<第6回>関ヶ原ウォーランドの館長のつぶやき

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岐阜県

2017年9月25日
カテゴリー:中部・北陸 | 岐阜県

<第6回>関ヶ原ウォーランドの館長のつぶやき

皆様こんにちは!関ヶ原ウォーランドの館長 西村 圭です。

館長のつぶやきも今回で最終回です。

 

総大将の毛利輝元は4万4千の兵を引き連れ大阪城に入りますが美濃には現れることなく、別隊の毛利勢を南宮山に陣を置きました。しかも黒田長政の調略により、毛利はこの戦いを望観するのみでした。

また、松尾山の小早川秀秋(毛利軍)は昼過ぎ寝返ります。

ここまではすべて家康のシナリオ通りでした。

この戦いは東軍が優勢での勝利と思われがちですが、上杉討伐から始まった家康の大博打だったのです。上杉討伐は豊臣恩顧の大名達を引き連れての遠征であり、関ヶ原に到っては80%が豊臣恩顧の兵で家康は戦っているのです。

関ヶ原の戦いは家康が調略はしたものの、南宮山が動き小早川が寝返らなければ、家康の勝利はなかったのです。

 

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関ヶ原で敗れた三成は9月15日の午後2時頃、家臣三人を連れ伊吹山山中に逃亡しました。翌日に三成は単独となり、山中の谷口村の庄屋の家で一晩世話になりました。三成は御礼にと脇差し「貞宗」を庄屋に与えました。

後日庄屋は石田神社と云う祠を建て拝領した貞宗を収めましたが、太平洋戦争のどさくさ時に盗難にあったとのことです。

その後三成は秀吉より拝領した北近江四郡の最北の古橋村にたどり着き、村の若者に匿まわれましたが、落武者狩りの手にかかり捕縛されました。

10月1日に京都の六条河原で斬首となりました。享年41才。

 

覇王・徳川家康は2年2ヶ月後に朝廷より征夷大将軍と同時に「源氏の長者」の官職を得て、江戸に幕府を開きました。

その2年後には将軍の職を三男の秀忠に譲り、大阪冬の陣・夏の陣を勝ち抜き1616年4月17日駿府城にて没します。享年75才。

 

いかがでしたでしょうか。

家康や三成、多数の武将の想いや策略が交錯した関ケ原の合戦です。

ぜひとも関ヶ原に足を運んで、武将が駆けた風景を体験してください!

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