■平成から元禄へタイムスリップ
私こと尾上一途(オノエ カズミチ)は今、元禄時代にいます。
江戸時代の花形と言えば元禄。
元禄を華麗に彩どるは「赤穂浪士」に「忠臣蔵」!
時代を超え、日本史の中で最も有名な物語の一つですよね。みなさん、これからこの「忠臣蔵」のお話を縦軸に、江戸時代に暮らす人々の生活や風俗・習慣などにもお話を脱線させつつ、一緒に江戸は元禄時代を楽しく旅しましょう。
■上野にもディズニーランドがあった!?
尾上一途(オノエ カズミチ)、上野にやってきました。
今から300年前、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)を江戸城松の廊下にて斬りつけた元禄の頃から、今、私が立っている上野は有名な繁華街でした。
今、歩いているこの辺り、広小路と呼ばれていますが、江戸時代初期からの歴史ある通りです。
もちろん今のように舗装された道路もビルもありませんでしたが、「よしず」あるいは「むしろ」で覆っただけの質素な仮設住宅が立ち並び、ノボリが風になびき、客を呼びこむ声や、猿回しの太鼓の音が響き、娯楽の少ない庶民にとって、今で申せば、ちょうどディズニーランドやユニバーサルスタジオに匹敵する娯楽の殿堂のような一帯でした。
この辺り、右側には江戸庶民文化の名残を残す「鈴本演芸場」や「上野広小路亭」があり、左手奥は江戸庶民生活の活気を今に伝える日本一の市場街「アメヤ横丁」<通称、アメ横>です。
広小路をもう少し進みますと春日通との交差点の左向うに「松坂屋」が見えてきました。
江戸の元禄期には右手に建っており、「伊藤松坂屋」という名前で当時としても有名な豪商のひとつでした。
(ここでチョッと時代が元禄から進んで幕末期)
この「伊藤松坂屋」に一人の美少年が丁稚奉公にやってまいります。後の新選組副長・土方歳三(ひじかた としぞう)、11歳の時。しかし土方少年は、番頭と大喧嘩の末、直ぐにクビになったそうです。
後年の土方の壮絶な人生に思いを馳せてみても、とても丁稚など勤まる訳がありませんよね。
↑「上野広小路」から松坂屋を見る








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