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2006年12月16日
カテゴリー:ヨーロッパ・アフリカ | オーストリア(東中欧)

オーストリア/ウィーンにあいさつを5「オペラのモーツァルト」

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5「オペラのモーツァルト」
 モーツァルトが後世にもっとも影響を及ぼしたのは、オペラの世界ではないかと思います。
 まずはここで、オペラの歴史を簡単に紹介しましょう。
・・・オペラの誕生は、1597年フィレンツェのバルディ伯宮廷において、とされています。
その後、ヴェネチアのモンテヴェルディ(1567〜1643)により管弦楽を巧みに用い一層の進歩をみせ、
更にナポリでアリアを重要視するスカルラッティ(1659〜1725)、ペルゴレージ(1701〜1736)等が活躍し発展しました。
 やがてイタリアで盛んだったオペラは北上し、フランス・ドイツへと伝播されていきます。
グルック(1714〜1787)の登場により、声楽中心の非演劇的なオペラを排し、劇と音楽の統一を図る改革が行われ、近代オペラの基礎となりました。

 モーツァルトが現れたのはその頃で、オペラ200年の歴史を総括し、当時のイタリアを中心とする伝統的なオペラ・ブッフォ(日常の喜劇)、オペラ・アリア(空虚な誇張された劇)の最高峰の作品を書き上げただけでなく、その枠をも突き破り、ドイツオペラのジングシュピール(せりふ付きの歌芝居)をも確立させたのです。

 それらは、台本よりも音楽が優位で、劇的迫力を兼ね供え、
登場人物には生命・内面性が与えられたのです。
 モーツァルトがオペラらしきものを書いたのは、なんと8才の頃。
12才にはジングシュピール『バンチアンとバスチェンヌ』、
オペラ・ブッフォ『みてくれのばか娘』を書き上げています。
25才頃までは主要となる作品はなく、ウィーンに逃れてきた後に
ジングシュピール『後官からの誘拐』を書き、ここから後世に残る作品を生み出しました。



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ウィーンの街並み/イメージ(写真提供:オーストリア政府観光局)

 イタリア人、ダ・ポンテと組んで作ったイタリア語オペラ『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『コシ・ファン・トゥッテ』は、オペラ・ブッフォの最大の作品であり、
ジングシュピタール『魔笛』こそは、後のベートーヴェン・ウェーバーと続くドイツオペラの出発点となった作品と言えるでしょう。
 
・・・次回は魔笛を。<ツル>


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