*contents*
○ ケンカ上手なイタリア人
○ お客さまの声
○ 社員のないしょ話2
○ 江戸・東京を旅しよう10



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   「それをいっちゃおしまいよ」の線を心得ているケンカ上手なイタリア人
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イタリア人はとっても議論好きです。
朝のテレビ番組でも日本の「朝まで生テレビ」のような
ハイテンションで議論しています。

特徴的なのは相手の話をほとんど聞いていない。
自分がしゃべることだけ考えているようです。

日本人のような慎ましさはみじんも感じられません。
(最近の日本ではその慎ましさも廃れてきているのかもしれませんが・・・)

最初、イタリアに行った時、
イタリア人が議論しているのを見て「けんかしているのか」と思いました。
それだけ激しく、口から泡を飛ばし、目をひんむいて熱くしゃべっています。
ところが、面白いことに言いたいだけ言った後は、
けんか相手と一緒にコーヒーを飲みに行ったりしているんです。
日本人だとあそこまでやりあったら絶交状態になりそうな状態であってもです。

これは、イタリア人が「このレベルまでなら言っても大丈夫」
という加減を知っているからだとしばらくしてからわかりました。

つまり、相手を徹底的に追い詰めないのです。
議論は相手をやりこめるというよりは、自分のストレスを発散させる手段なのかもしれません。
議論を楽しんでいるようでもあります。
「言いたいだけ言ったから気がすんだ」という感覚なんだと思います。
そしてお互い、しこりを残さない。

イタリア人は感情的でわがままで・・というイメージで
それはその通りなのですが、けんかの仕方を知っている。

イタリアはほんの150年くらい前まではバラバラの都市国家の集合体でした。
そして太古の時代より、さまざまな国の侵略を受けてきました。
そこで上手く立ち回る外交術を身に付けたようです。

とは言え、イタリア人の話すのを見ていると
いかにも動物的で感情にまかせて話しているように見えるのですが・・・。
ただ、陰湿ではありません。からっとしています。
とっても人間臭い。そこがまた魅力でもあります。

(文・田中慎二)



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  お客さまの声
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【一年間で何回旅行する?】

今までは仕事の関係上、年1回の海外旅行でした。現在15カ国(地域)へ行きました。
来年からは年4回を予定したいと思っています。70歳までに50カ国を目標にしています。
練習を兼ね、昨年11月にニュージーランド、今年3月は韓国、
6月に台湾、そして9月に中国江南地方へと4回続けて旅行してみました。
ますます海外の魅力にとりつかれました。
(50代 M・I様)

海外3〜4回・国内4〜5回
(60代 匿名希望)

初の海外旅行は今から37年前の1970年で1994年からは毎年行っており、
今まで24回、29カ国へ行きました。
会社勤めと資金(笑)関係上、毎年1回だと回数が伸びず、1年に2回行ったのが6度あります。
唯一自慢できるのが世界三大瀑布を制覇したことです。
(02年 北米大陸 ナイアガラの滝、06年 南米大陸 イグアスの滝、07年 アフリカ大陸 ビクトリアの滝)
(60代 T・O様)

*編集部より*
みなさん、毎年のように、お出かけいただいているようで、羨ましく思います。海外旅行も1970年代から盛んになりましたので、20年選手の皆様も沢山いらっしゃるようですね。私達もそのような機会が来ることを期待して、仕事に励んでいきたいと思います。


【国内旅行のエピソード】

北海道エピソード
50年前20代。ちょうど作家・原田康子さんの「挽歌」が風靡していた頃。その本を読んだあとでした。友人と作中の喫茶店、釧路のダフネを訪ねコーヒーを。
35年前40代。名寄にいる姉に招待され、行く途中に札幌でラーメンを食べ稚内行き急行へ。学生で混雑していたので同席していたおじさんに尋ねると「ほら!金環蝕の礼文島知っているでしょ?」と。翌朝に私も行ってきました。稚内へ戻ったのは午後8時。8月半ばなのにストーブをたいていました。
60代で夫と2人で常磐道を通り仙台から太平洋汽船で苫小牧へ。札幌・小樽・層雲峡・知床岬・羅臼から外回り野付半島の白く同化したトドマツの残骸には厳しい自然の恐ろしさにビックリしました。
63歳のとき、姉の入院で旭川に飛びました。滞在中、姉の義妹夫婦に十勝平野・美瑛町を案内されました。パッチワークのような美しい光景は忘れられません。
是非北海道へ!
(70代 S・T様)

国内旅行は京都が多いです。本当は東北にいってみたいのですが、ついつい東京より南の方へ。
また山陰・東北は交通不便のためタクシー・ハイヤーのオンパレードになります。
(70代 T・M様)

好きな地方は京都と長野。春夏秋冬各地のお祭には毎年どこかへ行き楽しんでいます。
今年しばらくぶりに見た福島県の「相馬野馬追」の迫力は新しいところです。
(60代 匿名希望)

*編集部より*
旅行先での自然の美さ、厳しさはその土地に立ってみて、初めて実感できることがあります。お話から旅の歴史も人生と二人三脚と感じました。古都を楽しむのも、大自然を感じるのも絶好の時期になりました、新たな素晴らしい思い出がお持ちいただければと思います。



【一人旅の楽しみ方・エピソード】

日本では事故が相次ぎ、不安に思うのはホテルのエレベーター。誰かが乗っていると安心がありますが、外国の大きな男性一人だけだと不安になり落ち着きません。そんな思いもありますが、一人参加の旅を満喫しています。
(60代 匿名希望)

一人旅は目的をしっかり持つことが肝要。写真好きの人はやはり一人旅ですね。スケッチも同じ。ワイン好きの人も同じ。かえって他の人が居りますと集中できません。一人の方が気楽なのです。カメラとビデオを持っていき、思いつくままに撮影しています。ただし、ツアーでご一緒の方や添乗員さんを撮るときは後ろから撮っています(問題ないように!?)。あとは異国の地に行くわけですから、目新しいもの、食べ物を探して買います。スーパーがあれば中を見てまわるのは結構好きですね。土地の果物を買って食べたりします。
(50代 H・K様)

一人旅ではないですが、私ども夫婦が海外旅行に出かけて興味を持つのはその地方の民族衣装です。特にお気に入りはヨーロッパドイツ語圏、バイエルン・オーストリー、スイスのもの。皮製の半ズボン(レーダーホーゼ)短いブラウスと美しいジャンパースカートにエプロン(デアルンドル)はその地方に伝統的に受け継がれた美しい衣装です。民族衣装を売る店は多くはありません。その店を探すのは一寸した楽しみです。衣装は音楽会やパーティ、ビアレストラン、またドイツ語圏で着用すると現地の人との交流にも役立つようです。ミュンヘンのビアホールでの夕食時、民族衣装を着ていた我々はステージ演奏家の目にとまりました。ステージに上がるよう声がかかり、ステージで民族音楽に合わせて民族舞踊のまねごと踊りをし満場の拍手を受けたことは一生の思い出となりました。
(70代 H・O様)

*編集部より*
一人旅の時は何かしら、大事な道具をもっていらっしゃる方が多いです。またお一人でなくても、衣装は絶大な交流の道具になるのですね。確かに一目瞭然ですが、その勇気に拍手を送りたいです。

【わたしの旅写真♪】
            
          

8月10日から「オーストラリア世界遺産紀行8日間」に行ってきました。オーストラリアはGOODです。ウルルには登れませんでしたが、シドニーガイドさんの話ですと今年は南方が吉方だそうです。
(匿名希望)


世界の屋根チベット 〜天空に浮かぶ聖地ラサと青蔵鉄道の旅〜
(Y・A様)


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  社員のないしょ話2
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だいぶ涼しくなり、朝晩も空気が冷たくなりましたね。みなさんお元気でしょうか。
今回は、フランス滞在経験者の社員の話です。

パリでの交通
フランスに滞在していた時の話です。ちょっとパリを離れるとのんびりとした風景がすぐ見えてきます。
洒落た感じはパリ市内だけですね。
ビエーブルというパリ郊外からパリのモンパルナスにある学校へ通っていました。
モンパルナスといえば、東京でいう池袋のサンシャインのような「モンパルナスタワー」が有名です。
パリで最初に建てられた超高層ビルだそうで、210mの高さがあり56階立て。
パリ市内には歴史的な建築物の駅・・東京駅のような・・ものがたくさんありますが、それと比較すると近代的な建物です。

フランスの移動では「RER」(近郊急行鉄道)、「メトロ」(地下鉄)を利用していました。メトロには改札がありますが、国鉄(RERを除く)には改札口がなく(もちろん駅員もいない)ホームにある刻印機に切符を入れて日付を刻印してもらい、電車に乗ります。そして電車が来ると自分でドアを開けます。手動なのです。取っ手を上に上げます。ちょっととまどいましたが、なかなかおもしろいです。たまにドアノブが堅いものがあるので力を入れてギュッと!車両の種類はいくつあるのか、毎回来る電車の種類が違うことにも驚きました。今日は個室付きの電車。昨日は二階建て電車。おとといは・・・など、どんな電車が来るのか楽しみでした。メトロはそんなことないんですが。

メトロといえば、土地に慣れない人にとってはまるで迷路のようです。
迷ってしまうので、慣れるまではあまりオススメできません。
つい入りたくなるような入り口なんですけれどね!
このようにいろんな表示があるんです。

そうそう日本人はよくスリに狙われるので注意です!
私も実際目の前でスリを見ました。
3人で向かい合って電車内のドア付近に立っていたのですが、ドアが開いた瞬間、
ホームから手が伸びて1人のバックをひったくろうとしたのです。
幸い、バックは肩から斜めに掛けていたので取られずにすみました。
でも狙われたのは大人の男性。油断はできません。

ところで、みなさんご存知でしょうか。
今年7月15日から始まったパリ市内の自転車レンタルサービス。
velib」ヴェリブといいます。

パリの街中に約300m間隔でレンタル場所が設置されているので、返却もすぐにできます。
24時間いつでも利用できるのも嬉しいです。自由時間にパリ散策するのに気軽に利用できそうです☆
このレンタル自転車、年内にはパリに2万台設置されるそうです。なんて太っ腹!
これを始めたパリ市長ドラノエさん。 「環境に優しい交通手段を」とのこと。う〜ん、さすがです。

気軽に利用できそうですが、ここは異国。利用方法ってどうなのでしょう。
あ、そうそう年齢制限があるので注意です。
13歳以下のお子さんは利用できません。14歳〜18歳までは成人責任者の承認が必要です。
あとは身長制限があり、150cm以上の人に限ります。私はギリギリ!153cmなんです。

確認ができたら利用者登録。登録は街中のどのステーションでも可能です。
そこに「borne」ボルヌというポストのような機械があり、返却もこれでできます。
登録料プラス利用時間分の料金がかかります。
料金の支払いは全てクレジットカード。
ステーションが無人なので現金は使えません。

自転車を借りて出発〜・・・って、
ちょっと待った!歩道を走ってはダメですよ!
なんとフランスでは自転車は車と同じく車道を走ります。
もちろん、一方通行の道も入ってはいけないんです。
海外を楽しむにはその国のルールを知ることが大事ですね。
知らないと危険にさらされることもいっぱいです。
ぜひ海外へ旅する前には行く国を調べることをオススメします。
そして楽しい旅を! 「Bon Voyage!」

まだまだ滞在話はありますが、今回はここまで。
他にこんな話をご紹介する予定です。
本場のフランスパンは怖い
トラブルで知るフランス人と日本人の共通点
フランスで有名な日本のものとは
南仏、ニースのカーニバル


次回をお楽しみに☆



江戸・東京を旅しよう10

忠臣蔵と元禄の風景〈10〉

■浅野家上屋敷跡

私こと尾上一途、永代橋を渡ってすぐ、永代通りを左折し、湊町から鉄砲洲稲荷の前を抜けて、鉄砲洲にある浅野家上屋敷へ向かっています。この上屋敷は、浅野内匠頭切腹の4日後には幕府に召し上げられています。跡地は、現在築地の「聖路加病院」が建っていまして、その西側に「浅野家上屋敷跡の碑」が建っています。赤穂浪士たちは、討ち入り当日が緒大名の登城日であったため、無用な争い事を避けようと、武家屋敷を通らず町人街の南を通ったと言われています。

■浅野家のルーツ

ここで、浅野家のルーツを簡単にお話致しますと、まあ、ルーツというのはどこまでさかのぼればよいのか難しい所ではございますが、かの太閤--豊富秀吉の正室--北の政所の姉妹を夫人に持つ、つまり秀吉と義兄弟にあたる浅野長政が歴史上浅野家の家祖とされています。浅野長政は、豊富政権の中枢を担う五奉行の筆頭として秀吉を支えましたが、秀吉の死後、徳川家康に鞍替えし、結果的に本家浅野家を、広島城主として幕末まで存続させました。(浅野内匠頭の赤穂浅野家は、いわゆる分家に当たります。1645年、当時の赤穂城主--池田輝興が発狂して、奥さんを切り殺し、幕府より領地を没収される事件が起きました。そこで、浅野長直、この殿様は、家祖--浅野長政の孫に当たりますが、35歳の時、常陸笠間(今の茨城県ですね)から赤穂に赴任してきました。ですから、このが浅野長直が赤穂浅野家の祖になる訳でございます。

■上屋敷・中屋敷・下屋敷

それでは、泉岳寺までの道すがら、江戸時代のお殿様のお屋敷についてちょっとお話させて頂きます。 江戸時代の大名のお屋敷は、上屋敷・中屋敷・下屋敷の3つに別れていました。江戸城に近いものから上・中・下となっており、その機能も分担されていました。 先ず上屋敷ですが、ここにはお殿様とその家族が暮らしていました。有名な上屋敷としましては、本郷にある東京大学の敷地、ここは加賀前田家上屋敷跡です。東大のシンボルともいうべき「赤門」は加賀前田家上屋の門でありました。 中屋敷には、お殿様の嫡子やご隠居、国元から参勤交代でお殿様に従ってきた家来たちが住んでました。ちなみに、熊本藩細川家の中屋敷にて、大石内蔵助以下17名が切腹しています。浅野内匠頭が切腹したのもまた、東北の一関藩田村家の中屋敷でございます。 下屋敷には様々な機能がありました。一つは、大名の別邸。通常は郊外に建てられ、都会の喧噪を離れ殿様もリラックスしに行ったのでしょうか? 下屋敷には、上屋敷などの食料を運ぶために菜園が設けられたり、海岸に設置された下屋敷では荷揚げ場として利用されていたりもします。ちなみに「下屋敷」という言葉は、何も江戸だけではなく地方でも上級藩士が別邸として作ることもあります。ですから、今も「○○下屋敷跡」という建物が残っていたり、地名に「下屋敷」という名を持つ市町村もあります。

【つづく】



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