遺跡を観光する日です。 私たちの泊まっているホテルが遺跡の入り口の目の前にあるので、徒歩15秒で遺跡に入場しました。 まずは両側から山肌が迫るシークの入り口までは馬に乗って移動し、1.2キロのシークは歩いてエルハズネ(宝物殿)まで向かいました。 シークの後半に岩の隙間からピンク色のエルハズネが見えてきて、 「あ~~、見えて来た、見えて来た、素敵~~」 と皆様から思わず声が漏れます。 このエルハズネを見たかったのです。 皆さん、カメラが止まりません(笑) 右から左から下から、ラクダと一緒にエルハズネを撮りまくります。 これは最高でした。 遺跡内のレストランでランチを食べた後、ご希望の方はエドディルにご案内します。 900段の階段があるので、無理に行かなくてもいいのです。行かない方はホテルが出口の目の前なので、ランチ後お部屋に戻り休憩も出来ます。 ところが皆様、 「せっかく来たから階段頑張ります。準備体操も念入りにしました!さあ、行きましょう!」 とのこと。 「よし、では皆さんでしゅっぱ~~~~つ」 ランチの後に900段の階段は流石に楽ではなく、途中少しランチレストランから出口に向かわなかったのを軽く後悔しそうになりましたが、皆様頑張りました! 「うわーっっ、これも凄い!」 エドディルの岩壁を彫り込んだ神殿は、午前中に見たエルハズネよりも規模が大きく、アクセスの大変さも相まって感動もひとしおです。 さて、ここから出口に向かうには、今まで来た道を全部引き返さなくてはなりません。 途中、ラクダ引きや、ロバ使いが 「らくだ~、らくだよ~」と誘惑してきます。 「ロバ、乗ってみたい」と、ロバを選択した方もいらっしゃいましたし、最後まで歩ききって、這々の体でホテルまで帰還した方もいらっしゃいました。
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シークを歩くこと、ついに両側から迫る崖の隙間からエルハズネが見えてきました!
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エドディルに行く途中の上から滑落してきたと思われる岩。 この下をくぐり、エドディルを目指します。
4日目
1月14日/0/3〜19℃
2泊したペトラのムーベンピックホテルを出発します。 ロビーにボトルに砂絵を入れて売っている一角があり、昨晩夕食の後に買う方がいらっしゃったので、全員でワイワイと参加しました。買う方は一生懸命値切り、買わない方もワイワイと熱気を帯びた後方支援をしながら楽しい時間を過ごしました。 それにしても今朝はずいぶん冷えます。 ホテル出発前に外に出てみた方が、 「いや~、ペトラの見学昨日で良かった。今日は何しろ寒いし、曇ってるから昨日のエルハズネの美しさは今日は無理だよ。」 と教えて下さいました。 本当にそうですね。昨日のペトラは最高でしたもの。 北はイスタンブールから、南はサウジアラビアまで続くデザートハイウェイを通りマダバを目指します。 マダバに行く楽しみは1つ、約1600年前、ビザンチン時代の聖ジョージ教会に残る床モザイクを見に行くのです。 エジプトのナイル川流域から死海に至るまでの広範囲の地図モザイクが断片的に残っています。 死海でアスファルト採取をする船の様子、 生物が存在できない死海から逃げ出そうとしている魚、 古代エルサレムの城壁に囲まれた町の様子 など実に生き生きと描かれています。 死海のホテルにチェックインして、大急ぎで着替えてホテル内にあるビーチに向かいます。歩き始めた時に丁度、ホテルの敷地内をカートに出会いましたので、乗せて~~と声をかけて楽々ビーチまで運んでもらいました。 今日は随分と波が高く、ビーチといっても岩場ですので、係員より 「死海に入ってもいいけど、浮遊は危険だから駄目ですよ。」と言われたので、死海の湖岸でチャプチャプしたり、泥パックをしたりして遊びました。 それぞれのカメラをお預かりした私は、久しぶりにお召しになったであろう水着姿や、全身に泥パックを塗って死海の風に吹かれながら乾燥を待つ皆様方のお姿、バッチリ撮っておきました。
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死海に夕日が沈んで行きます。 今日は波が高くて浮かべなかったのが残念でした。
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マダバの聖ジョージ教会床モザイク 古代エルサレムの町、死海から逃げ出す魚などとても生き生きと描かれています。
5日目
1月15日/晴れ時々曇り/20〜14℃
昨日はモーゼがエジプトからイスラエルの民を率いて約束の地カナン=現在イスラエルを眺めたネボ山にも登りました。 私達もモーゼと同じ場所で遠くの死海、霞んで見えるジェリコを眺めます。死海の向こう岸はイスラエルです。 さあ、皆さん今日は日程表に約束されている土地、カナン(イスラエル)に向かいます。 国境は、昨今の事情により少し厳しいかしら?とドキドキしながらの手続きでしたが、予想に反してとてもスムーズでした。 イスラエル側の死海のほとりの断崖絶壁の頂上にあるマサダの遺跡を目指しました。 マサダに立て篭ったユダヤ人が、ローマ人の奴隷になる事を良しとせず、男性がまず女性と子供達を殺し、最後の10人が互いに殺し合い、最後の1人が自決するという壮絶な最後を遂げた話しに涙が出そうになりました。 イエスが洗礼を受けた場所に設けられた、ヨルダン川の洗礼所に立ち寄った時には、ちょうどアメリカ人の男の子が洗礼を受けるところでした。お父さんに手を引かれヨルダン川に入っていき介添えを受けて頭までヨルダン川の水に浸かるところがを、丁度居合わせた私たちも見ることができました。 その時、聖書に書いてあることと同じ事が起こりました。 白い鳩が飛んできて、洗礼を受ける人を見守るかの様に階段の手すりにとまっているのです。 そして洗礼が終わると洗礼所の上を一度旋回してどこかへ飛んでいきました。 今日は何だか涙が出る日です。 マサダの壮絶な歴史に涙、、、、、 洗礼所の奇跡に涙、、、、、 そして、 、、、 ペトラの筋肉痛が残る身体に鞭打って、マサダでの140段の階段の上り下りの辛さに涙、、、、、 「私はお風呂でふくらはぎをモミモミした後に、モーラステープを貼ったのよ。」 「あら、私はロキソニンの湿布なのよ、4枚も貼ってるのよ。」 皆さんの筋肉痛が早く良くなりますように。 今日からティベリアのホテルに2連泊です。
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イエスキリストが洗礼を受けた場所を見学に行った際、洗礼を受ける男の子に遭遇しました。お父さんが介添えです。 白い鳩がどこからともなく現れて、洗礼を見守ってくれました。
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マサダの遺跡で下の宮殿まで至る階段が中腹に見えています。 たった140段ほどの階段が筋肉痛の方にはお辛かったでしょう。
6日目
1月16/曇り/18〜10 ℃
海抜マイナス200メートル位に位置するガリラヤ湖周辺はイエス・キリストが活躍した場所です。 『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです』 から始まる、教えの核となる有名な説教を行なった山上の垂訓教会から観光スタートしました。 イエスや弟子達の縁の場所を次々と周り、ガリラヤ湖畔にあるレストランでお昼を食べました。 いつもと違い、トムヤムクン風のスープやチャーハンも頂きながら、ペテロの魚=テラピアを頂きました。 デザートに出てきたナツメヤシが女性陣は美味しい‼︎と、男性陣には少し甘味が足りないと評価が分かれました。 今日までヨルダンからイスラエルにかけて、バイキングの食事が圧倒的に多かったですが、毎度、バイキングにはたっぷりお野菜が並ぶので、お客様にとても好評です。 海外旅行に慣れていらっしゃるはずの皆様が、 「新鮮な野菜がたっぷり出て嬉しい」 とおっしゃって下さっています。 確かに、他の国に行く時にはいつも、お野菜が少ないとお客様からのお声を頂くことの方が多いです。 ヨルダンイスラエルでは痩せてご帰国頂くのは難しそうです。 午後からガリラヤ湖遊覧をしました。 ヨルダン側もイスラエル側も何となく霞んでいました。船長さんがパンをくれたので、カモメにあげたり、イスラエルのフォークソング「マイムマイム」を踊ったり、ガリラヤ湖で、即席タイタニックをしたり楽しく遊びました。 そういえば、今日は雨の予報でしたが無事に傘をささずに済みました。
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お昼に頂いた、聖ペテロの魚=テラピア。 お皿からはみ出す程大きなものでした。 味は淡白で、皆さん醤油をかけたり、トムヤムクン風のスープの具にして頂きました。
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ガリラヤ湖湖畔に立ち寄りました。 湖畔は砂かと思ったら、小さな貝がびっしり落ちていました。
7日目
1月17日/雨と曇り/ 10〜5℃
ティベリアのホテルを出発するとバスはぐんぐんと標高を上げて行きます。 ティベリアは海抜マイナス200メートル位でしたが、まもなく海抜0メートルを通過しました。道端に小さな看板が立っていました。 何だか穴倉の底から抜け出した様な気分になりました。 私たちは十字軍の町アッコに向かいます。 要塞は地下に拡がっていて、イスラム勢に攻められた時には地下通路を使って港まで逃げることが出来る造りになっていました。 アッコの市場を歩いている時に、市場でガイドさんが 「これ美味しいんですよ~~」 と教えてくれたカナッペという、チーズを焼いて水飴をまぶした様なお菓子がありました。 ちょっと試してみましょうと一切れ買って少しずつ試してみました。 これは甘い! でも癖になるかも! 「これ、本当においし~い、私好きだわ~」 と喜ぶ方と、 もう少しどうぞとお勧めすると、 「、、、いいえ、お腹いっぱいで、、、やめときます。」 とどうやらお口に合わない方といらっしゃった様でした。 十字軍が奪いたかった町、 アラブ人が守りたかった町、 ユダヤ人が2000年経て尚、帰ってきたかった町 それがエルサレムです。 皆様がペトラと双璧で楽しみにしていた町、エルサレムにいよいよ入って来ました。 全身を覆う、黒い長いマント状の服、 カールした長い揉み上げ、 黒いハット、 が特徴的な超正統派ユダヤ人達が沢山町を歩いています。 今日は雨が降るせいか、黒いハットのを黄色のビニールですっぽり覆っている方もいます。 お客様もある程度はこの様な格好をしたユダヤ人が町を歩いているだろうことは想像していた様なのですが、想像より沢山 町を闊歩していることに衝撃を隠せない様でした。 今日からエルサレムのホテルに2連泊です。 そういえば、この旅のツアーでは2連泊が3回ありました。
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アッコの海側の要塞 聖ヨハネ十字軍が僅かな手勢で必死に守った、イスラエルの陣地。 この後、ここもイスラム勢に取られてしまいますが、、、
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主の泣かれた教会より、岩のドームを望む。 イエスのいた頃にはなかった教会ですが、今は正面に。
8日目
1月18日/曇り/11〜4℃
今日は皆様方がとても楽しみにしていらっしゃったエルサレムの観光です。 午前中は岩のドーム、嘆きの壁、ヴィアドロローサ(イエスが十字架を担いで登り、亡くなるまでの悲しみの道)と一気に周ります。 ガイドさんから、 ◯宗教を感じさせるもの、 ◯イスラエルと書いてあるもの、 ◯アイパッド、 などは持ち込み出来ないと聞いて、お守り、地図、など今日は持たずに観光します。 朝一番でイスラム教の聖地、マホメットが降り立ち、昇天した岩が建物内に取り込まれている岩のドームへと行きました。 私の記憶では神殿の丘に上がれず、過去に来た時には、下の商店街の隙間から見上げることしかできなかった様な、、、 でも、今日は丘の上に上がり、金色のドームを持つ岩のドームと同じ高さに行けました。 触れる距離ですが、触ると神殿の丘を追い出される様ですから、距離を取って歩きました。 金色のドームに目を奪われがちですが、壁の青を基調とした装飾がとても精巧で綺麗でした。 ユダヤ教の最も重要な聖地嘆きの壁は、男女別に入っていきます。男性は丸いキッパという帽子を被って壁に近づいていきます。願い事を書いた小さな紙を壁の隙間にギュウギュウねじ込んでいきます。 私は、「宝くじが当たりますように」 と俗な願いを書いたのに、 お客様の中のお一人は「世界平和」 とお書きになった様です。 穴があったら入りたい、、、 イエスが生きていた時と同じ時代の神殿の壁に向かって悲痛な表情で、時には本当に嗚咽しながら祈るユダヤ人の方々に圧倒されました。 そして、イエス・キリストが自分がかかることになる十字架を背負って上がって行った道を私達も辿ります。 イエス・キリストの最期の舞台となったゴルゴダの丘の頂上部分を内部に取り込んだ聖墳墓教会が終点です。 今日は何故か、教会内が空いています。いつもは芋の子洗う様になっている2階部分も、トグロを巻く様に行列が出来ているお墓も人が多くありません。 ここはキリスト教の方々にとって1番の聖地ですので、埋葬準備をする為に安置された所では人々が跪き、床に顔を擦り付けています。 遺体が埋葬された洞窟内では、畳1畳程の広さほどしかない所で、入った方は係員から次の人が待っているからもう交代してと言われるまで、跪きお祈りを捧げていました。
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ベツレヘムの生誕教会の地下に入るのを待つ方々の列。 私たちも並びました。 そして、イエスが生まれた時にマリア様が腰を下ろしていたであろう岩を、屈んで触りました。
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ユダヤ教徒の一番の聖地、嘆きの壁。 男性はキッパを被って近づき、それぞれお願い事を書いた紙を岩の間に差し込みました。
9日目
1月19日/晴れ時々雨/8〜2℃
いやはや、夜中は大変な暴風でした。 窓の外で戦闘機でも通っているのかと思う程、ゴオッという音が絶え間なくしていて、お客様も気になって眠れないのではないかと心配していました。 朝になって小康状態になったものの、雨の中、ホテルを出発です。 バスは死海方面へグングンと標高を下げて行き、あっという間に海抜0メートルの看板を通り過ぎました。 国境は死海北辺の所からすぐのヨルダン川を渡るアレンビー国境です。 イスラエル側の検問で、積荷検査や、バスのお腹部分の金属探知機検査を受けます。 イスラエルの国境を抜けるとヨルダン側のバスがお迎えに来てくれていました。 懐かしい(と言っても5日前まで一緒でした)ガイドさんのマホメットさんにも再会です。 ヨルダン側で、北に向けてバスを走らせていると、雨足が強くなり雹も降ってきました。 ジェラシ観光はどうなるのでしょうか? お昼ご飯の後、ジェラシ遺跡に到着したところで雨は降っていましたがさほど強くないので、全員で見学開始です。足下には水溜りがたくさんあるのでヒョイと飛び越えながら遺跡の奥に進みます。 ここは、ペトラが最盛期を過ぎた紀元後2世紀から急激に発展した町です。 ローマのトラヤヌス帝がヨルダン川東側地域の南北を結ぶ新しい街道を造り、その街道をジェラシに通したからです。 ここは、町の中心のフォーラムや東西、南北の通りも綺麗に確認できます。 保存状態が良いアルテミス神殿や柱廊通りも見事です。 お天気はコロコロと変わり、雨が降って傘を差したかと思えば、3分後には晴れ間が差し、又横殴りの雨も降るといった具合で中々忙しかったです。 そんな中で、アルテミス神殿に向かう途中綺麗な虹が見えました。綺麗な半円形の虹です。皆さんとワァワァ言いながら写真を撮っている間に二重のアーチの虹になりました。 二重の虹はガリラヤ湖で古代船を引き上げる時にも現れた良い印です。 皆様に良いことがあります様に。
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ジェラシの遺跡では天気が目まぐるしく変わりました。 ミネルヴァ神殿の柱を撮った時にはこの青空。
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ジェラシ見学中に虹も。 この後、僅かながらダブルレインボーが見られました。
10日目
1月20日/曇り/8℃
アンマンの空港を予定通りに出発したカタール航空は真夜中にドーハに到着しました。 夜中の2時にもかかわらず、電気は煌々と、お店はフルオープンです。 この時間の飛行機の待ち合わせは耐え難く眠くなってしまいます。 ドーハから日本に行く飛行機は今日は満席ではなく、少し余裕があったので何よりでした。皆様が少し眠れてるといいのですが、、 成田へは時間通りに到着したものの、夜遅めに到着なので、荷物が出てきた方からご挨拶を交わして頂きつつ税関を通って外へと向かわれます。 日本も寒い日が続いていたとのことですが、少し緩み始めた様です。 皆様もどうかお風邪などお召しになることない様お過ごし下さいませ。 この度のご参加誠に、誠にありがとうございました。
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この度、ご参加の皆様と、イスラエルガイドさんのえみこさん。 エルサレムのレオナルドプラザホテル、ロビーにて。
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ラクダのラクちゃんです。住まいはヨルダンペトラです。 趣味は皆さんを背中に乗っけて、遺跡の中をゆったりと歩くことです。たまには疾走します。 この度はヨルダンに来て下さってありがとうございました。 ペトラはいかがでしたか? エドディルまで行ったのですって? 私は行ったことありません。 あの900段の階段は見るだけで結構です。 皆さん、よく登りましたね~~。 僕のシルエットが入った、砂絵を買って下さったそうで、ありがとうございました。 皆さんがペトラを発った日から寒くて、寒くて雪まで降って、ヨダレだけではなくて鼻水も出る様になってしまいました。 今度、暖かい日本にも行ってみたいです。 僕の足だと、5年くらいはかかるかもしれません。

旅はもっと、おもしろい。
阪急交通社クリスタルハート

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ありふれたツアーでは物足りない。思い出に残る旅がしたい。クリスタルハート海外旅行は、そんなお客様の声にお応えいたします。イタリアやスペインなどヨーロッパから、アジア、南米まで豊富なツアーをご用意しております。