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■神田明神下で始まる「《尾上一途版》忠臣蔵」


余談・前置きが長くなりました。

いよいよ忠臣蔵の始まりです。
元禄14年(西暦で言えば1701年)3月14日昼過ぎのことです。
当代きっての外科医であり幕府ご用達の偉いお医者様、栗崎道有(くりさき どうゆう)は、神田明神下に在る患者の家で往診中でありました。

神田明神下標識   神田明神下界隈
・「神田明神下」交差点(標識)         ・現在の「神田明神下」界隈


■銭形平次と吉良上野介はどっちが年上?

私、尾上一途(オノエ カズミチ)もまた、上野―湯島から昌平橋通りを大手町方面に15分ほど歩き、神田明神下にやって来ました。

「江戸っ子だってねぇ」

「神田の生まれよぉー」

という掛け合い言葉で知られるように、神田は江戸下町のなかでも最もシンボリックな街で、ここに暮らす住人には「俺たちこそ江戸っ子」といった独特のプライドがありました。
けれども、神田明神下と聞いて私が真っ先に思い浮かぶのは、なんと言っても銭形平次

もちろん銭形平次は架空の人物です。

あら、ひょっとして、実在の人物と思っている方がいらっしゃったのでしたら夢を壊してしまいすみません。
野村胡堂(のむら こどう)の原作「銭形平次捕物控」によりますと、平次が活躍したのは、3代家光・4代家綱の時代ですので1650年前後と推察されますが、後半の巻になりますと突如ストーリーが150年ほど進み、文政年間(1800年代の前半)の時代設定が多く見受けられるようになります。

時代考証がいいかげん? 大丈夫です。そんなこと全然どうってことはありません。

銭形平次ほどのスーパーヒーローならば、細かな時代背景なんて問答無用!
それこそ時空を超え、この神田明神下で、普段こそ、美人の誉れ高い恋女房のお静さんと仲良くイチャイチャ暮らしちゃいるが、イザ事件発生!ともなれば、最強のパートナー?ガラッパチこと八五郎を従え、ライバル(出しました!三ノ輪の万七)をはるかに凌ぐ推理力、洞察力、判断力、戦闘力をいかんなく発揮し、〆はもちろん得意必殺の「寛永通宝4文銭」(今の貨幣価値で50円くらい)を一閃!!
どんな悪党をもとっちめた上で捕捉する、痛快無比、江戸時代随一の超スーパーな岡っ引きに、こまごました取り決めなんてホント、ナンセンス!

*正解⇒銭形平は吉良上野介より50歳ほど年上、且つ、100歳ほど年下でした。

銭形平次+八五郎の碑   2人が暮らしたところ
 ・銭形平次+八五郎の碑(「神田明神」敷地内)  ・平次とお静さんが仲睦まじく暮らして
                                いたのはこの辺り?


次回、栗崎道有も、尾上一途も、江戸城に向かい歩きだします。
お楽しみに。

2005年11月 1日
カテゴリ:■国内旅行

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