風変わりな観光名所
50年前にイギリスの植民地から独立したマレーシア。
イギリスにちなんだ場所で、今では観光名所となっている所は数々ありますが、
一箇所だけ風変わりな名所があります。
それは、ケリーズ・キャッスル(Kellie's Castle)と呼ばれる場所です。

イポー(Ipoh)という、美人の産地として有名な中規模都市から程近い、バトゥ・ガジャ(Batu Gajah)にあるこのお屋敷。
実は、秘密の部屋やトンネルがあると言われている、未完成のお屋敷なのです。
時は1890年。
スコットランドからマラヤ(旧式のマレーシアの呼び名)にやってきた、
二十歳のウィリアム・ケリー・スミス(William Kellie Smith)は、
イギリス人のパートナーとこの地にゴム園を始め成功し、巨大の富を得ました。
そして、長年の恋人だったアグネス(Agnes)と結婚しマラヤに呼び寄せ、
ゴム園として購入した土地の一部に家を建てて暮らし始めました。

左の黄色のお家が元々住んでいた家。
第二次世界大戦で壊れ、今は壁だけになっています。
2人の子供にも恵まれ幸せに暮らしていたのですが、裕福な家の娘だったアグネスは、
ジャングルに囲まれて社交場も全くないこの地での暮らしが嫌になり、子供を連れてスコットランドに帰ってしまいました。

周り一面はジャングル。
何としてでも家族を呼び戻したかったウィリアムは、1915年より、今まで住んでいた家の目の前にお屋敷を建て始めました。
ヒンドゥ文化が好きだった為、インドから建設労働者を呼び寄せ、建設材料もインドから取り寄せました。
信仰心の強いインド人労働者の為に、近くのヒンドゥ寺院まで繋がるトンネルを掘ったと言われています。
お城のような大邸宅を建てれば贅沢好きな妻が帰ってきてくれると願い、
テニスコートやバー、ワインセラー、そしてエレベーターの設置等を計画。
実現していれば、マレーシア初のエレベーター付き邸宅になっていました。

この屋上にテニスコートを作ろうとしていました。

エレベーターが設置される予定だったタワー。
客室があるタワーです。
その当時流行っていたスペイン風邪や、第一次世界大戦などで労働者を失い、
屋敷の建設が遅延していたウィリアムは、自分の財産を失いつつもエレベーターの買い付けにポルトガルのリズボンに行った1926年、
不幸にも肺炎で亡くなってしまいました。
ウィリアム亡き後、妻のアグネスは所有していた土地を全て売り払い、二度とこの地に戻ってくる事はありませんでした。
・・・という、マレーシアで大富豪になった農家出身のイギリス人青年が、
家族の為に人生を賭けて完成させたかった、曰くつきなお屋敷なのです。
妻と子供を呼び戻すことが出来ず、再会すら叶わないまま肺炎に倒れたウィリアム。
あまりの悲しさから、成仏できずにこの屋敷に留まっていると言われているのです。
ここを訪れる観光客に度々目撃されているらしく、屋敷の入り口には、
「何か不可解な事が起きても管理会社に責任はありません」という張り紙が。
幸い、私が訪れた時は不可解な出来事は一つも起こりませんでしたが、
現在この屋敷を管理している州職員の方は、ウィリアムが今でもここに留まっていると信じていると仰っていました。
常夏の暑いマレーシアで、涼しい体験をしてみたい方はぜひ足を運んでみてください。
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現地記者:Nasuha
1990年渡航。
のちにマレーシア人と結婚し現在に至る。
ペナン島の現地企業にて勤務。
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