グダニスク−激動の20世紀ヨーロッパ史の舞台となった町
第二次世界大戦、そして東欧民主化−
グダニスクは、激動の20世紀ヨーロッパ史の舞台となった町です。
グダニスクの町は、その建設以来、常にヨーロッパの歴史に翻弄されてきました。
バルト海に面した港町、ヴィスワ川河口の大都市という地理的・軍事的な利便さから、
近隣諸国の間で、常に激しい利権争いが発生し、幾度となく統治者が変わりました。
グダニスク(ダンツィヒ) 略史
10世紀 ポモージェ人により建設され、のちにポーランド王国に編入
1310年 ドイツ騎士団領が街を占領、ドイツ騎士団領ダンツィヒとなる
1466年 グルンヴァルトの戦いで、ポーランド・リトアニア軍勝利、トルンの和約によりポーランド領に
1793年 ポーランド分割により、プロイセン領に組み込まれる
1807年 ナポレオンの時代に「ダンツィヒ自由都市」として自治権を持つ半独立州になる
1815年 ウィーン会議にて再びプロイセン領に併合
1920年 第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約により、再び自治権のある都市国家になる
1939年 ナチス・ドイツ軍ポーランド侵攻、第二次世界大戦勃発
1945年 第二次世界大戦終了、ヤルタ会談により再びポーランド領土に
このように、グダニスクの街は、その約1000年の町の歴史のうち、
約三分の二にあたる600年以上がポーランド領の時代、
約三分の一にあたる約260年がドイツ・プロイセン領の時代でした。
こうした複雑な歴史背景から、グダニスクの街は他民族都市の様相を呈しており、
住民の9割はドイツ語を話すドイツ人、残りがポーランド人、ユダヤ人などでした。
しかし街は実質的にポーランド人に支配されていて、経済的にもポーランドに有利になっており、
それが「ドイツ人を守る」という名目での、ナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻につながりました。
1939年9月1日、グダニスク港のヴェステルプラッテ岬(Westerplatte)にて、
ナチス・ドイツ軍が突然ポーランド軍に侵攻、ヨーロッパは新たな戦火に包まれました。
ただちにポーランドの同盟国であったイギリスとフランスが9月3日にドイツに宣戦布告、
すると9月17日ソ連軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされました。
こうして始まった世界大戦は、またたく間にヨーロッパ全土に飛び火し、
ポーランド史上、そしてヨーロッパ史上未曾有の大悲劇となりました。
ポーランドでは、人口の五分の一にあたる約500万人が犠牲になり、
とりわけユダヤ人住民は、その多くが強制収容所に送られ、帰らぬ人となりました。
独ソの激戦地となったグダニスクは、終戦までに町のほぼ全域が廃墟となり、
ドイツ人住民の多くがソ連軍を逃れ西に避難、残っていたドイツ系住民も、
戦後ドイツへと強制移住させされました。
この戦争から60余年が経過し、今日では世界中からの多くの観光客が、
グダニスク観光の折りに、このヴェステルプラッテ岬を訪れています。
ナチス軍の急襲で破壊され廃墟となった建物は、現在、記念館として公開されており、
ポーランド軍を攻撃したシュレスヴィヒ・ホルシュタイン号の2つの砲弾が、入り口前に飾られています。
人類史上まれに見る未曾有の悲劇を生んだ、第二次世界大戦。
その勃発の地に刻まれた、平和記念碑の- Nigdy Wiecej Wojny - No More War- の文字は、
訪れる人々に、戦争の恐ろしさ、平和の大切さを訴えかけています。
さて第二次世界大戦が終了し、ポーランドは再び独立を果たすと、
ほどなくソ連(当時)主導による共産主義経済圏に組み込まれました。
1948年、ソ連の後援で共産党系のポーランド労働者党とポーランド社会党の左派が合同、
ポーランド統一労働者党を結成し、一党独裁の社会主義体制へ移行しました。
ソ連指導による共産主義の経済政策が導入され、1952年には社会主義憲法が制定、
他の東欧諸国とともに、ポーランドはソ連の衛星国となります。
歴史的に反ロシア感情が根強いポーランド人にとって、
共産主義による政治・経済の支配は、あらたな屈辱の時代の始まりでした。
幾度となく反ソ連・反政府デモが起こりましたが、鎮圧されてきました。
とりわけ1956年と1970年の労働者デモは大規模なものでしたが、
いずれも政府により鎮圧され、多数の犠牲者を出しました。
しかし1980年、政府が食肉の値上げを発表したことで、国民の怒りが爆発、
レーニン造船所(現グダニスク造船所)の電気技師だったレフ・ヴァウェンサ(ワレサ)が、
ストライキを起こし、労働組合「連帯」を立ち上げると、全国で賛同者を集めました。
ソ連の軍事介入を恐れたポーランド政府は、戒厳令を発令、「連帯」を違法化し、
市民は更なる恐怖政治と深刻な品不足に悩まされることになりました。
しかしついに1989年2月、「円卓会議」により、政府と「連帯」との対話が再開し、
同年6月の総選挙の結果、統一労働者党は敗れ、社会主義体制が崩壊しました。
ヴァウェンサは、1983年にノーベル平和賞を受賞、1990年にはポーランド大統領に就任しました。
こうしてグダニスクの街から始まった民主化運動は、ポーランドを民主化し、
それに引き続いて東ドイツ、チェコ、スロヴァキア、ルーマニア、バルト三国など
東ヨーロッパ全体に民主化運動が広まって、やがて東欧共産圏が崩壊しました。
このように、第二次世界大戦と、東欧民主化という、20世紀ヨーロッパ史の重大事件が、
いずれもグダニスクという街から始まったことは、非常に興味深いことです。
現在のグダニスクは、第二次世界大戦で破壊された町並みも完全に復元され、
中世フランドル・ルネッサンスの雰囲気が漂う、とてもおしゃれで美しい街になっています。
ポーランド国内のみならず、ドイツからの日帰り観光客も沢山訪れる、ポーランド隋一の観光地です。
しかし中世からのレンガ造りの街並みが美しい町であるからこそ、
そして重要な貿易港で、工業都市で、国防の要の軍港であるからこそ
その利権をめぐっての戦乱の歴史という、悲しい側面を持っているのです。
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現地記者:ヴァシレフスカ・サチコ
2003年東京大学大学院終了 生命科学修士
同年4月ポーランド人の夫と結婚、ポーランドに移住
ポーランドにてフリーライターとして活躍
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