オーストリア/ウィーンにあいさつを3「交響曲40番の哀しみ」
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3「交響曲40番の哀しみ」
モーツァルト交響曲40番ト短調
―クラシックファンのみならず誰もが耳にするこの名曲。
最初に聴いた時にどう感じました?
モーツァルト作品との出会いがこの曲であった私には、
「非常に冷たく、どこまでも透明度の高い湖水」を観た感覚で、
美しい以外のなにものでもありませんでした。
同時に、それまで聴いていたポピュラー音楽に全くなかった世界が存在していることにも驚いたものでした。
それから35年、モーツァルト作品のその他多くを聴いてきた現在、
私にとっては彼の作品中一番の美しさを依然保ち続けています(一番好きとは別問題として)。
交響曲全41曲中、短調で書かれているのが2曲、しかもどちらも同じト短調。
一つ目の25番にはまだ「生」との格闘が感じられ、少々大袈裟に悲劇を装うのですが、
40番では「死」への覚悟が自然体で、誇張することなく描かれているのではないでしょうか。
言語においても大声で怒鳴られるより、静かに諭される方が、理解し心にしみるもの。
40番には「哀しみ」を見い出すことが出来ます。それも、「静かに深く」聴き手に迫ってくるかように。

モーツァルト記念碑/イメージ(写真提供:オーストリア政府観光局)
モーツァルトの肖像画の一つに、少し俯き加減に二重瞼で焦点の合わぬ、うつろな目つきの顔の左部分が描かれているものがあります。
そのモーツァルトと、ベートーベン、ブラームスの絵と並べ、「この3人のうち誰が40番を作曲したか」クラッシックファン以外の人に聞いてみたとしましょう。
答えは、おそらく殆どの方が正解することでしょう。
この40番という曲は、そういった魅力を携えているのではないでしょうか。
そこには、何か現実離れし、焦点の合わぬ目で遠くを見つめているモーツァルトが、ベートーベンの『苦悩との戦い』、ブラームスの『迷い』を超越し、ゲーテのいうように「悪魔」が「哀しみ」を囁いているからなのかもしれません。
どこまでも美しく、どこまでも自然体で―。
・・・次回は協奏曲のモーツァルトを。<ツル>













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