オーストリア/ウィーンにあいさつを2「モーツァルトは哀しい?」
![]()
2「モーツァルトは哀しい?」

モーツァルト肖像画/イメージ((C)ANTO/Gesel lschaft der musikfreunde)
「モーツァルトの全ての交響曲は、深い哀しみに満ちています。」
これは、20世紀指揮界の巨匠カール・ベーム博士生誕100年を記念し、NHKが放映した番組でのベーム博士の言葉です。
神童・天真爛漫・天衣無縫等々・・・私のみならず、モーツァルトに対するイメージとはそんな風ではないでしょうか?更にベーム博士は次のように続けました。「オペラ『後宮からの誘拐』の、[酒飲みの二重唱]にすら、私は<厳しさ>を感じます」と。このオペラの作曲当時、モーツァルトは25歳。彼の私生活といえば、横暴な大司教から自由の都ウィーンへと逃れ、最愛のコンスタンツェとの結婚が決まった頃であり、彼の短い生涯において一番幸せな時代であったと思われます。
このオペラの大まかなあらすじは、ベルモンテ(モーツァルトを思わせる主人公)が、トルコ太守の家から許婚、その名もコンスタンツェを奪還するというものです。自身の生活とだぶるストーリー。自由への希望に満ち、愛する者を手に入れることが出来た彼に、明るい心情以外の苦しみも哀しみも書けるはずはない。特に[酒飲みの二重唱]は、ピッコロ・シンバルがリズミカルに活躍する管弦楽が実に明るく、オスミンとペドリロが肩を組んで、バッカス万歳!バッカス万歳!と、ワインを飲みながら歌う場面で、私には一番リラックスして聴ける箇所なのであります。
が、ベーム博士は<厳しい>と、指摘しているのです。音楽を真剣に聴き始め約25年経つ私には、とてつもなくショッキングな言葉であり、未だに理解できず、悩み続けています。音楽とは、「失言症の、喜怒哀楽といった感情表現の一種」と言われます。少なくとも喜怒哀楽を感じ取るのが、我々音楽愛好家の最低限の義務であると確信するのですが、私が最も敬愛するベーム博士のあの言葉が重くのしかかっています。ベーム博士の棒でモーツァルトのオペラを20回程体験をしたにも関わらず、<哀しみ>を見出せず情けない!一体、その<哀しみ>はどんな<哀しみ>で、その背景には何があるのでしょう?
最後に、詩人ゲーテが残したモーツァルト評の一節を。「人間共をからかうために、悪魔が発明した音楽だ」(エッケルマン著『ゲーテとの対話』1829年)

ザルツブルグ モーツァルトの生家/イメージ
・・・次回は交響曲40番の哀しみを。<ツル>













この記事に対してリンクしました、ということを相手に自動的に通知する仕組みで、ブログ(Blog)の機能のひとつです。相手側もトラックバックを確認することでそのリンク先を知ることができます。
なお、このサイトでは、【Movable Type】というウェブログツールを使用しております。
したがって、阪急交通社が保証する内容ではありませんので、あらかじめご了承ください。
そのため、一部のブログやサービスによってはトラックバックが出来ない場合もありますが、予めご了承ください。
リンクがない場合には、「HTTP error: 403 Throttled」として、トラックバックが張り付かない仕組みになっております。