■〜いつの世も 不倫の恋は 命がけ?〜
尾上一途(オノエ カズミチ)、上野界隈、余りに面白く未だ留まっております。
春日通りを湯島方面に200m程歩きますと天神下の交差点で昌平橋通りに交差しました。
右手に大きな池が見えます。
「不忍の池(しのばずのいけ)」です。
ちょっと行ってみましょう。
池の中央にあるのが弁天島です。
「弁天島」は、江戸の初期に作られた人工の島で、当時の浮世絵を見ますと、「出会い茶屋」と呼ばれる今で言うラブホテルが数件立ち並んでいるのが分かります。「出会い茶屋」は、平屋で数寄屋造りの小粋な建物、別名、「蓮の茶屋」とも呼ばれていました。
ところでみなさん、当時の不義密通、今で言う不倫ですね、不義密通は現代の不倫と違って命がけの行為でした。あっ、平成の時代に命がけの不倫をしている方がいらっしゃったら大変失礼なことを申し上げましたが、そうは言ってもやはり命がけのレベルが違います。当事の不義密通は露見すれば、山田浅右衛門(やまだ あさえもん)みたいな人が出てきて、密通した2人を重ねて上から四つ切りに刻んでもお構いなしとされたくらいです。当時の川柳にこんなものがあります。
〜出会い茶屋 あぶない首が 二つ来る〜
平成の世に感謝したいと思います。

↑心を癒す「不忍の池」散歩道 ↑フリーマーケットも楽しい「不忍の池」のほとり

「弁天島」の「メガネの碑」
■湯島のちょっとだけアアブナイお話
「出会い茶屋」(ラブホテル)のメッカであった「不忍の池」のすぐ側はもう湯島です。
湯島には「湯島天神」という有名な神社がありますが、ここについては別のシリーズで詳しく語らせていただくこととして、今回はアブナイ系のお話をもう少し続けます。
元禄時代の湯島には、「陰間(カゲマ)茶屋」という特殊な業種の建物が存在しました。陰間(カゲマ)とは、今で言う“おかま”―ニューハーフの方々のことです。
「男色は武士のたしなみ」とする風習は、織田信長なんかが有名ですが、戦国時代から広く行われてきたもので決してイヤラシイことでも変態的行為でもありませんでした。超余談ではありますが、当時のカゲマには厳しい条件が付いており、カゲマの本職は芝居小屋の役者の卵で、下は12・3歳から上は17・8歳の美少年に限られており、その年齢以外はカゲマとは認められないしきたりがあったそうです。

↑↑しっとりとした雰囲気の湯島界隈








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